66 捕縛
魔属性の魔力に包まれた真っ黒な触手で引き寄せられた私は、ゆっくりとマクマホン卿の近くに降ろされた。
けれども、腰に巻き付いた触手は、私を解放してはくれない。
「やっ、ま、待って! 待ってください、マクマホン卿」
「フィル、シェリー……」
マクマホン卿の体から、迸るように魔属性の魔力が立ち上がっている。ネストリヴェル先生は見逃しても、私を逃すつもりはないようだ。
こ、これを私にどうしろというの!?
「私、の、フィルシェリー。あなたは私のもの……」
「――じゃないです! マクマホン卿、しっかりして! 気を確かに持ってください」
「うぅ……っ」
彼が苦しそうに呻き声をあげる度に、魔力の放出が少し収まっていく。
マクマホン卿は、私を追いかけてきた時よりも、より強く自分の中の魔力と戦っているようだった。
(どうしたら、どうしたら……)
ネストリヴェル先生は、私がほぼ全ての攻略ルートで《魔王》になって討伐されたと言っていた。
そのとおりだ。
私は、私が悪役令嬢だった世界のほとんどの攻略ルートで、私は《魔王》になっていた。
私を無理やり手に入れたラファエル第1王子のことが嫌いで許せなくて、けれども、主人公のユリアネージュと仲良くしているのを見るのが耐えられなくて、辛くて苦しくて。そして、どの世界線でも、焼けるような胸の痛みに、黒い何かが入り込んでくるのだ。
素直になりたくない。だけど他の人のものになるのは許せない。そういうねじくれたぐちゃぐちゃな気持ちを支柱に、魔属性の魔力は膨れ上がっていく。
唯一、それを回避できたルートは……。
――私、フィルシェリー様とお友達になりたいの。
「マクマホン卿! 意識はありますか。私の声は聞こえている?」
「ぐ、ぅ……」
「マクマホン卿、私は……きゃっ!?」
必死に話しかける私を、マクマホン卿は床に押し倒してしまう。
触手で両手を床に縫い止められて、私は青くなるばかりだ。
「マクマホン卿!」
「名前で呼んでください……」
「マ、マイルズ卿?」
「マイルズ、と」
「……マイ、ルズ」
前髪の奥の漆黒の色が、ゆったりと細められた。
私が何度も見つめてしまったあのベリー色は、そこにはない。
「よくできましたね……」
「マイルズ、待ってください。ちゃんと意識はありますか」
「ありますよ。いつだって、意識はあります。私の意識は全てはあなたに……」
「そ、そういう意味ではありません!」
ようやく話ができるようになったというのに、話が全く通じない。
頰に当てられる手に、私はびくりと震える。
「ようやく、私の手に……」
ゆっくりと近づいてくる彼の顔を、私はまっすぐに見つめる。
唇が触れるか触れないかのところで、私は言った。
「私は、あなたのものにはならない」
ぴたりと、マクマホン卿の動きが止まる。
前髪の奥の漆黒が、ゆらゆらと不安げに揺れている。
「あなたが何をしても、私はあなたのものにはなりません。どんなことがあっても、私は彼のものだから」
「……ラファエル…………」
彼の周りの黒い靄が膨れ上がる。怒りにゆらめく魔属性の魔力が、建物の壁の一部を壊している。
それでも、私はマクマホン卿から目を離さない。
彼の中の歪みを解きほぐすには、きっと私が彼のものになるのが一番なのだろう。彼が執着している私が、彼の恋人になって彼の気持ちを満足させたのであれば、きっとこの魔力の暴走は収まる。ねじれた心が、魔属性の魔力の贄なのだから。
けれども、それはできない。
私の心は、いつだってあの人のものだ。
私がエルと呼ぶ、あの人のもの。
嘘でも、あの人以外に寄り添うことはできない。
「だけど、マイルズ」
私が、あなたのためにできることは、他にあるはず。
「私は、あなたの友人になれるわ」
