【ボーデン視点】なんという難題だ
心ここにあらずな様子で黙々とスイーツビュッフェを平らげていたヴィオルは、最後のケーキを食べ終えると「また来る……」と言って私の部屋から退散した。その後ろ姿を見送って、私もひとつ深い息をつく。
いやはや、まいった。
あの朴念仁が、恋、ねぇ……。
最初にセレン嬢をダンスに誘うつもりだと聞いた時には、ヴィオルもそろそろ女性をダンスに誘うくらいの甲斐性はあった方がいい、と軽く考えていた。
だが、今日の二人の様子を見て、実際ちょっと肝が冷えてしまったのだ。
傍目に見たらそこまで突出したことなど無かっただろう。だが、私には分かる。ヴィオルのあんなに素を出した笑顔がどれほど稀有なことか。
そして、セレン嬢のあの打ち解けた様子。楽しそうでもあり、はにかんだ様子でもあり……放っておくとごく自然に恋愛に発展しそうな、そんな予感すら感じさせる。
なんということだ。
ようやく殿下も第一歩を踏み出したところだというのに。
つい先日の話だ。セレン嬢が妃殿下に妃教育の時間を自習に充てたいと申し入れた時、私と殿下はたまたま妃殿下に所用があって奥の部屋に居合わせたのだった。
「ずうっとセレンちゃんも勉強漬けだったのだもの。自習と言わず、すこし城下ででも遊んで羽を伸ばしてほしいわねぇ」
セレン嬢が退出したあと、妃殿下がおっとりと口にした言葉に、殿下はふと気がついたようにこう言った。
「城下で遊ぶ……そうか、確かにリースやマシュロたちはよく城下で遊んでいるようだ」
驚いたのはこっちの方だ。まさかとは思うが、殿下は城下で遊んだことすらないというのか? いやいや、お忍びで城下を散策するなんて通過儀礼、スルーする方が難しい。
というか、待てよ?
「殿下はあまり城下にはお出にならないのですか? セレン嬢とはどこで親交を深めるのです?」
「学園ではなかなか会わないが、サロンや夜会でしょっちゅう顔を合わせるからな。親交など自然に深まるものだろう」
「まぁ! ヘリオスったらセレンちゃんを放ったらかしなの!?」
妃殿下が自身の両頬をおさえて叫んだ。妃殿下も驚愕の表情だが、私も充分に驚いた。聞いてみて良かった、この分だとデートすら経験せずに婚姻の儀を済ませる、なんてことに発展するところだった。
昔ならいざ知らず、今のご時世、婚約者なんて大層なものが決められているのは王族くらいだ。貴族も庶民も恋愛結婚が一般的な中、婚約制度に疑問を呈する向きも多い。
どうやら殿下とセレン嬢はそれでもごく自然にこの婚約を受け入れているようではあるけれど、それにしたって女性ならば二人きりで甘い時間を過ごすシチュエーションに憧れがあるだろう。
このままではセレン嬢が可哀想ではないか。
「放ったらかしているつもりはないのですが」
「だってデートにも誘っていないんでしょう? まぁまぁまぁこの子ったら! お勉強の前に、そういう大切なことを教えるべきだったわ!」
「妃殿下、落ち着いて」
一気にヒートアップしてしまった妃殿下を宥めていたら、逆からは迷子の仔犬のようなつぶらな瞳を向けられる。「ボーデン宰相……」と呼びかける声がいつもより弱々しい。
「婚約者とその……デートしたことがないというのは、そんなにマズいことなのだろうか」
「由々しき事態よ!」
殿下は私に尋ねてくれたのだが、妃殿下が先に答えてしまった。まぁ、私も由々しき事態だとは思う。思ったからこそアドバイスしたし、その後満面の笑顔で「ボーデン宰相、とても楽しかった! セレンと揃いのペンを買ったんだ。これからは頻繁にセレンをデートに誘おうと思う」なんていう可愛い報告を受けたのだ。
親友の遅い初恋は応援したい。
さりとて相手はよりにもよって殿下の婚約者だ。立場的に応援もできない。しかもすでに私は殿下にアドバイスしてしまっている。
なんという難題だ。
「兄さん!!!」
扉がバタン! と大きな音を立てて開いたものだから、さしもの私もびくっとした。どうやら考え込み過ぎていたらしい。
「どうした、リース。らしくないな」
「どうしたもこうしたもない。兄さんの親友だか悪友だか知らないけど、あのヴィオル師団長はいったい何を考えているんだ!」
「お、おいおい、何をそんなに怒っている」
「セレンは殿下の婚約者だぞ、それをあんな腕前でダンスに誘うとは身の程知らずじゃないか」
「いや、まぁ……」
「……僕だって、ずっと我慢してたのに」
ヴィオルを弁護しようとした瞬間、リースの口から漏れた小さな呟きに、私は絶望的な気持ちになった。
「リース、お前もか……」
げんなりするどころの話じゃない。
……いや、しかし待てよ? セレン嬢がリースの妻となり、領地経営にも手を貸してくれたら、うちの領地は安泰じゃないか?
王宮はなんだかんだ優秀な人材が集まっている。セレン嬢が抜けるのは正直痛いが。私の頭髪が家出しないか心配だが。それでも人材を駆使すればなんとかなる。
人材の意味では領地経営の方がはるかに困難だ。リースもデキる弟だと思ってはいるが、セレン嬢とタッグを組めるなら、かなりバランスのいいペアになるだろう。
いやいや、何を私欲に走っているんだ。
「リースはセレン嬢が好きだったんだな……」
穏やかに問えば、俯いたまま、小さくリースの顎が縦に動いた。我が弟は常識的な人間だ。殿下の婚約者である限り、セレン嬢に気持ちを伝えることなど出来はしまい。だからこそ、急に現れたヴィオルが躊躇なく彼女の手を取ったことに怒りを覚えたんだろう。不憫だ。
そして私も充分に不憫だ。悩みの種が増えてしまった。
リースの頭をよしよしと撫でて慰めてやりながら、私はぐるぐるぐると考える。考え過ぎて目眩がした。誰の応援をすればいいんだ。いやむしろ、他の二人に申し訳なくて誰の応援もできる気がしない。
またひとつため息をつき、私は静かに決意する。
よし、しばらく放っとこう。
逃げだと言うなかれ。言ってもセレン嬢と殿下の婚姻について正式に国内外に発表され、婚儀の日取りも明示されるだろう殿下の生誕祭は、まだ一年近く先の話だ。ということは、各国へ招待状などを送付したり、式典の内容を詰めていく準備期間まであと半年はある。
セレン嬢も含めた各々から適宜状況をさりげなく聞いて、なにが起こってもフォローできるように備えればいいだけの話だ。
ああもう、セレン嬢……なんて罪作りな人なんだ。




