55 荒れる舞台 ※ドロシー目線
「まだ恥ずかしいんですか?」
私はつい、ぽろりと心の声を漏らす。
「う、裏方のドロシーには分からないわ。あのね、皆の前で好き好き言わされるのって、すっごく恥ずかしいんだから……」
頰を染めて、甘えるような拗ねたような顔をするシルバーブロンドの彼女に、私は嘆息した。
私はドロシー=ドラーク。ドラーク侯爵家の3女だ。今年セイントルキア学園に入学したばかりで、特進クラスに配属されている。
私と、目の前の彼女――フィルシェリー=ブランシェール公爵令嬢とは、学園入学までほとんど接点がなかった。入学してからもそうだ。彼女はいつも、ソーンダーズ公爵令嬢達と一緒にいるか、彼女の婚約者であるこの国の第1王子――ラファエル殿下と共にいることが多かったから。
なのに、入学から数ヶ月経って、接点ができてしまった。私は、意図せずして、彼女と同じ部活に入部してしまったのだ。
彼女のことは、今でもよく分からない。
彼女にはいつだって皆が注目していて、私のような、暗くて静かでつまらない女とは無縁の世界で生きている存在のはずだ。それなのに、彼女は部活の最中、いつも寄り添うようにして私の隣に座っている。
常々不思議に思っていて、ある日ついに、「ブランシェール公爵令嬢は私のこと好きなんですか?」と真顔で聞いてしまった。
彼女は、大きくて可愛らしいアイスブルーの目をぱちぱち瞬いた後、真剣な顔で「好きです」と返事をしてきた。真剣なだけじゃなくて、なんだか耳まで赤くなっていて、そんな反応をされると、何やらこちらが恥ずかしくなってしまう。私は持ち前の無感動無表情な上っ面をフル活用して、「そうですか」とだけ言って、目を逸らした。そうしたら、彼女は安心したような顔をしていたから、私の対応は正解だったのだと思う。結局よく分からないまま、それ以降も部活の度に、彼女は私の隣に座っていた。本当に不思議な人である。
そんな、あざとくて可愛らしい彼女は、今日も今日とて、最大限に可愛らしさを発揮していた。
(……相変わらず、凄い威力だわ)
目の前にいる彼女は、惚れ惚れするほど魅力的だ。
そもそも彼女は、身分が高くて近寄りがたく、美人で吊り目で、ともすればそっけなくも見える。そんな彼女がふわりと笑うと、なんだか自分だけに心を許してくれてるような不思議な気持ちになる。
きっと彼女は、生きているだけで愛される人なのだろう。
私はそんな彼女を、ずるい人だなぁと思う。
今日は、特進クラスの出し物『カルロとシャーロットの不思議な世界』の舞台練習を行う日だ。
クラスの出し物については週に2時間ほど授業時間が確保されていて、今はまさにその授業が始まるところである。今日は大魔法館を使っての練習ができる日なので、皆で協力して舞台の設営に勤しんでいるところだった。
私は裏方で、舞台美術担当のチームで動いているので、今がまさに忙しさの真っ只中である。であるのだけれども、セリフを呟きながらそわそわしているブランシェール公爵令嬢が目に留まってしまった。もちろん、忙しいので無視するつもりだった。……しかしながら、あまりに恥じらっている様子が気になってしまって、結局、つい声をかけてしまったのだ。釣り餌にかかってしまう魚の気持ちが分かったような気がする。私は駄目な人間である。
「まあ頑張ってください。あなたの一挙手一投足に、裏方の期待がかかっています」
「こういうときは、気持ちが軽くなるようなことを言ってくれるんじゃないの?」
「ブランシェール公爵令嬢は、覚悟を決めた方が強いタイプとみました」
私の何の気無しの言葉に、ブランシェール公爵令嬢は目をぱちぱち瞬く。
そうしてしばらく私の言葉を咀嚼するように考えた後、ふわりと微笑んだ。眩しい……。
「ドロシー様、ありがとう」
「お礼を言われることはしてません。では」
