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第9話 怜子さん


 各地で人が消失し始めてから5日目。土砂降りの雨のためいつもの朝の空気の入れ替えを見送ったおれは、バルミューダの電気ケトルで湯を沸かしつつ、国営放送を観るためテレビのモニターに電源を入れ、いつも通りの静止画であることを確認して消した。




 国内のパニック状態は3日目にピークを迎え、要因としては自動車の車内では人は消えないという情報を元に人々が一斉に移動したことによるもので、比較的立地が微妙なおれの家の前の道路ですらひっきりになしに車が通っていた。


 しかしそれは翌日に流れた各所のドローンからの映像で激しく否定される。


 映像では、国内の主要道路が渋滞という表現が生ぬるい程連なる車で埋め尽くされていた。しかし同時にその車両がまったく動かないこと、車内に人がいない様子も映っており、それを観た人の戸惑いとセットで様々な媒体を通じて拡散された。


 それを受ける形で4日目、つまり昨日の夜に、だからあああ!この前言ったじゃなねええかああ!動くんじゃねええよおおお!ぼけええええ!という内容の動画が政府から投稿され、現状およそ3千万人の行方がわからなくなっていると付け加えられた。




「なんか映ってた?」

 先に起きていた木崎さんはヨギボーにもたれつつ端末を操作しながら言った。

 

「一緒だよ。てか今日結構な雨だなあ」

「そうね。あ、ごめん。二司君、わたしにもコーヒーお願い」

「いいよ」


 木崎さん専用のコップを探していたおれは、ふと部屋の奥にある大量の文庫本が目に入った。


 それらはネットが使えなくなったときの娯楽として購入したものだが、現状問題なく繋がっているため、おれと木崎さんはこれまで通り基本的にスマホを操作しているか、アニメを見ながらスマホを操作していた。また食糧に関しては大量に買い占めたこともあり、最低限で済ませば2か月程度は過ごせる量を確保してあるが、アイス等のスイーツ類とスナック菓子が圧倒的に不足おり、しかしそれを不足と感じる余裕がある今はまだ幸せだ、と互いに励ましあって過ごしていた。



「二司君。海外でも人消えたって」

「え?」

 急なことでびっくりしたおれは、まさかのコーヒーをこぼすという状況に陥るころだったが、ぎりぎりでコップの柄を掴んで耐える。


「ここでいきなり海外をぶち込んでくるの?」

「かなりのパニック状態だよ。ん、ありがとう」

 おれからコーヒーを受け取った木崎さんは少し姿勢を正してコップに口をつける。


「そうか海外もか。もうだめだな。なんかもう、だめだな」

 現実を忘れるためおれは昨日のアニメの続きを観ようとリモコンを操作した。


「というか、全然伝わってなかったらしい。日本の状況」

「はいはい、こんだけグローバルグローバルでやってるのにな。どうせ能力できっつい情報統制してたんでしょ?」

「それはわからないけど。でも今は全部双方向で情報が流れてるみたい。それによると海外でもいくつか能力が配られている国もあるって。でも人が消えているのは全世界」

「うーん、正直何とも言えないな。海外も人が消えるのは熱なのかのう」


 おれと木崎さんは地下室に籠る正当性を維持するため、人体の平均体温が絡んでいるという説を有力視していた。


「わからない。でも、二司君の言う通りかも。なぜわたしたちは今まで海外のことを考えなかったんだろう?」


 わかるよ、おれも一瞬違和感はあった。でもなんかその規模を能力で絡めると、さすがにどうでもよくなるっていう。そう思ったおれは話を変えるため、木崎さん。話変わるけど。と言い直接的に話を変えた。


「失われた時を求めてって読んだ?」

「まだ読んでない」

「そっか。おれ先に読んでみようかな」

「いいんじゃない。あ!高橋さんから反応あった」


 ん、高橋さん?一瞬戸惑ったが、以前いた会社の先輩の高橋玲子さんだと理解した。


 高橋怜子さんはおれの家の飲み会の常連で、木崎さんの直の先輩にあたるため、おれにとっては先輩の先輩にあたる。

 そしてもう1人高橋さんという上司が職場にいるため、そっちをいじるのは難しいことから、高橋怜子さんは自分を怜子さんと呼んで欲しいと希望し、大抵の社員はそれを受け入れていたが、木崎さんだけは、先輩にそれは出来ないと言い、区別が必要な時は高橋怜子さん、それ以外は高橋さんと呼んでいた。


