【セレン視点】まさか、こんな事になるなんて
「まあ、それではフハラシャ王子を魔獣討伐に連れて行くことになったのですか?」
思いがけないヴィオル様の言葉に、わたくしは驚きを隠せずにちょっと大きめの声をあげてしまった。
だって、魔獣討伐なんて陛下やヘリオス殿下でも絶対に許されない。
なのに、いくら依頼があったとはいえ他国の王位継承権を持つ王子様を立ち会わせてもいいのかしら、とどうしても心配になってしまうのですもの。
「ああ。数日後にキチュルの森に行く事になっている。アルカンレシラのたったひとりの王位継承者だからな、俺もさすがに無理なんじゃないかと思ったんだが……まぁ、本人が魔獣と戦うわけでもないからな」
本当に他国の王族を魔獣討伐に同行させていいのかしら。
そんな余計な心配をするわたくしに、ヴィオル様はなぜかふんわりと微笑んだ。
「? どうかしました?」
「いや、ちょっとあの頃を思い出していた」
「えっ」
「いや本当にあの頃は討伐に行くたびに気が気じゃなかった。セレン自体が魔獣と戦わないと意味がないだけに、やきもきしながら見守るしかなかったからな。だが、そういう気持ちも新鮮で、思い出すとなんだか懐かしい気持ちになる」
「嫌だわ。あの頃のわたくし、本当に世間知らずで……ヴィオル様にも随分ご迷惑をかけてしまって。今となってはちょっと恥ずかしいのですけれど」
「そうか? ああでも確かに、魔術を習ったこともないのに、魔術師の最高峰である『特級魔術師』を目指す、しかもたった三か月で、というのは正気の沙汰ではなかったな」
ヴィオル様が笑う。
あの頃は名案! と思ったけれど、冷静に考えると本当にとんでもない事を言い出したものだわ。
ヴィオル様という素晴らしい指導者にマンツーマンで教えて貰えたからこそ実現できたけれど、あの頃のわたくしは無鉄砲で向こう見ずだったのだ。
「あれは、仕方なかったというか……」
消え入るような声で言い訳するわたくしに優しい笑みを浮かべたヴィオル様は、今度はベビーベッドですやすやと眠るレアリーの方へと移動して、その愛らしい寝顔を見つめた。
「レアリーもセレンのようにお転婆な女の子に育つかも知れないな。現時点でこれだけ俺達をやきもきさせてるんだから。今日は大人しくしていたか?」
お転婆だと言われるのはなんだか不本意だけれど、レアリーは確かに元気のいい子に育ちそうではある。
なんといってもハイハイの速度がすごくて、常に意欲的に動いているもの。
「どんどんハイハイの速度が速くなっていてびっくりするくらいですわ。一生懸命でとても可愛らしくて」
「すごいな。できれば歩けるようになるところはこの目で見たいものだが」
「そうですね、わたくしもレアリーの勇姿をヴィオル様と一緒に見たいものですけれど……こればっかりはレアリーのタイミングですものね」
「ううむ。仕事に行かなければならないわが身が辛い」
「ふふふ」
本当に辛そうに眉根を寄せるヴィオル様が面白くて笑いが漏れる。
くすくすと笑っていたら、ヴィオル様が嬉しそうに微笑んだ。
「良かった、この様子ならあまりおかしなことは起こっていないようだな」
「ええ、ヴィオル様の結界のおかげでレアリーが消える事はなくなりました」
「そうか、良かった」
そう、大きな問題はなくなった。レアリーが消える事はなくなったから、皆が慌てて探し回ったり、恐怖に駆られたりという事もなく、落ち着いているのは間違いない。
「ただ、時々一瞬で部屋の中央から端に移動していたり、ベビーベッドに寝ていた筈が壁際の床で泣いている事は何度かあるので、やはりレアリーは何某かの魔術を用いているのではないかと思います」
「む……」
「ヴィオル様の結界で阻まれていなければ、いつ消えてもおかしくない気がしてきましたわ」
「そんなに頻繁なのか」
「ええ、それだけ一生懸命なのでしょうけれど、心配ですわ」
「そうだな。ちょっと結界を強めにしておくか」
「そうしていただけると安心ですけれど」
もう少しレアリーが大きくなって、困ったときの対処ができるならばまだいいのだろうけれど、今は戻ってくるという考えすらないだろう。
ヴィオル様の結界がそうそう破られることなんてないとは思うけれど、用心に越したことはない。
ヴィオル様が結界を強化してくれたのを見てホッとする。
これでレアリーがどこか分からないところに消えてしまう事もないだろう。
そう思っていたのに。
それからたった数日の後、わたくし達は蒼白になって邸中を右往左往する羽目に陥ってしまったのだった。
その日はいつも通りの落ち着いた一日で。
お天気も良くて、ぽかぽかと暖かく気持ちいい陽気だったものだから、午後からレアリーを連れてお散歩に行くのもいいかも、なんて呑気に皆とお話していたというのに。
ベビーベッドの脚に掴まってつかまり立ちの自主トレをするレアリーを微笑ましく見守りながら、お散歩の準備をしていた時だった。
「あうー……」
レアリーが何か不満そうな声を上げて、周囲を見回す仕草をする。
「あうー……あうっ、あ」
可愛い。
つかまり立ちはまだまだ二、三秒しか続かなくて、立ち上がっては尻餅をつき、の繰り返しで、レアリーにとっては不満なのだろう。
ぺちぺちとベッドの脚を叩いていたかと思うと、いきなりわたくしの目の前で、すうっとレアリーの姿が消えていく。
「!!!???」
同時に、結界が破られてしまったのを感じたわたくしは、息を呑んだ。
「結界が!!!」
叫ぶと同時にベビーベッドに駆け寄ったけれど、当然のようにレアリーの姿はない。
「大変! 誰か! 誰か来て……!」
わたくしが叫ぶと、邸のあちらこちらから皆が駆けつけてきてくれる。
「どうしました、セレン様!」
「レアリーが! レアリーが目の前で消えてしまって……!」
「目の前で!?」
「本当だ、レアリー様がいない」
「前みたいに邸のどこかにいるのかも! オレ、探してきます!」
そう言ってジャンが走り出した音でハッとした。
「そう、そうよ、呆然としている場合じゃないわ。レアリーを探して!」
「は、はい!」
「リンスとアルバートはジャンと手分けをして一階を探して!」
「分かりました!」
「キャロルさんは申し訳ないけれど、二階を」
「任せてください!」
「わたくしは自室を探しながらヴィオル様に連絡するわ」
そう言いながら、二階のわたくしとヴィオル様の寝室へと走る。
まさか、こんな事になるなんて。




