20 裏庭の黒い彼
目の前から後ろの方にかけて白い影が走った気がして、私は振り返る。
ふと廊下を見ると、そこに白い影が佇んでいた。
「……白猫さん?」
「にゃうん」
背中に、金色のハートマーク模様のある、可愛い白猫だった。
目の色は、私と同じアイスブルー。こちらを誘うようにみた後、トコトコと歩いて行く。
「――待って、どこに行くの?」
こっちに来いとばかりに振り向きながら、白猫はてくてくと進んでいく。
(学園にも動物っているのね。隣接の森から来たのかしら)
不思議に思いながら、白猫について、校舎を出る。
私はふと、周りの生徒が、白猫を全く気にしていないことに気がついた。
(……学園ではお馴染みの猫さんなのかしら?)
不思議に思いながらついていくと、白猫は何やら、芝生ゾーンのうち、大きな木の木陰になっているベンチのところでくるくると回る。
「ここに座れってこと?」
「にゃうにゃう」
か、可愛い……!
可愛く首を傾げながらおねだりされてしまっては、断ることもできない。
ふわりとベンチに腰を下ろすと、白猫は満足げに、私の膝の上に丸まって、ゴロゴロと喉を鳴らした。
「……ここでお昼寝がしたいの?」
「なーん」
「困った子ね。……お昼休みが終わるまでよ?」
「にゃう!」
そっと手で頭を撫でると、白猫は気持ちよさそうに目を細めた。お昼休み、終わらなければいいのに……!
「……何してるんだ」
「――きゃっ」
急に上から話しかけられて、私はつい声を上げてしまう。
(……上?)
驚いて振り仰ぐと、ベンチの後ろに立っている大きな木の上に、なんと人がいた。
「何してるんですか!?」
「俺が先に聞いてるんだ」
そう言うと彼は、ふわりとベンチの後ろに降り立つ。
「浮遊魔法……? 風魔法ですか?」
「違う。……別になんだっていいだろう」
私の言葉が気に障ったのか、鬱陶しそうにそう言うと、彼はどかりと音を立てて私の隣に座った。私の膝の上の白猫が、びくりと身を震わせて私に擦り寄ってくる。
もう、と思って彼を睨むと、彼は若干の怯えたような目をした。私の吊り目で遠慮なく睨んだから、相当威圧感が出たのだろう。その効果に私は心の中で満足する。
よくよく見ると、彼は伸ばした黒髪を後ろで一つに束ねた、紫色の澄んだ目が印象的な、顔立ちの整った令息だった。どことなく、エルと似ている気がする。なんて卑怯なの。内弁慶な私の割と硬めな警戒心が薄れてしまうじゃないの……。
「……あの。この子が驚いてしまうので、やめてください」
「この子ってなんだよ」
「え? だから、私の膝の上にいる、この子です」
「何もいない」
「えっ」
私は目を丸くする。目をぱちぱちと瞬きながら、白猫に目をやると、白猫はなんだか得意げな顔で目を細めた。
「白い猫が……」
「俺にそいつの姿は見えない。猫の姿なのか」
こくりと頷く私に、彼は目を細めながら、訝るように私の膝を見る。
「……よくよく気にすると、何かいるような気はする」
「そうなんですか?」
「ああ。でも姿は見えない。……なんだ、でかい独り言を言ってるのかと思った」
「そんなふうに見えていたのですか」
どうりで、こんなに可愛い白猫を追いかけていたのに、誰にも声をかけられないし、注目も浴びないはずだ。むしろ、このベンチに座ってからの私は、傍目には不審者だったのだろう。
涙目の私に、目の前の彼がくつくつと笑う。
「ここで落ち込むのか。あんたは、もっと我が強くてきつい女だと思ってたよ」
「私を知っているのですか?」
「知らない奴なんているのか? シルバーブロンドの髪に、アイスブルーの吊り目。第一王子を袖にしてた有名な女だ」
「……袖になんて、そんな」
