もう一度チャンスをくださいませ
「泣かなくても大丈夫だと言っているだろう。ほら、俺は回復魔術も得意なんだ、殴られた打撲などたいしたことはない」
さっきから何度もそう聞かされているけれど、わたくしの涙はそう簡単には止まらない。
だって、ヴィーの小さな体が殴られて空に浮くのを見てしまった。
し、死んでしまうのかと怖かった。
泣きながら、ヴィーが殴られたと思しき右肩のあたりと左足の付け根を撫でさすり、左の脇腹をさすろうとしたところで、ヴィーの小さな前足がはっしとわたくしの手を押しとどめる。
「大丈夫だから! そんなに泣くと目が溶けてしまうぞ」
「だって、わたくしのせいで……ごめんなさい」
「いや、俺の読みが甘かった。女性にとって、街は安心して歩ける場所ではないんだな。貴族の装いをしているわけではないから、もう少し安全なのかと思ってしまった。こちらこそすまない」
涙で濡れたわたくしの手の上に、ヴィーの黒くて丸いもふもふの小さなお手々がポス、と乗った。見上げてくる真っ黒なお目々が綺麗で、やっとわたくしの涙も止まる。
勇敢で優しい猫ちゃんは、いつだってこうして慰めてくれるけれど。
「わたくしに隙があるのが悪いのに、ヴィーはいつもそうやって庇ってくれるのね。でも、わたくし、ちゃんと分かっているわ」
心配そうに見あげるヴィー。でも、甘えてばかり居られないというのも分かっているの。
「まだ街になれなくて、おどおどしていたせいもあると思うわ。それに、ヴィオル様に褒められて気持ちが浮き足立っていたのもきっと悪かったの。もっと堂々と歩けば、あのようにからまれたりしなかったかも知れないのに」
「……少しずつ、慣れていけばいいんだ、セレン嬢」
それだけ言ってヴィーはテーブルから飛び降り、振り返りもせずにキッチンへ入っていった。その小さな後ろ姿を見送って、わたくしはぐいと指で涙を拭う。
ああもう、きっとお化粧も落ちて、凄い顔になっているに違いない。今日はもともとリンスには邸にいると言っていたおかげで薄化粧だったからまだマシかも知れないけれど、それでも涙の跡は残るわよね……。
ヴィーに頼んで、鏡を見せて貰おうかしら。
今度こそ堂々と街を歩いて、ヴィーに迷惑をかけるようなことがないようにしなければ。
決意を新たにするわたくしの目の前に、すっと水が入ったコップが差し出されて、わたくしは息をのんだ。
「……!」
「随分泣いたようだ、少し水分を取った方がいい」
いつの間にかすぐ傍に、コップとハンカチを手にしたヴィオル様が立っていた。
「ヴィオル様!!」
思わずばっと立ち上がって、すぐにわたくしはくるりと後ろを向いてしまった。こんなにぐちゃぐちゃな顔を見られるだなんて、情けなくて悲しくていたたまれない。
わたくしは失礼だと思いながらも、後ろを向いたまま声を絞り出した。
「申し訳ありません、ヴィオル様……! わたくしが不甲斐ないばかりに、ヴィーにケガを負わせてしまって」
「ああ大丈夫だ、状況は理解している。ヴィーも言ったと思うが、なんの問題も無い。魔獣などと戦えばあんなもんじゃない攻撃などいくらもある」
「ですが……!」
「街中で油断して防護壁も張っていなかったしな、次回からお互い気をつけよう」
ヴィオル様があまりにもなんてことない、という声で仰るものだから、わたくしはおずおずとヴィオル様の方を振り返る。
「まぁ水でも飲んで落ち着いてくれ。あと、これも良かったら使うといい」
そう言ってお水が入ったコップと、濡れたハンカチを渡してくださるヴィオル様が優しすぎて、わたくしはまた涙がにじんできた。どうしてヴィーもヴィオル様もこんなに優しいのかしら。
二人の懐の深さが有り難すぎて泣けてくる。
お二人のためにもわたくし、もっともっと頑張って強くなって、絶対に特級魔術師に一発合格してみせるわ。
ヴィオル様から受け取ったお水を飲み干し、濡れたハンカチで涙を拭き取った。鏡を見せて貰ったら、もちろんお化粧なんて残っていなかったけれど、もうそんなことを言っている場合ではないもの。幸い今日は薄化粧だったから、驚くほど顔が変わったわけでもないし。
鏡の前で、自分の顔を睨み付ける。
できるわ。きっと出来る。
さっきの失敗を取り戻す手段ははっきりしているのだもの。
あの男の人たちは、「道に迷ったのか?」と声をかけてきた。堂々と歩けばそんな声をかける隙を見せずにすむかも知れない。「わたくし、だってよ!」と笑ってもいた。きっとわたくしの言葉や素振りが下町の方達とはかけはなれているんだわ。町を歩きながら女性達のことばや仕草を研究すれば、わたくしも町になじめるかも知れない。
そう、やれることはきっと沢山ある。
自分を奮い立たせて、わたくしは決意と共に振り返った。
「ヴィオル様、今度はヴィーを危険な目にあわせることがないよう、わたくし、精一杯尽力しますわ。もう一度わたくしにチャンスをくださいませ。せっかくヴィーが苦労して部屋から連れ出してくれたのです。わたくし、どうしてもちゃんと今日の目的を全うしたいのです……!」
すると、ヴィオル様はぽかんとした顔でこう仰った。
「え……俺が同行しようと思っていたんだが」
今度はわたくしがぽかんとする番だった。




