思いがけないお誘い
艶めかしい漆黒の布地に控えめな銀の刺繍が施されている上品なテールコートを身に纏ったヴィオル様がいた。
今日も真っ黒なのね。
以前は夜の闇のようなお方だと思っていたけれど、いまや黒猫ちゃんがダブって見える。
「ヴィオル様が夜会においでになるなんて珍しいわね」
「やっぱり美しいわ」
「あの無表情がいいのよねぇ」
「あの冷たい瞳に射抜かれてみたいものですわ」
わたくしがついお名前を口にしてしまったからか、お友達の令嬢たちも口々にヴィオル様のことを噂し始めてしまった。いえ、きっと機会を窺っていただけで、みんなさっきからヴィオル様のことが気になっていたのだろう。
皆が言うとおり怜悧な横顔は、誰も寄せ付けないような空気を醸し出していて、まさに『氷の魔術師団長』という印象だ。……本当はとても優しい方なのだと、わたくしは知っているけれど。
「何を熱心に見ておいでなのかしら」
「もしかしてヘリオス殿下とマリエッタ様のダンス?」
そう言われてふと気づく。確かにヴィオル様の視線の先には優雅に踊る二人の姿があった。
見惚れてしまうのも無理はないわ。だって二人の踊る様は本当に惚れ惚れするほど美しいのだもの。
「まさかヴィオル様もマリエッタ嬢狙いなのかしら」
「そんなぁ、勝ち目がないわ」
「マリエッタ嬢も早く特定のお相手を決めてくださればいいのに」
皆の可愛い嫉妬の声が聞こえたのか否か、ヴィオル様がこちらに顔を向け……わたくしと目が合った。
僅かに心臓が跳ねる感覚を覚えて、わたくしは心の中で少しだけうろたえる。
でも、だって、仕方が無いわ。
今日のヴィオル様は一段と凜々しく見えるのですもの。先日お会いしたときはローブをお召しになっていたし、髪も適当……というか、纏めたりもしていなくてなんとなくラフなイメージだった。それが今日は、かちっとしたテールコートに纏め髪、背筋がしゃんと伸びて立ち姿も美しい。
「あっ……」
少しだけ、微笑んでくれた気がして、わたくしの目はヴィオル様の目元や口元の僅かな動きを追ってしまう。黒猫ちゃんがダブって見えるなんて言ったけれど、ヴィオル様にはお耳もしっぽもないから、ヴィーみたいに感情が透けて見えたりしない。
わたくしの心臓はなぜか小さく不規則に跳ねては存在を主張している。
「きゃあ、こっちをご覧になっているわ」
「まあ、どうしましょう」
目が離せずにいたら、ヴィオル様がスルスルと人波を躱しながらまっすぐにこちらへと歩いてくる。
わたくしは思わず立ち上がった。
さっきからずっと目が合っているし、なにより夜会でお会いできたらご挨拶をしようと思っていたのだもの。ここはしっかりと礼を尽くしておくべきだわ。
案の定、わたくしの元へと歩み寄ってくださったヴィオル様が、ふと小さく笑みをこぼす。
わたくしの周囲では息をのむ音が聞こえた。きっと皆、「ヴィオル様が笑った!」とでも叫びたいのを我慢しているに違いない。
滅多に見ることができないヴィオル様の笑みと、いかにも接点がなさそうなわたくしの元へおいでになったという二重の驚きで、周囲の人々の目は完全にこちらに向いてしまっている。
特にこの場所は、踊るでもなく皆おとなしくテーブルについて食事やお酒を楽しむスペースだもの。注目される条件が揃っている。わたくしは、めまぐるしく思考して、なにをどこまでこの場で口にした方がいいかを検討した。
「良かった。セレン嬢、体の調子は良いようだな」
「おかげさまでとても快調ですわ。そのせつは疲労回復の魔術を教えていただきありがとうございました。ぜひお礼を、と思っておりましたの」
「今にも倒れそうだったからな。体調が戻ったならば良いんだ」
根も葉もない噂が立たないように、ヴィオル様との接点を簡単に口にする。
ヴィオル様とお話できるのはとてもとても嬉しいし胸が踊るけれど、この周囲の注目具合では単に雑談するのにも配慮が必要だ。人の心の機微を読むのが苦手なわたくしにとっては緊張する局面になってしまった。
こんなに注目されているというのに、ヴィオル様はとくに気にした様子もなく飄々と言う。
「とくに礼など必要ないが……そうだな、代わりと言っては何だが、ひとつ頼みがあるんだが」
「はい、わたくしにできることなら何でも」
そう答えたというのに、ヴィオル様はなぜか僅かに言い淀んで、窺うようにわたくしを見た。
「その……俺と一曲、踊ってくれないだろうか」
「えっ……」
周囲からキャーッという悲鳴のような歓声があがる。
わたくしは唖然としてしまった。
だってデビュタントからずっと、わたくし、身内以外からダンスに誘われたことなんてないのですもの。
「……駄目か?」
わたくしが驚きで答えきれずにいたら、ヴィオル様がわたくしを見つめ小さくそう尋ねた。その姿に耳としっぽをシュンと下げた可愛い黒猫ちゃんが重なる。
そんな目で見ないで欲しい。
落ち着け、落ち着け。わたくしは自分に言い聞かせる。
わたくしが慣れていないだけで、夜会で色々な男性と踊ることは別に珍しいことでもなんでもない。だから、まるで当然のように微笑んでお誘いを受ければいい。ただそれだけのことだ。
くれぐれも赤くならないようにしなければ。
脳内で瞬時にそう考えてヴィオル様にお答えしようとした時、ヴィオル様がわたくしの方に一歩足を進め、その手を差し出してくれた。
「セレン嬢、どうか手をとってくれ」
「……喜んで」
キャーッという歓声の中、わたくしはできるだけ自然に見えるように微笑んで、ヴィオル様の手をとった。
頬が赤くなっていないといいのだけれど。
行け行けヴィオル派の皆様、お待たせしました!