今まで、エルとの婚約解消に向けて相当頑張っていたとはいえ、こんなふうに言われる程有名になってしまっていたのだろうか。エルはよく、私との婚約に関して心が折れなかったものだ。
「その様子を見ると、結局落ちたみたいだな。あんたもその辺の女と同じってことか」
つまらなそうに嘯く彼に、私は目を瞬く。
「あなたは、ラファエル殿下に興味がおありなのですね」
「……別に」
「ニューウェル卿」
「なんだ、気がついていたのか」
「なんとなくですが」
彼は、ラファエル殿下の従兄弟だ。現国王陛下の弟君であるニューウェル公爵の長男。ニコラス=ニューウェル。
「あんな、軽薄そうな笑顔の奴のどこがいいんだか」
彼のあんまりな言い方に、私は吹き出してしまう。
「……そうですね。ラファエル殿下はずっとへらへらしてますもんね」
「あんた、怒らないのか」
「ええ? だって、私もそう思ってましたもの」
くすくす笑う私に、彼は目を丸くする。
「私はラファエル殿下のことが大嫌いなのに、皆がラファエル殿下を褒め称えるから、すっごく腹が立ってました。あんな、へらへらしてるだけの人! って。彼が無闇に優秀だったのが原因なんですけど」
「その割に努力はしてなさそうだしな」
「そうそう。人の得意分野ですら、さらっとこなして超えてくるから、モヤモヤするんですよね」
「自分ができることの価値を分かってない奴だ」
「そう思います。自己評価の低さが、逆にこっちを傷つけるんですよ! 本当に、酷い人」
楽しそうにエルの悪口を言う私に、ニューウェル卿は、毒気を抜かれたような顔でこちらを見る。
「……それでもあんたは、あいつが好きなんだろう? 趣味が悪い」
趣味が悪い。自分でもそう思う。普段エルは周りに王子様ぶっているから、ニューウェル卿は知らないかもしれないけれども、ここにさらに、女好き、小心者、身勝手という特典がついてくるのだ。
自己評価が低くて、普段は身勝手なのに実は弱くて、それでも頑張って立っている私の婚約者。
「自分でもそう思います。――私、本当に趣味が悪いの」
つい、満面の笑みが溢れた。
心に浮かぶのは、私の金色のあの人。――大好き。
ニューウェル卿が、目を見開いて言葉を飲み込む。
「――にゃうん!」
その時、私の膝の上の白猫が、一声鳴いた。
目線をやると、白猫は何故だかこの上ないほど幸せそうに、私に顔を擦り付けながらゴロゴロ喉を鳴らしている。
「ご機嫌なのね?」
「なぁーん」
頭を撫でていると、ニューウェル卿が、呆然としたように私を――私達を、見ていた。
「……見えた」
「え?」
「猫。真っ白で、背中に金の模様がある」
私は驚いて彼を見る。彼は何故か、ふいと目を逸らした。
「そいつは、結構な上位精霊なのかもな」
「上位精霊?」
「そう。精霊は基本的に、形を持たない。精霊召喚で人が呼び出さない限り、人には目視も難しい。こいつはあんたの呼んだ精霊じゃないんだろう?」
「はい。その辺を歩いていて」
「野良か。ならそいつは自分で、俺達に目視できるように姿をとっているんだ。こうやって一部の人にしか見えないなら大精霊ではないだろうが、それなりの奴だろう。学園に野良猫はいない」
目を瞬く私に、白猫は素知らぬふりで、私の膝の上で伸びをしている。
「お詳しいんですね」
「……別に。これくらい1年の授業で習う」
「そういえば、ニューウェル卿は今、第2学年でしたね」
「よく知ってるな」
「それは、まあ」
皮肉げに笑う彼に、私は首を傾げる。何かおかしなことを言っただろうか。
「どうせ、俺の噂だって知ってるんだろう」
「噂?」
「……落ちこぼれの王弟の子で、闇属性の根暗だってな」
私は目を見開く。そのワード、聞き捨てならない!
