25 未来の主人の婚約者 ※バージル目線
ラファエル殿下は俺達の授業だけでなく、いろんな授業で令息達に慕われていたらしく、令息達を集めての授業は、セイントルキア学園入学まで続いた。
俺達兵隊訓練の授業も、脱落者が出ることはなく、むしろ領地に帰る期間をもっと減らしていいのに、と感じている者が大多数だった。
なにせ、殿下はいつでも努力を怠らないし、自分だって才能があるのに、俺達のことをいつも凄いと褒めて喜んでくれる。あまりに手放しで喜ぶし、内容を理解した上で客観的に褒めてくるものだから、俺達だって悪い気はしない。もうちょっと格好つけてやろうと、さらに研鑽を積んで、より殿下が喜ぶ、という謎のループが繰り返されていた。
一度殿下に、嫉妬はしないのかと直接聞いたことがある。
「ある人にね、自分が凄くなくても、凄い人を集めればいいって教えてもらったんだ」
殿下はそう言って、どういう助言だったのか、詳しく教えてくれた。
よく考えると、殿下は自分の意思を持っている人だ。人を褒めることはしても、迷ったり、誰かに影響されたりしているところはあまり見たことがない気がする。
俺は、殿下に影響を及ぼしたその助言の主に、若干の嫉妬を感じた。一体、どんな人なのだろうか……。
そんな感じで、俺を含めて、呼ばれた令息達の王都にいる期間がだんだん長くなってくるものだから、それぞれの婚約者達が差し入れを持って見学に来ることが増えてきた。
「皆いいなぁ、仲良しで」
そう呟く殿下にも、確か婚約者がいたはずなのだが。
「シェリーは僕のこと、大嫌いだからね。見学には来ないと思うよ」
彼女は王妃教育のため頻繁に王宮を訪れているのに、絶対に自分から殿下には近寄らないのだという。
「……ああ、政略的な婚約で」
「いや、僕の片思い」
私は目を丸くした。……そう、この頃には、殿下の側にいるために言葉遣いに気をつけるようになったので、一人称を俺から私に変えたのだ。
「殿下ならいくらでも相手がいるでしょう」
これだけ近くにいるのに見学にも来ないような令嬢のどこがいいのだろうか。
眉を顰める私に、殿下は寂しそうに笑う。
「そんなことはないけど。……シェリー以外はいらないんだ」
この話を聞いたときから、私は殿下の婚約者に対して、悪感情を抱くようになった。こんなにも素晴らしい私達の殿下を袖にするとは、何事だ。
あるとき、問題の彼女を遠目で見る機会を得た。
彼女は、王妃教育のために王宮に来たのだろう、どこかに向かって廊下を歩いているところだった。
サラサラと揺れる、シルバーブロンドの髪。
切長で大きなアイスブルーの目。
どことなく気品と優雅さを纏ったその姿に、私は目を奪われていた。
彼女が見えなくなってようやく、私は自分が彼女に見惚れていたことに気がつく。
その瞬間、私は悔しさと恥ずかしさで、かっと顔に血が昇るのを感じた。
彼女が殿下の婚約者であることは、その容姿からすぐに分かった。私は、殿下を厭う彼女のことを邪険に思っていたはずなのに……。
私は、今日の出来事はなかったものとして、心の奥にしまうことにした。
私は、殿下の婚約者に対して、いい感情を抱いていない。それでいい。
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セイントルキア学園に入学した後、驚いたのは、殿下とその婚約者のブランシェール公爵令嬢が、仲睦まじくなっていたことだった。
私は運良く――おそらくぎりぎりの成績で特進クラスに入ることができたのだが、二人のあまりの熱愛ぶりに、クラス中が当てられていた。
殿下はブランシェール公爵令嬢のことを語ったり、彼女と一緒にいるときは、蕩けるような笑みを浮かべているけれども、まあそれはいつものことだ。――問題は、彼女の方。
彼女は普段、冷たいとも思える澄ました表情をしている。その身分の高さや、殿下の婚約者という肩書きもあいまって、クラスメート達も、興味はあってもなかなか近づけない。
それが、殿下を見つけた瞬間、花びらが舞うような、綻んだ顔をするのだ。殿下を愛称で呼ぶその声も、鈴の音が鳴るようで、どことなく甘い。
その普段とのギャップに、令息達だけでなく令嬢達も、目を奪われていた。
けれども私は、その姿を見て、なんとなくモヤモヤするものを感じた。