それは、私が唯一《魔王》にならずにいられたルートで、主人公のユリアネージュがくれた言葉だった。
私のねじくれた、ぐちゃぐちゃな気持ちを、彼女は解きほぐしてくれた。そんな経緯ではそうなるのも無理もないと、私を理解して、支えようとしてくれた。彼女の支えがあったから、私は《魔王》になることもなく、隣国へと旅立つことができた。
マクマホン卿は、既に《魔王》になってしまっている。
だけど。
「私、まだマイルズのこと何も知らないと思うの。お話をした回数だってそんなにないわ」
「あなた、は……」
「私はあなたのものにはなれない。そういう形では、支えになれない。だけど、あなたの力になれる機会が欲しいの」
真っ直ぐに見据える私の目線を、マクマホン卿は受け止めた。いつもゆらゆらと彷徨っている前髪の奥の瞳は、もう揺れていない。
触手の拘束も弛んでいる。
私は、ふわりと笑った。
「――あなたの心を苛んでいるものが何か、聞かせて?」
私は、マクマホン卿の左手を両手で掴む。
触れた先から、黒い靄が大量に噴き出した。
「……フィル、シェリー……!?」
手の先から、吐き気を催すような嫌な感情が流れ込んでくる。けれども、私はその手を離さない。離す訳にはいかない。
今の私は知っているのだ。
《魔王》となることが、どれほど辛く苦しいことなのか、知っている。
誰かを思って報われない気持ちも、素直になれなくて苦しむその心も、全てが手に取るように分かる。
だから、彼を放っておけない。
――絶対に、放っておかない!
「そうよ、もっとこっちに来て……マクマホン卿なんかより私の方がずっと、居心地がいいでしょう!」
私の言葉に煽られるように、黒い靄が、私を飲み込もうと絡まってくる。
私の中の醜い気持ちを引き出そうと暴れる。
でも、きっと大丈夫。
私にはエルがいるから、大丈夫。
彼が私を、きっと引き戻してくれる。
『本当に?』
そうよ。彼は私を心から愛してくれている。
『本当に?』
ええ。彼の気持ちを、疑ったりしない。
『彼の気持ちが本当だとして、彼はいるの?』
『本当に、居る?』
『もう、死んでしまったんじゃないの?』
黒い靄が、私とマクマホン卿を取り囲んで、吹き荒れる。
その一部、まだ3分の1程だれけども、それが私の中に吸収されていった。
だけどその効果は絶大で、マクマホン卿の目に、理性の灯が灯った。
「……ッ、ブランシェール公爵令嬢……ッ!?」
「……マ、クマホン、卿……」
「――なんて、無茶を!……」
マクマホン卿が、右手で私の手を掴んで引き剥がそうとする。
けれども私は、自分の魔力を操って、彼の手を弾いた。
「ブランシェール公爵令嬢……!」
「……マクマホン卿、戻って来てくれてよかった。大丈夫ですか?」
「駄目です! こんなことをしても、私の……魔属性適性は消えません……! こんな――この力を、無理矢理奪い取るなんて!……」
「いいの。あなたと、話がしたかったの……」
彼の言うとおり、私は今、昔取った杵柄で、マクマホン卿の力を奪い取ろうとしていた。
彼に付与された魔属性適性のことは、私にはどうすることもできない。
けれども、私はゲームの中で何度も《魔王》となってきた女だ。
私の魂が、魔属性の魔力の扱いを覚えている。私の中に光る円盤が、私と魔属性の魔力を結びつけようとする。
だから私は、ネストリヴェル先生が役に立ったみたいで嫌だったけれども、その力を使って、彼を苛む魔力を限界まで私自身に引き寄せたのだ。
――彼と、話をするために。
「マクマホン卿。お願い、心を強く持ってください」
「ブランシェール公爵令嬢……」
「お願い。皆、あなたを救うために、動いてるの。そんな力に負けない――」
ビキリ、と全身が痛んだ。
痛い。
痛い、痛い、痛い!
