27 身勝手な私
「おはよう、シェリー」
私の気持ちなんか知らないエルは、今日も今日とて、満面の笑みで朝のお迎えに来た。
私は、ジロリとエルを睨みつける。
目を丸くしたエルは、ただただ驚いているように見えた。
「……おはようございます」
「シェリー、何か怒ってる?」
「怒ってません!」
つい、言葉尻が強くなる。
そうだ、別に怒ってなんかない。怒ってない。
あれから一晩、私は色々と考えたのだ。
これからユレンスタム男爵令嬢とどうするつもりなのかとか、やっぱり私は捨てられるのだろうかとか、エルに会ったら素直に全部話して聞くべきなのかとか、聞いたら即、振られてしまうんじゃないか、とか。
当然なのだけれども、結局結論は出ないまま、ただただ悲しくて、胸がずきずき痛んで、ふと油断すると涙が出そうで、だんだん腹が立ってきて――うん、やっぱり私は怒っているようだ。
「……怒ってないの?」
「怒ってるわ」
「やっぱり」
「やっぱりって何?」
「いえ」
ジト目でキロリと睨むと、エルが珍しく震え上がっている。
「おやおや、フィリー喧嘩したのかい?」
「別に、喧嘩なんてしてません」
「じゃあ、一方的に怒ってるんだ?」
「……お父様?」
混ぜ返しにきたなら、早めに退場してくれないかしら。
その思いを目一杯に詰めた眼差しで微笑みかけると、お父様も顔を青くして家の中に引っ込んでいった。
「ブランシェール公爵……!」
「あら、エルはお父様とお話ししたかったの?」
「いえ、別に」
「……今日は別の馬車に乗って行きます」
「えっ」
目を白黒させているエルを横目に、私は自分の家の御者を呼ぶよう、マリアンヌに声をかける。
マリアンヌは思うところがあるだろうに、無表情で私の指示に従ってくれた。さすがは公爵家の侍女である。
「シェリー、あの、せっかく迎えに来たんだし……」
「今日は別の馬車に乗って行きます」
「僕、何をしたのかな。ごめんね、シェリーが怒ってる理由が思い当たらないんだ」
思い当たらないのか。まあそうだろう、エルはあの場面を私に見られていたとは気がついていないのだから。
それにしても、怒ってる理由か……エルがしたことに対して、私は怒って意味があるのだろうか。
だって、エルが他の女の子に心を奪われて、私のことを要らないと思ってしまうなら、私は怒ったって仕方がないのだ。怒っても、エルの気持ちは戻ってこないし、私の気持ちだってボロボロのままだ。
「シェリー、どうしたの」
「……?」
ふと気がつくと、エルが私の頬に手を当てている。
「泣きそうな顔をしてる」
「……っ。何でもありません!」
勢いをつけて、私はエルが乗ってきた馬車ではなく、自分の家の馬車に乗り込んだ。
しばらくすると、馬車が動き出す。エルは、今日、私と同じ馬車に乗ることを諦めたのだろう。
……。
…………。
……エルは何ですぐ諦めちゃったのかな!?
だめだ、自分でも自分が相当面倒くさい女になっているのを感じる。
でもでも、エルが横にいない朝の馬車なんて初めてで、今後もしかしたらずっとこうかもしれないのに、凄く寂しかったのだ。
(……今後、もしかしたら、ずっと……?)
私は自分の考えたことに、ぐさりと刺されたように傷つく。
もしかして、私は最後になるかもしれないエルとの二人きりの空間を、自ら放棄してしまったのだろうか。
いや、まだ私が振られるとは限らない。エルは男の人なんだし、一時的な気の迷いとかいうのもあるのかもしれない。
そう思いつつも、心の何処かで、エルがあの子と仲良くなるなら、浮気じゃなくて本気なんだろうな、という諦めが心に浮かぶ。
『とにかく、好きなものでいっぱいにして、甘やかすのです』
ふと、マリアンヌの言葉が思い浮かぶ。
エルの好きなもの。これだけ傍にいるのに、これといったものが思い浮かばない。
甘いものは割と好きだと思うけれども、そんなに頻繁に作っても……とも思うし、王宮にはパティシエだっていて、しかもエルは料理部で自分でも作ってしまうから、効果が薄そうだ。
そもそも、「こんなに美味しいケーキが作れるなんて! やっぱりシェリーが一番だ!」と言ってくれるエルは……いえ想像できなくはないけれども、私に夢中であることが前提すぎて、離れた気持ちを取り戻す効果はない気がする。
よくよく考えると、私が知っている、エルが手放しで好きだと言い続けていたものなんて、それこそ私のことくらいだ。
その私が捨てられかけているのに、何をどう差し入れればいいのだ。
…………。
(……私を差し入れる?)
自分の考えに、顔に血が昇るのを感じる。
無理! 私にそんなスキルはない!!
とすれば、もう、ただただ、エルが離れていくのを見守るしかないのか。
明日せめて、タルトでも作ってみようかな……エルはリンゴが好きだったはず……。
そのうちに、馬車が止まり、コンコンと扉が叩かれて、エルが入ってきた。
「シェリー、着いたよ……って、どうしたの!?」
「?」
「シェリー、泣いてるよ。自分で気がついてないの?」
心配そうな顔をしたエルが手で私の頬を拭う。
私はエルがそこにいるのが嬉しくて、切なくて、結局ぽろぽろとそのまま涙を溢してしまった。
「シェリー」
「馬車に、エルが、いなかったから」
「……うん?」
「寂しかったの。何ですぐ諦めちゃったの?」
目を伏せてポロポロと涙をこぼしていると、エルは戸惑いながらも私を抱きしめてくれた。
「そっか。ごめんね」
「何で謝るの? エルは悪くないのに」
「シェリーが泣くほど辛いのに、理解してあげられないから」
「……辛くなんてないわ。これは、ちょっと目にゴミが入っただけ」
「そうなんだ」
「嘘なのに信じないで」
「……シェリーは可愛いなぁ」
エルはくすくす笑っている。
私は、可愛いと言われて、ぎゅーっと胸が締め付けられるのを感じた。この人はなんて意地悪なんだろう。
「――エル」
「ん? え、あのシェ……」
そっと、その口を塞ぐ。そのまま、深く深く口付けた。
もっと、もっと私だけを見てほしい。エルなんて、私で一杯になってしまえばいいのだ。
いつもいつも、他の女の子と仲良くして。
その上、私もその他大勢の一人にして、私じゃない女の子を特別にするなんて――絶対に許さない。
「っ……シェリー、これ以上は……」
「エル」
抵抗するエルを無視して、首に手を回して抱きつきながら追い打ちをかける。
好き。大好き。もっとずっと私に夢中になってほしい、全然、足りない……。
ひとしきり貪った後で、そっと唇を離した。
「……今日は、私のことだけ考えてて」
あえて悪い顔をして至近距離で囁くと、エルは真っ赤になって呆然としていた。
なんとなくその反応に満足した私はくすりと笑うと、エルの頬に軽くキスを落とし、彼を残して馬車を降りる。
これだけ私の気持ちを振り回しているのだ、エルだって私に振り回されてしまえばいいのだ。
問題は何も解決していないけれども、私は少し溜飲を下げた。