殿下が先日ブランシェール公爵令嬢を庇って怪我をしたことは、貴族なら誰でも知っているくらい有名な事実だ。そして、そのことをきっかけに、ブランシェール公爵令嬢が、ラファエル殿下に絆されたということも。
ただ、あまりに、これまでの2年間と対応が違う。
危ないところを助けてもらったというのは乙女心を揺さぶる原因としては大きいとは思うが、それだけで一時的に気持ちが盛り上がって、態度を変えているだけなのではないだろうか。
私は、殿下と会ってから2年間、殿下が彼女のことを話す度にしていた寂しそうな顔を思い出し、彼女への警戒を緩められないでいた。
心の底に、それだけではないチリチリとした痛みがあることは、無意識に見ないふりをした。
ある日、ブランシェール公爵令嬢と廊下でばったり出会う。その日は、私達が日直に当たっていた日だった。
「……バジョット卿も日直、ですよね。一緒に行きましょう」
「……ああ」
彼女は、殿下といる時と違う、冷たい澄ました顔で私に対応している。
さもありなん、私だって彼女といると、普段以上に固い表情になってしまうのだ。そんな私に、彼女があえて柔らかい対応をすることもないだろう。
つい、目を逸らしてしまった。
早くこの時間が終わればいいのに。そうは思うけれども、私達は日直なので、二人で担任の教師の元に向かわなければならない。
担任のもとに向かっている間、彼女は私に気を遣って色々と話しかけてきたが、私はそれに応えることができないでいた。
「……私に気を遣うことはありません」
「バジョット卿」
「殿下はあなたに甘いですが、私は急に手の平を返したあなたを信用できない。それだけです」
ここまで冷たい対応をするつもりはなかったのだが、彼女を前にすると、不思議と素直に対応することができなかった。
それなのに、彼女は私と違って大人で、私の牽制をそれとなく躱して、殿下が私を褒めていたなどという話をさらりと持ち込んでくる。おかげで、少しは好意的に話ができるようになってきた。完全に、彼女の掌の上である。
会話の途中でふと彼女が静かになったので目線をやると、何やら彼女は口元に手を当てながら、顔を赤くしていた。あらぬ方向を見ながら、視線を彷徨わせるその様子に、私は心臓がはねるのを感じる。
(なんでそんな可愛い顔を……いや、私は何を考えているんだ!?)
つい照れているのを誤魔化すように、「顔が赤いです」と不躾なことを言ってしまう。そうすると、先ほどまで大人な対応をしていた彼女が、急にムキになって反論してきた。
慌てつつも、つい流されるように言い合いになってしまい、どうしてこうなったのかと思いながら職員室までたどり着く。
ようやく職員室を出た頃には、お互い精神的に満身創痍だった。
そして、そこでふと気がつく。
……こんな状態のブランシェール公爵令嬢と一緒に教室に戻ったら、私は殿下に締め殺されるのではないだろうか?
「――ブランシェール公爵令嬢。このレジュメは私一人で運びますから、もういいです」
彼女は当然のように反対してきたので、なんとか言い繕わねばと、とりあえず謝ってみる。慌てているとはいえ、我ながら雑すぎる対応である。
しかし、私の謝罪に対して、彼女は目をぱちくりさせて、「大人だなと思って」と呟いた。
私は、全然大人じゃない。本当に子供っぽい、残念すぎる対応ばかりだった。大人だったは、あなたの方じゃないか……。
つい、まじまじと彼女を見てしまったが、彼女の手が私の手に触れた瞬間、急に恥ずかしくなって目を逸らしてしまった。
そこから、彼女を見ることもなく、早々に立ち去る。顔が火のように熱かったけれども、その理由からも、必死に目を逸らした。
「あれ、バージル。シェリーはどうしたの?」
教室に着くと、当然のように殿下に聞かれた。
「用事があるとのことで、後から来るそうです」
「……用事ねえ」
そう言って、殿下が真っ直ぐ私の目を見てくる。その射抜くような視線に、私は耐えられず、目を逸らしてしまった。
「ああ、うん。なんとなく分かった」
「……殿下?」
「いや。……バージルは弁えてると思うから、別にいいよ」
殿下は肩をとん、と叩くと、そのまま教室を出ていった。
なんと殿下は、私が自分でも理解していない私の気持ちに、早々に気づいてしまったらしい。しかも、そのことについて、許しまで与えていった。片思いをする程度なら、別にいいと。
――結局、そういうことなのか。自分でも不甲斐なくて、自分にげんなりする。