私は忙しいのだ。こんなところで目潰しをされている場合ではない。
にこにこ笑っているブランシェール公爵令嬢を置いて、私はさっさと戦闘シーンの背景の組み立てにかかった。今日は戦闘シーンを魔法を使って実演する日なので、大道具の配置を調整する絶好の機会なのだ。
「――火と風の国を許すな!」
「水と地の国に制裁を!」
火、水、風、地の4種類の魔法が、大魔法館を埋め尽くすようにぶつかり合う。そんな中、2つの国の騎士達が、オモチャの剣に魔法を纏わせながら撃ち合い、対立シーンを彩っていた。
(凄い迫力……)
第1学年は全クラスがそれぞれ舞台演劇を行うけれども、こんなふうに魔法を惜しみなく使う舞台は特進クラスの『カルロとシャーロットの不思議な世界』くらいだ。
クラスメート達も、ここが自分達の実力の見せ所とばかりに練習を重ねているので、数回目の実演合わせなのに、かなりの完成度となっている。
(記録水晶で見た去年のカルシャロよりも、今年の方が凄いんじゃないかな……)
自分達が実演するという欲目があるとはいえ、魅せ方や迫力は、やはり去年よりもセンスがあるような気がする。これは、リサリー=リバーフィールド侯爵令嬢の監督が優秀なのか、はたまた、戦闘シーンの役者達の実力なのか……。
そんなことを思っていると、2匹のウサギが登場して、わんわん泣き出すシーンに移った。
白ウサギの方は、入学当時から注目を浴び続けているピンク髪の男爵令嬢だ。
彼女はなんていうか、とにかくずっと目立っていた。
男爵令嬢という、貴族最下級の身分でありながら、特進クラスに配属された脅威の成績。それに加えて、初っ端から第1王子に嫌われるという、貴族として最悪手と思しきやらかしっぷり。誰も彼女に近づかない中、気が付いたらブランシェール公爵令嬢に取り入ることに成功していて、このあまりに怪しい異物に、クラスメート達は裏でピリピリしていた。
まあ、蓋を開けてみたら、ただのブランシェール公爵令嬢の熱心な信奉者だったのだけれども……。
ウサギがわんわん泣いて、世界が洪水で押し流される。
多種多様な魔法が混在していた戦闘シーンが、水魔法による洪水シーンに取って代わられる。ウサギの涙を表すために、水は洪水のように渦となって、騎士役達を舞台外に押しやりつつ、所々でウサギの形や涙の形を象り、暴力的な、しかし幻想的な光景を作り出していく。
そこに、カルロとシャーロットの二人が、寄り添って現れた。
二人は洪水の渦と、その中心にいる2匹のウサギを見て、手を取り合いつつ、なんとかウサギの方へと近づこうと、舞台の橋を駆け回る。そして、シャーロットが呼ぶのだ。その、2匹の――。
「ウサギさん!」
――その声に反応したのは、2匹のウサギだけではなかった。
舞台の端から、じわじわと、黒い何かが湧き上がってくる。
(……何? あんな効果の魔道具、設置してあったかしら……)
これだけの魔法に晒されるので、大道具自体も魔道具として、強度を上げてある。もし仮に、大道具の魔道具としての故障や、大魔法館の舞台装置自体の故障ならば、魔法の実演を止めなければならない。
目を凝らして見ていると、黒い靄のような何かは、じわじわと洪水の中を広がっていっている。流石にこれはおかしいと思ったところで、悲鳴が上がり出した。
「――だめ! 制御が効かない!」
その悲鳴は、洪水魔法を担当している裏方チームから上がった。
悲鳴の内容に、監督のリバーフィールド侯爵令嬢を始め、舞台外にいたクラスメート達からざわめきが生じる。
真っ先に動いたのは、担任のクリフトン先生と、第1王子の契約精霊である魔王様だ。
「中止です! 皆さん、魔法を止めて!」
『魔石から離れろ!』
「せ、先生! 止まらないんです、それに皆、水の魔石から手が離れない!」
「契約精霊達も、呼んでも来てくれないの! 魔王様……!」
『チッ――』
