いいから降りろ!
「そんで? 今日はどうしたぁ」
ダン爺がそう聞いてくれて、わたくしは自身の手にあるものの存在を思い出した。
「あの、これ……」
「ああ、カートなぁ。今日は晴れとるで、あそこに置いてていいもんじゃあ」
「違うの、わたくしこの……カート? に興味があって。今夜だけ借りることってできる?」
「そりゃぁまた、しばらく会わんうちに変なモンに興味を持つようになったもんじゃあ」
ダン爺は愉快そうに笑った。
そうよね、いきなりこんなものに興味を持つだなんて変に思われるのは仕方がないことだわ。でも、これならわたくしの理想に近い気がするんですもの。
「そうじゃのー、ちょっと待っとれ」
「?」
ダン爺は作業小屋の奥の方でゴソゴソしていたかと思うと、かなり古びているけれどわたくしの手にあるものと形はそっくりなカートを取り出した。
「ちいと古いが、これならしばらく貸しとってもいいでなぁ」
「ほ、本当!? すごく嬉しい!」
借りておける時間が長ければ長いほど、練習できる時間が長くなるもの。わたくしは嬉しくて、ダン爺にギュッと抱きついた。
「ありゃー、嬢ちゃんももう年頃なんじゃから、そう簡単に抱きついちゃあいかんぞ。それよりホレ、洗ってやるでなぁ」
わたくしが子供の時から変わらない優しい笑顔で、ダン爺はお古のカートをささっと洗ってわたくしに手渡してくれた。
「ありがとう、ダン爺! 大事にするわ!」
ニコニコと頷くダン爺に手を振って、わたくしは邸へと戻る。返す日まで、壊さないように大切に使わないと。
***
「は?」
「だから、わたくし、このカートで空を飛びたいと思うの」
「は? え? 空……?」
「ええ、空を。飛びたいの」
ヴィーが怪訝な顔で聞き返す。わたくしはもう一度はっきりと言いなおした。
その日いつも通りの時間に現れたヴィーに、わたくしの計画を話してみたのだけれど、どうも納得できないみたい。くびを傾げ、しっぽの先もくるんと曲がってハテナの形になってしまっている。
「これは荷を運ぶ物ではないのか? 空を飛ぶには適していないと思うが」
「まぁ、ヴィーって本当に物知りなのね。そうよ、庭師のダン爺に借りてきたの。肥料とかを運ぶ物なんですって」
「だよなぁ」
「ええ、だからわたくしを運んで貰おうと思って」
「いやいやいや、無理だろう!?」
とんでもない! みたいにヴィーは言うけれど、そんなこともないのよ? だってわたくし、ちょっとずつこのカートの扱いに慣れてきたんですもの。
「ヴィー、見てて!」
「おわっ、危ないって!」
ヴィーが慌てて止めようとするけれど、本当に心配ないのよ。
それを証明するために、わたくしはカートの上に両足をのせて、取っ手に背を預け精神を集中する。
まずは後ろからの風を再現すると、車輪がゆっくりと動き始めわたくしを乗せたカートが床の上をじわっと前へ動き始めた。
「わ、分かった分かった。ひとまず降りてくれ」
長い尻尾を体に巻き付け、お目々をまんまるに見開いているのが可愛らしい。わたくしがそろそろと前へ進んでいくのを察知するようにお髭がピンと張ってしまっている。ヴィーから緊張がビンビン伝わってくるけれど、もう少しだけ見守っていて欲しい。
わたくしは目を閉じて、今度はゆっくりと下からの風を加えていく。
ふわ、と体が浮いた。
「ひえ……っ」
あまりにも消え入りそうなヴィーの声に目を開いたら、ヴィーのお耳がぺったんこに寝てしまっていた。
「ふふっ」
笑ってしまって、いきなり集中力が切れてしまった。
トスン、と音を立てて浮いていたカートごと床に着地する。手のひらほども浮いていないから、落ちたところでダメージなんてさほどない。ちょっとぐらっとしたけれど、その程度だ。
「ごめんなさい、そんなに怯えるなんて思わなくて」
「いいからカートから降りろ!」
今度は耳もお髭もビンビンに立って、しっぽなんて膨れ上がってしまっている。あまりの剣幕に仕方なくカートから降りたら、フン! と鼻息荒く寄ってきて、カートとわたくしの間に割って入って来た。
「まったく! 怖いに決まっているだろう! そんなのでセレン嬢がケガでもしたら俺が後悔してもし切れん!」
「さして浮いてもいないのに」
「それでもだ! どうしてもやりたいなら、俺がそのへなちょこカートに乗ってやる!」
シュタっとカートに飛び乗って「やってみろ!」とすごまれると途端にわたくしも及び腰になってしまった。だって、ヴィーにケガはさせたくないもの。
「……やめておくわ」
「どうした急に。怖じ気づいたか」
「……」
わたくしは、コクリと頷いた。
もうちょっと上手くなってから、と内心思っていたけれど言わないでおく。言ったらすごく怒られそうだもの。
「なんでこんなに突拍子もないことばかり思いつくんだ。……いやいや、そこを期待していたんだった」
ぼそぼそと呟いてなにやら自分で納得したらしいヴィーは、やっと落ち着いた様子でわたくしを見上げる。
「結界を張る。普通~~~に鍛錬するが、いいな?」
わたくしはコクコクと頷いた。
仕方が無い。飛ぶ練習は、一人の時にこっそりやるしかないわ。