「久しぶりじゃない?知り合いからの反応って」

「うん。困ってるから助けて欲しい、って言ってる。でもさすがにちょっと」


 迷っている木崎さんの様子を見ておれは、しょうがないよ。と言いつつ肩を叩こうとしたが不自然な動作だと思って止めた。


「もう詰んでるよ。怜子さんのアカウントから反応あった時点で。何かよくないことが起こる気もするけど、かといって無視してもずっと気になる」

「そうだよね。じゃあここにいることは伝えて、外から高橋さんが来る状況を確認する?」

「そうしよう。できれば別の場所で待ち合せたいけど、あんまりホームから離れるのもな」

「わかった。あ、外に行くときはわたしの無効化の範囲から出ないでね」

 木崎さんは部屋の床に貼ったテープを指した。



 これまで能力を使い続けた結果、現在木崎さんは強制発動の能力範囲が3メートル、無効化が2メートル程度まで伸びた。

 そしておれはその範囲を把握するために、木崎さんのヨギボーを中心にテープを6ヶ所張り日常的にその範囲内にいることを意識付けている。


 おれの鉄は現状2リットルのペットボトルの水なら一瞬で鉄に変えることができ、およそ8秒の間隔を開けると、もう一度使うことができた。戻す方も、ほぼ同程度の能力となっている。


 木崎さんの能力に差があるのは寝ているときに無効化を強制発動せず、おれの鉄を強制発動させることを選んだからだ。

 また水に戻すことができるようになってからは木崎さんの強制発動をおれに使うと、水を鉄、鉄を水が交互に使われることがわかったので、おれはペットボトルとガムテープをを駆使し寝てる間も指の一部が触れている状況を作った。


 当初、おれは木崎さんの無効化を伸ばす事を提案したが、いつかあなたの鉄が必要になる。という木崎さんの言葉に、おれは感動の余り心の中で涙し、おれの鉄をお願いします。と頭を下げて提案を了承し現在に至る。


 

「よし、じゃあ横の家に移動してそこから怜子さんが来るのを確認しよう」

「うん。わかった」

 

 その後、おれは「失われた時を求めて」を読み、木崎さんは完全に自分の趣味と言い切るアニメを鑑賞。そして時間が近くなると、おれは地下、木崎さんは上階で身支度をし、これは絶対に必要だ、という木崎さんの提案により、部屋の隅に置いてあった空洞になっているシーサーの置物の中に起動した端末を隠して玄関に向かった。



 外は相変わらず激しい雨が降り続いており、隣だからといって傘を使わずに移動するのは無理と判断したおれと木崎さんは、1本の傘に寄り掛かるように入って隣家の玄関まで小走りで行き、一応おれがインターホンを鳴らした。


「反応ないね」

「わかっててやってるけどな。どうする?」

「うーん。窓を割ってもいいんだけど違和感は残したくないよね」


 そういうことなら。おれは半分に切ったペットボトルの上部分を取り出し鍵穴に切断面を固定。そして別の水が入ったペットボトルを木崎さんに渡し、固定したペットボトルに水を入れてもらう。


「おし、もう大丈夫」

 ある程度水が入ったところでおれが言うと、木崎さんは無言で水が残っているペットボトルの蓋を閉めた。


 こうやって水をいれーの、それを鉄にしーの、ペットボトルを外しーの、穴の周り以外を水に戻しーの。一連の作業を終え鍵穴に残った円柱状の鉄を回すと、ガチリと音がして鍵が開いた。


 おれは木崎さんをチラリと見た後、玄関のドアを引くが、がちゃがちゃと音が鳴るだけで開かず、下も鍵あるんだけど?という木崎さんの指摘に、赤面しながら同様のことを繰り返すと、問題なく玄関のドアは開いた。


「最初の鍵を開けた時の視線は気になった。まあ別にいいんだけど」

 木崎さんはおれを追い越して土足でスタスタと家に入る。


 わかる、わかるよ。靴のままで行く方が効率がいい、最悪謝ればいいし。でもなあ、辛いなあ。さっきの一発で開けられなかったのも辛いなあ。おれは靴を脱ぎたいという反射を押し殺しつつ木崎さんを追った。



 そして2人で家の中をくまなく探索した結果、道路に面した寝室と思われる部屋を隠れ場所し、交代で外を確認することを決めた。


「怜子さんって何時に来るの?」

「16時。向こうからの指定」

 当番の木崎さんはカーテンを少し開けて道路を見ている。


「そっか、あと1時間か。監視はまだいいんじゃない?ちょっと食料でも探しに」

「それは今度にしない?とりあえず見てようよ。早めに来て不意をつくつもりかもしれないし、こっちが外出してれば戻ってきたところを狙うつもりかも」

「木崎さん的にはあれかい?返信の『困ってるから助けて欲しい』というのは嘘で、単独で来るのはほぼない、と」

「二司君のはどうなの?」

「まあそりゃあね。不自然なところもあるけどさ」


 外を見ようと木崎さんの横に立った時、こちらに近づいてくる車の音が聞こえ、おれと木崎さんはほぼ同時にその場にしゃがんだ。


 車はおれと木崎さんが隠れている家を通り過ぎ、おれの家の前で停車したようで、おれと木崎さんは目配せをしておれの家が見える左手の窓まで中腰で移動した。


 怜子さん免許持ってたっけなあ。窓際に着いたおれは数センチ程度カーテンを開けて外を確認すると、白い防護服のようなものを着た3人が紫色のワゴン車から降りてくるのが見えた。


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