魔王様が言っている魔石というのは、舞台上に魔法を反映させる舞台裏の魔法制御装置のことだ。ここに魔力を投じ、魔法を注ぎ込むことで、舞台上に様々な魔法が展開される。
舌打ちをした魔王様は、魔法制御装置の場所まで飛んできた。そして、魔石に触れている洪水魔法担当チームの手に触れようとした瞬間、魔王様の手が黒い靄に弾かれた。
『これは――ソルレッタ!』
『はぁい!』
魔王様の指示で、光の小精霊が魔王様に何らの魔法をかける。魔王様の手が発光したかと思うと、魔王様はその手を大きく振り上げて、魔石に向かって叩きつけた。
魔石が載っている装置が壊れたら、さらに舞台上の魔法を制御できなくなる。
皆が息を呑んだその瞬間、魔王様の拳が見えない壁にぶつかり、黒い何かがガラスのように砕け落ちた。
『よし、離れろ!』
魔王様の剣幕に、洪水魔法担当チームが、びくりと手を引っ込める。――手を、引っ込めることができた。水魔法の補充が止まったのだ。
洪水魔法担当チームが、自分達の手を見ながら、喜びの声を上げた。
「は、離れた! 離れました、魔王様!」
「よかった……!」
「――まだです! 舞台上の魔法が止まっていません!」
クリフトン先生の言葉に、洪水魔法担当チームがぎょっとして舞台上を見る。
舞台上では、黒い靄に支配された水の塊が、凄い勢いで蠢いていた。
生徒達が操るよりも、数倍勢いを増している。
元々、ウサギ役の2人もカルロとシャーロットも、うっかり洪水魔法に巻き込まれないように、水魔法除けの魔石を体に忍ばせている。ウサギ達の方は問題なく魔石に守られているらしく、2人のいる場所にはポッカリと水のない空間が出来上がっていた。
しかし、カルロとシャーロットは、そうではなかった。
「――殿下!」
「フィリー! 早く舞台の外に出て!」
リバーフィールド侯爵令嬢やソーンダーズ公爵令嬢が、悲鳴を上げるように、カルロとシャーロットの2人に呼びかけている。
けれども、当の2人は、舞台上に渦巻く水魔法から身を守ることだけで精一杯のようだ。
なぜなら、舞台上の水魔法は、明らかに2人を――いや違う――第1王子を狙っていたからだ。
激しく波打つ水の塊は、何度も第1王子に向かって打ち付けるように蠢いている。それを、カルロとシャーロットの2人が、水魔法除けの魔石を核として追加の結界魔法を展開し、なんとか防いでいた。
『教師よ、舞台を囲む魔法結界を解け!』
「今やっています! でも、制御装置がいうことをききません!」
『何だと――主殿、外側はすぐには解けない! ウサギと合流して、水魔法除けの魔石の力を重ねがけしろ!』
「シェリー、僕から離れて! 1人でウサギの方へ行くんだ」
「だめよ、そんなことできない! エル1人の力じゃ、結界魔法を突破されるわ!」
追加の結界魔法は何度も砕かれていて、2人は何度もそれを再構築している。これだけの魔法を詠唱しながら、ウサギ達の方に移動することはできない。けれども、水魔法除けの魔石単体の力では、襲いくる水の塊に対処することができない――。
「魔王様、破壊魔法を使います。補助をお願いできますか!」
『よかろう、存分に――』
「――あ」
黒い靄に支配された水が、龍を象った。全ての水を圧縮した荘厳で凶悪な姿に、誰もが息を呑む。
時が止まったかと思うほどの静寂も束の間、水の龍が第1王子の姿を認める。
ドス黒い靄が渦巻く龍の目と、深緑の目が合った瞬間――。
その姿を飲み込まんばかりに、水の龍が第1王子へと襲いかかった。
悲鳴と爆音と共に、大魔法館の舞台が、煙を巻き上げる。
大魔法館の舞台は、舞台を区切る結界魔法ごと破壊されてしまっていた。煙が収まらないので、周囲の様子は全く見えない。
呆然としているクラスメート達の中で、1人だけ真っ先に動いた人物がいた。
「どいて!!」
彼女が叫ぶと、風が巻き起こって、煙が全て吹き飛んだ。風魔法を使って、周囲の煙を吹き飛ばしたらしい。
