第16話 真実の代償と、新たな“敵”
「――動くな。我が法廷から、何者も逃がしはせん」
魔王ザイレムの、絶対的な威光を帯びた声が玉座の間を支配する。
その一言で、逃亡を企てたフードの側近は、金縛りにあったかのように動きを止めた。魔王軍の精鋭である影の兵士たちが、音もなく現れ、彼と、証言台で腰を抜かしているミノタウロスのタウルスを拘束する。
もはや、隠し立てできるものは何もなかった。
魔王の尋問と、アーカーシャの真実を見抜く魔法の前で、二人は全てを白状した。
追放されたタウルスが、復讐心から人間側のスパイと結託したこと。
スパイが、聖教会の様式で偽装したデータをタウルスに渡し、彼がそれを「匿名の告発」と偽って、軍団を憂うアーカーシャに吹き込んだこと。
その目的が、俺の失脚と、それに伴う魔王軍内部の対立を煽り、組織を内側から崩壊させることにあったこと。
全ての陰謀が、白日の下に晒された。
真実が明らかになるにつれ、アーカーシャの身から発せられる魔力の光は、後悔の念に沈むかのように、弱々しく揺らめいていた。
全ての裁定が下った後、彼はゆっくりと俺の前まで進み出ると、その骸骨の身を深く、深く折り曲げた。
「法務部長殿…。私は、ただ軍団を思うあまり、敵の掌の上で踊らされていた。この不明、万死に値する」
その声は、消え入りそうなほど、か細かった。
俺は、なんと答えるべきか、一瞬迷った。
法務家として、前世の俺であれば、ただ事実を並べ立てて、彼の過失を指摘しただろう。
だが、今の俺は違った。
俺は、静かに彼に告げた。
「アーカーシャ殿、顔を上げてください。あなたの行動は、法では裁けません」
「…なに?」
「仲間を思うその気持ちこそ、我が魔王軍の強さの源なのですから。法は、その強さを守るためにあるべきだ。俺は、そう考えます」
それは、法を超えた裁定だった。
俺の言葉に、アーカーシャだけでなく、ボルガやゼグス、そしてその場にいた他の将軍たちも、皆、息を呑んで俺を見つめていた。
◇
その夜、祝勝の宴が開かれた。
裁判という陰鬱な儀式の後だからこそ、魔王は、軍の結束を改めて示す必要があったのだろう。
「がっはっは! 見事だったぜ、マカベ! まさか、あの協定書の一文が、最後の切り札になるとはな!」
ボルガが、俺の背中を、もはや攻撃に近い力で叩きながら、巨大なジョッキを掲げる。
「…ああ。お前の知略には、何度助けられたことか。感謝する」
ゼグスもまた、静かに、しかし確かな敬意を込めて、杯を差し出してきた。
そして、アーカーシャも。
「法務部長殿…いや、マカベ殿。改めて、礼を言う。そして、許されるならば、今後も、その知恵を我が軍のために貸してほしい」
俺は、三人の将軍と、代わる代わる杯を交わした。
前世では、誰にも認められず、ただ孤独に心をすり減らすだけの日々だった。
だが、今は違う。
ここには、俺を信じ、共に戦ってくれる「仲間」がいる。その温かい繋がりが、何よりの報酬だった。
宴の喧騒から少し離れ、城のテラスで涼んでいると、静かな足音が近づいてきた。
リアナ・フォルセだった。
「…見事な、裁判でした」
彼女は、月明かりの下で、穏やかに微笑んでいた。
「あなたは、法で人を裁くだけでなく、法で人を救い、許すこともできるのですね」
その言葉は、俺がこの世界に来てから、ずっと心の奥で求めていた、本当の理解者の言葉のように響いた。俺たちの間に、確かな共感が芽生えた瞬間だった。
だが、その平穏は、長くは続かなかった。
宴が最高潮に達したその時、血相を変えた衛兵が、魔王の御前に駆け込んできたのだ。
「も、申し上げます! 地下牢に捕らえていた人間側のスパイが…姿を消しました!」
◇
俺たちは、急ぎ地下牢へと向かった。
そこには、空になった牢があるだけだった。鉄格子は壊されておらず、見張りの兵士も、一切の異常に気づかなかったという。あまりに強力で、未知の転移魔法。
そして、俺たちは、それを見つけた。
牢の奥の壁。
まだ生々しい、スパイ自身の血で描かれたであろう、一つの紋章と、短い言葉。
それは、聖教会の「白亜の天秤」とは真逆の。
全てを反転させたかのような、禍々しい「漆黒の天秤」の紋章。
そして、その下には、こう記されていた。
『計画は、次へ』
その瞬間、魔王軍の幹部全員が、真の敵の存在を、初めて明確に認識した。
鈴木も、勇者も、聖教会も、おそらくは、ただの駒に過ぎない。
その裏で、全てを操る、巨大な悪意。
「漆黒の天秤」…。
奴らの次なる標的は、おそらく、俺が必死に築き上げてきた、この魔王軍の「法」と「契約」、そのものだろう。
物語は、まだ終わらない。
本当の戦いは、今、始まったばかりだった。
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