「闇属性?」
「そうだ。王族なのに、陰湿な魔法の使い手だと揶揄されて……」
「――私もなんです!」
「は?」
「私も、闇属性なんです! 昨日の属性検査で発覚して」
必死の形相の私に、ニューウェル卿は目を見開く。
「あんたが?」
「はい! 私も、きっと根暗の誹りを受けるに違いありません……」
「え、いや、あんたはそんなことは……」
「いいえ! 優しげな顔立ちのニューウェル卿でもそんなふうに言われるなら、私はもっとだめです。だって私、こんなに吊り目で怖いんですよ?」
そう言って私が自分の吊り目を指でさらに尖らせると、ニューウェル卿がぶはっと噴き出した。
「いや、お前、公爵令嬢なのに捨て身すぎじゃないか」
「……流石に笑いすぎです」
「悪かった。いやだめだ、お腹が痛い」
くつくつと笑いが止まらない様子の彼を、私が拗ねたように睨みつける。すると彼は、私の機嫌を取るように、ぽんと私の頭に手を乗せた。
それを見た白猫は、何故だか抗議するように、なごなごと声を上げる。しかし私が、「どうしたのー?」と言いながらわしゃわしゃ撫で上げると、蕩けたようにお腹を見せて、全てを忘れたように、にゃふんと一声鳴いた。ああ……可愛い……。
「あれ? そういえば、闇属性が出たのは5年振りって、ネストリヴェル先生が……」
「ああ、俺はこの学園で魔法適正検査は受けてないからな。もう何年も前に、王宮で受けた」
なるほど。エルは私達と一緒に検査を受けたけれども、王族やその親族だと例外的に早めに受けるとか、そういうこともあるのかもしれない。
「ちなみに、この学園にはあと1人だけ、闇属性が得意な奴がいるぞ」
「えっ」
「そいつは確か、隣国で魔法適正検査を受けていたはずだ。だから、この学園の検査で闇属性を出したのは、お前が5年振りなんじゃないか」
ええー、会ってみたい。もう1人って、どんな人なのかしら。
しかし、この学園には相当数の生徒がいるはずだけれども、闇属性が得意な生徒は、私を含めて全部で3人ということになるのか。
「学園全体でも3人しかいないなんて、かなり少ないですね」
「まあな。だから、1人が変なことをすると、闇属性が得意な奴全員の印象に転嫁されたりするんだ」
よくよく聞いてみると、何やら10年前に学園に通っていた闇属性が得意な生徒が、大変個性的な人物だったらしい。
結果、陰湿だの粘着質だの変人が多いだの、闇属性に関する否定的なジンクスや噂に拍車がかかったのだとか。
最悪の置き土産だと、ニューウェル卿は吐き捨てるように呟いていた。
「うーん。有名な闇魔法も隠密系ばかりですし、そういう誹りは払拭しづらいかもしれませんね……」
そうだ、と私は手を叩く。
「ニューウェル卿は何か、素敵な闇魔法はご存知ないんですか?」
「学園2年目のひよっこに無理言うなよ」
「そうですね……」
「いや、頷かれるのも腹が立つ」
「ええ? 繊細すぎませんか」
不満そうに眉を顰める私に、ニューウェル卿は目を瞬いた。
「そうかもな。……俺は、繊細すぎるのかも」
「そうです。もっとおおらかに生きましょう。王族で権力もあって、それだけ見た目がよくて、お話ししていてもとっても理知的なんですから、未来は可能性でいっぱいです。恵まれてる分、私に優しくしてください」
「お前に優しくするのかよ!」
「言い間違えました。周りに優しくすべきです。手始めに私でどうぞ」
「……お前、なんか見た目と違って、いい根性してるんだな」
「ふふ、褒め言葉です。ありがとうございます」
前向きでしょう? と嬉しそうに笑う私に、ニューウェル卿も肩の力が抜けたように笑う。
「で、手始めに何をして欲しいんだ?」
「闇属性仲間として、闇属性の明るい未来を築き上げましょう」
「壮大すぎないか」
「夢は大きく」
「全く具体性が見えないが」
「何か、闇魔法で、これ! っていう目立った魔法を考えませんか?」
ニューウェル卿は、驚いたように私を見る。
「隠遁とか、目眩しとか、精神魔法とか、そういう隠密っぽい魔法じゃなくて、花火みたいに目立つ魔法を考えましょう」
「花火」
「毎年の王都祭りで見る、火魔法による花火とか、光属性の幻想魔術。あれってすごく素敵じゃないですか」
嬉しそうに語る私に、ニューウェル卿は面白そうに頰を緩める。
「へぇ、そういう浮ついた魔法が好きなんだ」
「そうです。私は結構、浮ついた女です」