今後は可能な限り、ブランシェール公爵令嬢には関わるまい。
そう決意するぐらいしか、私にできることはなかった。
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しかしながら、そう上手くはいかなかった。なんと、ダンスの授業で、ブランシェール公爵令嬢と組むことになってしまったのだ。
私は男兄弟に揉まれて育ったからか、いまいち女性と組んでのダンスのレッスンが苦手だった。まさか、練習を怠けていたツケがここでくるとは……。
早速彼女の足を踏んでしまった愚かな私に、彼女は根気よく付き合ってくれた。やはり、大人な女性である。
「私はいないものとして、シャドー練習のまま踊ってみませんか?」
「シャドー練習のまま?」
「はい。私は勝手についていくので、私の存在は無視してください」
無視と言われても、あなたは自分の魅力を知らないのか。その手の小ささ、柔らかさに動揺しかないし、目を瞑ったら花のような香りがして、より鮮烈に存在を思い出してしまう。
「エルが褒めてたから凄い人なのかと思っていたのに、大したことないのかしら」
むっとして、ようやく私は我を取り戻す。見上げる彼女は最高に蠱惑的だったけれども、だからこそ、呆れられたくないと思った。やはり、完全に彼女の掌の上である。
彼女の指示どおりに踊ってみると、難なく二人で踊ることができた。特に、鍛錬で相手にフェイントをかける時と同じ要領で、わざと動きを先に見せるようにしてみると、彼女はとても踊りやすいと喜んでくれた。
二人で踊っている間、ずっとにこにこしている彼女に、私は胸の内が暖かいもので一杯になるのを感じる。
彼女が笑っているのは、私と一緒にいるからではなく、ダンスが好きだからと分かっているのに、この距離でこの笑顔を見ることができたことが嬉しくて、つい調子にのってしまった。
「――そこまでだ、バージル」
殿下に止められて、冷水を浴びせられたように、理性が戻ってくるのを感じた。
「それ以上はだめだ。自分でも分かってるだろう」
はい、以外の何を言えただろうか。
ブランシェール公爵令嬢が不思議そうにしているのが、わずかな救いだった。そのまま何も気づかないままでいてほしい。
その後ふと、殿下もブランシェール公爵令嬢も気にしているユリアネージュ=ユレンスタム男爵令嬢のことが気になって、ダンスのペアに誘ってみた。
私の誘いに、ユレンスタム男爵令嬢は目を丸くしつつも、恐る恐る承諾してくれた。
「……偵察ですか?」
「?」
「殿下に何か言われて、私に接触したとか」
「そんな事実はありませんが、何か後ろ暗いところがあるのですか?」
「……私は何故か、殿下に嫌われてますから」
寂しそうに俯く彼女に、私は少し興味を惹かれる。
「殿下があそこまで悪感情を態度に出すのは、正直珍しいことです。何をしたんです?」
「何もしてないですよ。なんなら初対面から嫌われてるんですけど」
「…………生理的に……?」
「……デリカシーないって言われません? 無意識に女の子を怒らせたりとか」
ジト目でこちらをみる彼女に若干腹が立ったものの、心当たりがあるのでつい黙り込んでしまう。
それを見たユレンスタム男爵令嬢は、面白そうにして私を眺めていた。
「ブランシェール公爵令嬢に怒られました?」
「!? な、何故……」
「あーやっぱり。一応言っとくと、現場を見てた訳じゃないですからね」
そういうと、彼女は首を傾けながら、まじまじと私の顔を見た。
「……でも、話しかけられて何となく分かりました。バジョット卿は、殿下が興味を持った人に興味を持っちゃうんですね」
「というと?」
「いえ。報われないなぁって」
そう言って、彼女は殿下とブランシェール公爵令嬢に目線を投げる。
「……」
「バジョット卿は分かりやすすぎです」
「……そうか」
自己嫌悪で何も言えないでいると、彼女は海色の目を細めてへらりと笑った。……なんだか、既視感のある笑い方だ。
「もー、落ち込みすぎです。はぁ、殿下もそれくらい分かりやすかったらよかったのに……」
「殿下に近づきたいんですか?」
「ちょっと、怖い顔しないでください。考えてみてくださいよ。クラスのアイドル、ムードメーカー、中心的人物であるラファエル殿下に嫌われている、身分の低い私の、このクラス内での立場を」
「……」
「ぼっちですよ、ぼっち! なんとか殿下に、そう、普通くらいの扱いをしてほしい私の気持ち。分かります?」