「――エル!!!」
聞き慣れた声に、私は驚いて振り返る。
艶やかなシルバーブロンドの髪、煌めくアイスブルーの瞳――私達の背後、舞台の外側から現れたのは、ブランシェール公爵令嬢だった。
「えっ、な、なんで……」
「フィリー! 無事だったの!?」
「フィ、フィルシェリー様? 今、舞台に……」
クラスメート達の動揺を無視して、彼女は舞台にそのまま走り寄っていく。
煙が吹き飛んだ後のそこには、黒い靄に囲まれた、キラキラと輝く、巨大な光の結晶体が存在した。
「ブランシェール公爵令嬢、危険です!」
「離して! 私よりもエルが――」
クリフトン先生の静止を無視して、ブランシェール公爵令嬢は壊れた舞台に駆け上がろうとする。
けれども、その手を掴んで止めた者がいた。第1王子の契約精霊の、魔王様だ。
『娘、あれに触れてはならぬ』
「で、でも、エルが……!」
『主殿は無事だ』
必死の形相のブランシェール公爵令嬢に、魔王様は穏やかに応じる。
そんな2人の目の前で、光の結晶体が、ビキ、と音を立てた後、ガラガラと崩れ落ちた。
結晶体が崩れ落ちたその後、その場には、第1王子がいた。
怪我をした様子もなく、座り込んではいるものの、五体満足で、少し驚いた顔をしている。
「――エル!!」
「シェリー」
ブランシェール公爵令嬢が、魔王様を振り払って、今度こそ舞台に駆け上がった。
彼女はその勢いのまま第1王子に抱きついたので、第1王子は体勢を崩してしまい、後ろに手をついた。
「馬鹿! エルの馬鹿! 馬鹿! もう、絶対許さない!」
「心配かけたね。ごめん」
「馬鹿……!」
泣きじゃくっている彼女に、第1王子は困ったような、優しい笑みを浮かべている。
その隣で、崩れ落ちた光の結晶体が、静かに発光して姿を変えた。象ったその姿は、すぐ隣にいる彼女と全く同じ顔をした、シルバーブロンドの令嬢。
「――ルリちゃん!!」
駆け寄ってきたのは、ピンク髪の男爵令嬢だった。その男爵令嬢も、魔王様に手を掴まれて、動きを止められてしまう。彼女が近づこうとした、倒れ伏している令嬢――男爵令嬢の契約精霊は、うめき声を上げながら、黒い靄に包まれていた。
今まで舞台にいたのは、ブランシェール公爵令嬢本人ではなく、男爵令嬢の契約精霊だったのか……。
『触れるな。こやつの努力が無駄になる』
「で、でも……!」
『主殿』
「分かってる」
魔王様に言われて、第1王子が頷く。
彼は、自分に縋り付いているブランシェール公爵令嬢に何か耳打ちした後、その横で一人立ち上がった。
「ラファエル第1王子の名の下に、今起こったことについて箝口令を敷く。全員この件について、いかなる事象であっても、僕の許可なしに口外するな。クリフトン、生徒達の避難は任せた。避難に必要であれば、この学園の教師に限り、この件について伝えることを許す」
「承知しました」
第1王子の指示に従って、クリフトン先生が生徒達の避難を促す。
後ろ髪を引かれる思いで、そっと舞台を振り返ると、魔王様が光の小精霊と共に発光しながら、男爵令嬢の契約精霊を抱き上げていた。
『主殿。我もこれに耐え切れる時間は僅かだ。先に保健室に向かう』
「分かった。残りの小精霊は全部ここに残してくれ」
『承知した』
それだけ言うと、魔王様は姿を消した。
転移魔法だろうか。学園内では、転移魔法は禁じられていたはずだけれども……。
それにしても、舞台の上にいた4人、特に、あの2人が無事でいてくれてよかった。本当に、本当によかった。
こんなに安心しているのは、純粋にあの2人が心配だったからだけじゃない。
私は気づいてしまった。
心臓が、バクバクと早鐘のように打っている。
じっとりと、手が湿ってくるのを感じる。
どうして、皆は気がついてないの?
わ、私は、一体どうしたら……。