言葉にならない悲鳴を上げる私に、マクマホン卿が目を見開く。
私が《魔王》だった時には感じなかった痛みだ。
今の魔属性適正のない私では、体が魔属性の魔力に耐えられないのだろう。
だけど、そんなことを気にしている場合じゃない。
今の私達に残った選択肢は、おそらく3つ。
1つは、私自身をマクマホン卿に差し出すこと。
1つは、マクマホン卿が理性を取り戻したこの隙に、彼を殺すこと。
1つは、マクマホン卿が理性の力で、この力に打ち勝つこと。
要するに、私とマクマホン卿の両方が無事でいるためには、マクマホン卿の理性に頼るしかないのだ。
既に《魔王》となってしまった彼が、どこまで理性の力で耐えられるものなのかは分からないけれども、それに賭けるしかない。
彼の心のわだかまりを減らすまでは、これを止める訳にはいかない。
苦しんでいる私を見ながら、マクマホン卿が叫んだ。
「ブランシェール公爵令嬢、私の手を離して……! 逃げてください!」
「マクマホン卿……!?」
「私から、逃げてください。だめなら、私を殺して……!」
「嫌です! 絶対に嫌!」
体を苛む鋭い痛みに、止め処なく涙をこぼしながら、私はマクマホン卿を見据える。
「それをしたくないから、私も、エルも、皆が頑張ってるの! 私達、まだ誰もあなたを諦めてない!」
国王陛下とセラフィナ先輩は、魔属性適性者の話を教えてくれた。
そして、教えてくれたその知識は、魔属性適性者が現れて、暴走する彼らを討伐するまでに得た情報だった。
だけど、それを聞いても私達は、マクマホン卿を諦めなかった。可能な限り助けると決めたのだ。
私とエルだけじゃない。ユリ様も、バージル卿も、ニコラス卿も、それに他にも――。
「それなのに、あなたを一番大切にするべきあなたが、自分を諦めないで!!」
目を見開いたマクマホン卿が、ぐっと顔を歪めた。
泣きそうな顔の彼は、そのまま唇を噛むようにして、俯いた。
「……私はもう、手遅れです……」
「……!? そんなこと――」
「私は、あの黒髪の男のように抵抗しきることもできない、やわな奴なんです。だからもう、あれに見出されてしまった時点で、私はもう終わりなのでしょう……」
「そんなことないわ! そんなこと絶対ない!」
ふと、マクマホン卿が笑った。
今まで見たことのない、恥じらいや歪みのない、穏やかで純粋な笑顔。
「あなたはいつだって、私には眩しい……」
嫌な予感がして問いただそうとした私の頰に、マクマホン卿はそっと口づけを落とした。
びくりと体を震わせると、その瞬間、弛んだまま私の手や体に纏わりついていた触手が、全て霧散する。
マクマホン卿は笑みを浮かべたままだ。
頭の中に警鐘が鳴り響く。
「ありがとうございます。あなたに会えて、本当に良かった……」
私の瞳に映ったのは、何かを決めたような、その吹っ切れた顔。
「――!」
何か言おうとした私は、彼に思い切り突き飛ばされた。
不意のことだったので、私は両手を離してしまい、息を吸い込む間もなく床に倒れ込む。
マクマホン卿の周り、上空に、円を描くように、闇魔法で作り上げた黒い剣が複数、立ち並んだ。
それがそのまま、マクマホン卿の方に向かっていく。
違う、違うの。
マクマホン卿の理性を呼び起こしたのは、こんなことをさせるためじゃない。
私は――。
「――だ、だめ!!」
咄嗟に、体が動いていた。
闇魔法で自重を軽くした私は、軽く地面を押す。
黒い剣の射程圏内に入ってきた私に、マクマホン卿が目を見開く。
魔力を吸収する靄を纏った、黒い剣。
それから身を守るためには、避けるか、代わりに――。
そのまま、複数の黒い剣が私達に降り注いだ。
爆音と共に、舞台の上の石畳が破壊される。
あまりの衝撃に、何が起こったのかしばらく分からなかった。
ただ、その時間は短いもので、すぐさま身体中から痛みが走る。
「――っ、あ、う……っ」
左頬と右腕、それに左ももが焼けるように痛い。怖くて、自分がどうなっているのか見ることができない。
けれども、体幹部は奇跡的に無事のようだ。
……奇跡的に?