「確かにそれなら、分からなくはない。――『ぼっち』とは、独りぼっちの略か?」
「そこを突っ込む辺り、本当に無神経ですよねバジョット卿……」
「……すまない」
「悪いと思うなら、私と友達になってください」
目を丸くする私に、ユレンスタム男爵令嬢はへらへらと笑う。
「私を怪しんでるなら、私の近くにいるのが得策ですよ?」
「どういうつもりだ?」
「ぼっち脱出のつもりです」
そう言われてしまうと、こちらとしてもなんとも言いづらい。変な顔をしているだろう私を見ても、ユレンスタム男爵令嬢は楽しそうにしていて、へらへらした笑みを絶やさなかった。
ちょうどそこで、ダンスの音楽が流れ出した。
私達は見学組で、殿下とブランシェール公爵令嬢が楽しそうにワルツを踊っている。
「……うーん、あの二人、めちゃくちゃ仲が良さそうなんですよね。なんでだろうなぁ」
「なぜ、とは」
「あの二人、仲が悪かったって聞いてたから」
首を傾げる彼女に、私も首を傾げる。
「入学直前に、殿下が彼女を襲撃犯から庇って以来、お二人はあんな感じだ」
「襲撃犯!?」
「庇った殿下は刺された。貴族なら誰でも知ってることだ」
「……私は、入学に当たって男爵家の養子に入った平民ですから。その辺り、疎いんです」
私は目を丸くする。その環境だと、より特進クラスに馴染めないことだろう。
私はこの時、情報に疎いと言っている彼女が、殿下とブランシェール公爵令嬢の仲が悪いという情報を持っているという矛盾に気が付かなかった。
「彼女じゃなくて、殿下が庇ったんですね。……場所は王立劇場?」
「いや、王立図書館だ。なぜそんなことを」
「えっ!? いえ、あの。夏頃、王立劇場で襲撃が起こってたから、またかなーって」
若干慌てたようなそぶりの彼女は怪しさ満点だった。
「……殿下に危害を加えるなら容赦しない」
「そんなこと企んでたら、ここでそんな不用意な発言はしないですよ」
また先程のへらりとした笑顔に戻った彼女は、殿下とブランシェール公爵令嬢のダンスを羨ましそうに見ていた。
「いいなぁ。私も混ざりたい」
「……心配しなくても、次の曲で踊ることになりますよ」
「……。そうですね」
彼女の言葉が違う意味なのは分かっていたが、ついごまかすように、違った捉え方での返答をしてしまう。
ユレンスタム男爵令嬢は、あの二人に混ざって一体何をどうするつもりなのだ。
「まあ仕方ないか。バジョット卿、リード頼みますね」
「ユレンスタム男爵令嬢は、平民出身なのに踊れるんですか?」
「もっちろん。私、何でも器用にこなすから、男爵家の養子になったんですよ?」
へらへら笑う彼女に、私はひやりとする。これはあれだ、私はまた、私よりもダンスが上手い女性と組んでしまったのでは……。
私の予想は当たって、ユレンスタム男爵令嬢は非常にダンスが上手かった。私のリードを誉めてくれたけれども、技術力が足りていない私相手では、きっと物足りなかったことだろう。
ダンスの練習に力を入れよう。私は今日、心に固く誓った。
そして、再度、ブランシェール公爵令嬢には関わるまいと固く決意した。
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……誓ったのだが、やはりそうはうまくいかなかった。
ある日、3階の図書室の窓からじっと外を見つめるブランシェール公爵令嬢を見つけてしまった。
どこを見て……いや、関わるまい。すぐにここを立ち去るのだ。
そう思ったけれども、結局私は彼女の傍に近寄ってしまった。
なぜなら、ブランシェール公爵令嬢が、ぽろりと涙をこぼしたからだ。
一体どうしたのだ。
声をかけようとして、思いとどまる。
ここは図書室だ。下手に声を出すと、他の人が来るかもしれない。
そもそも、私なんかが声をかけていいのだろうか。ここは立ち去った上で、殿下に伝えて……いや、しかし……。
少しの逡巡の後、私は思い切って、小声で声をかけることにした。
けれども、上手くいかなかった。
何故なら、驚きのあまり、声が出なかったからだ。
彼女の目線の先、裏庭の一角、人目につかない……それこそ、この図書室からぐらいでないと見えないその場所に、見覚えのある金色と、ピンクブロンドの影が見えた。
私の見間違いでなければ、二人はしっかりと抱きしめ合っているように見えた。