「語弊がありすぎないか」
「そうかしら。……とにかく、いい魔法を思いついたら、お互いに教えあって、研究するんです。上手くいけば、第3学年の卒業論文に使えるかもしれませんよ?」
そう言う私に、彼は意地の悪い顔をする。
「それで、俺が自分の卒論でネタを使い切って、お前の卒論用には何も残らない訳だな」
「ちょっと! すでに裏切りですか?」
「冗談だよ。……まあ、考えておく」
「もう。意地悪な先輩だわ」
ぷい、とそっぽを向く私に、ニューウェル卿は、ぽつりと呟いた。
「……あんた、面白い女だったんだな」
「?」
「あんたは、なんであいつが好きなんだ?」
さらり、と髪を掬い取られて、私は目を瞬く。急に、どうしたのだろう。
「私は――」
「――シェリー!」
エルだった。息を切らして、私達の方に駆けてくる。どうしてここが分かったんだろう。
「エル、どうしたの」
「君が帰ってこないから、嫌な予感がして……。君こそ何をやってるんだ。こんなところで男と二人で」
「え!? ええと、この子が……」
「――ラファエル殿下。お久しぶりです」
ニューウェル卿が、会話に割り込んでくる。エルは彼を、眉を顰めて睨みつけた。
「……ニコラス。久しぶりだな。こんなところで何をしてるんだ」
「これはまた随分な態度だ。そんなに余裕がないと、ようやく捕まえた小鳥に逃げられてしまうんじゃないかな」
「余計なお世話だ。行こう、シェリー。そろそろ昼休みも終わる」
「えっ、ちょっと待ってください。あの、この子が……」
そう言って膝の上を見ると、白猫はエルを見て、とても嬉しそうに「なーん」と鳴いた。
「猫?」
「エルには見えるの?」
「……? 普通に見えるけど」
流れるようにエルが白猫の頭を撫でると、白猫はにゃーんと一声鳴いて、ふわりと溶けるように消えた。
「えっ」
「あ、消えちゃった……」
「やっぱり精霊だったのか」
白猫が消えた後、キラキラと光る魔力の残滓が残っていたが、それもすぐに消えてしまった。
私は残念で、つい、白猫のぬくもりの残った自分の膝に手を当てる。
「じゃあ、俺は行く。またな、フィリー」
「え? あ、ちょっと。勝手に愛称で呼ばないでください!」
「ニコラス! お前……」
慌てる私と怒るエルを置いて、彼は姿を眩ませてしまった。闇魔法だ! なんだか、思った以上に闇魔法、便利かも……?
「シェリー?」
びくりと肩が震える。やばい。流石のエルも、これには怒っているようだ。
「エ、エル……」
「ずいぶん仲良くなったようだね?」
「そんなことないのよ。さっきの白猫さんについて、色々お話してただけで」
「それで、家族でも婚約者でもないのに愛称を呼ぶくらい仲良くなったんだ?」
「……ごめんなさい」
こういう時は、言い訳より、素直に謝る方がいいだろう。
「謝るようなことをしたの?」
よくなかった!
「……エル」
「…………ごめん、意地悪を言った」
困ったようにエルを見つめる私に、エルはため息をついた。
「あいつは癖のある奴だから、気をつけて。変に気に入られたみたいだし」
「……分かったわ。心配かけてごめんなさい」
お友達になってしまったし、そもそもエルの親族だから近づかないのは無理かもしれないけど、エルに誤解されるようなことはないように気をつけようと思う。
こてり、とエルの肩に頭を乗せると、エルはようやく頰を緩めてくれた。
「どうしたの?」
「ううん。ニューウェル卿にね、私がエルのことが好きって話を沢山してたから、甘えたくなったの」
驚いたように目を見開くエルに、私はふふっと笑って、「好き」と言いながら腕に抱きつく。
「……シェリーは悪い女だなぁ」
「? エル?」
「いや。……ちょっとあいつに同情した」
首を傾げる私に、エルは少し顔を赤くしながら、教室へ向かって歩き出す。
「……エルは言ってくれないの?」
「シェリー」
私が不満そうに見つめると、エルは観念したようにため息をついた。
「好きだよ、シェリー」
その言葉に、私が心からニコニコ笑っていると、エルが何かに耐えるような顔をして言った。
「シェリー。これだけ煽ったんだから、覚悟しておいてね」
「え?」
一体何のことだろう。
翌朝、通学の馬車の中でエルに思う存分に好き勝手された私は、エルの目の前でニューウェル卿と話すのは止めようと心の中で誓ったのだった。