(……違う。そんな奇跡、ある訳ない……)
私は、そこにあるはずの姿を探す。
なんとか上半身を起こすと、カランと、音を立てて、這うような姿勢の私の背中から何かが滑り落ちた。
可愛い、黒い花の形をした、小さな髪飾りだった。
ヨルレッタさんがいつもつけていた髪飾りだ。
――髪飾りの精霊だった、彼女の依代。
「……レッタさん……ヨルレッタさん……」
この数ヶ月、ずっと私の傍にいてくれた彼女の返事はない。
エルの契約した小精霊の中で、唯一光らない彼女。
最後の最後まで、身を潜めて私の傍で潜伏しておくのが彼女の役目だった。私の場所をエルに知らせる、連絡係。
彼女が助けてくれたのだ。
精霊である彼女は、魔属性の魔力に過剰に触れると、魔力を吸い取られて消えてしまうと分かっていたのに、それでも助けてくれた。
視界が歪んで、前がよく見えない。
私は、目を瞬いて溢れる涙を落としながら、這うようにしてヨルレッタさんの髪飾りを、無くさないように、自分の髪に留める。
そしてそのまま這って、マクマホン卿に近づいた。
彼は気を失っていた。私が突き飛ばした成果で、彼も、臓器が傷つくような怪我はなさそうだ。
しかし、手足に怪我をしているし、何より肩に剣が刺さっている。私がようやく彼の横まで来たところで、肩に刺さっていた剣がふわりと消えた。
――消えてしまった。
「だ、だめ……だめ……」
私は必死で、マクマホン卿の肩口を手で押さえる。
刺さっていたものが無くなってしまったせいで、血が床に広がるように滴りはじめていた。
このままでは、彼は失血死してしまう……。
「どうしよう、どう、しよう……どうしたら」
頭が動かない。考えがまとまらない。
私が、マクマホン卿の理性を戻したりしたから?
彼を一人で説得しようなんて思ったから、こんなことになったのだろうか。
私が、彼の苦しみを分かったような気になって、余計なことをしたから。
叫んだら、誰か来てくれるだろうか。
でも、ここは何処なの。人里近くのような気がしない。
ドロシー様を起こす?
でも、今の爆音の後も、彼女の気配がしない。そもそも、彼女は無事なのだろうか。
どうしたらいいの。
助けてくれる人は、近くにいない。
いるのは私だけだ。
私が何とかしないといけない。
なのに、私にはどうすることもできない。
「…………エル。エル、助けて。……助けて、エル……」
火のように熱い傷口を抑えながら、想いがこぼれ落ちる。
私はこんなにも弱い。
1人では何もできない。本当に、何の力もないただの小娘だ。
エルは私のことを守ってくれたのに、私はマクマホン卿を守ってあげられない。
ヨルレッタさんも居なくなってしまった。
私じゃ、全然駄目だ。
私だけじゃ……。
「……お願い。お願い……助けて。お願い…………」
守ってくれるって言ったのに。
全てを手に入れようって、言ってくれたのに。
何処にいるの?
涙で前が見えない。
こんなのは嫌だ。
こんなのは――。
「――大丈夫」
声をかけられて、私は目を見開く。
待ち望んだ声に、幻聴かと思って、でも、彼はそこにいた。
「――あ……、マ、マクマホン卿が……、わ、私……」
「うん。分かってる」
彼が、私の頭にぽん、と手を乗せる。
その姿はボロボロだった。
着ている制服は無惨に切り裂かれているし、全身から血が滲んでいて、とても歩いていいような状態じゃない。
だけど、彼は笑ってくれた。
私のために、ここまで駆けつけて、微笑んでくれた。
「遅くなってごめん」
虹色の巨大な魔法陣が、私達を中心に展開される。
そしてそのまま、光を放ちながら、マクマホン卿に巻きつくようにして収束した。
拘束魔法が、完了した。
「ディルムッド、マイルズの体を」
『分かっている』
魔王様はそう小さく呟くと、マクマホン卿の体に、何かの魔法を施している。
私は、横で膝をついている彼を、ずっと見つめていた。
「……待ってたの」
「うん」
「……ずっとずっと、ずっと、待ってたの……」
「うん、ごめん」
「……っ、エル……エル、エル……」
ボロボロと涙が溢れてきて、とても止めることができない。
もう、まともに喋ることもできなかった。
そんな私に、彼はこれ以上ないほど優しく微笑む。
「もう大丈夫。あとは全部まかせて」
そのまま、私は彼の胸に倒れ込んだ。
意識が飛ぶ直前、傷だらけの彼が、それでも優しく私を抱きしめてくれたのが分かった。




