皮肉なものだわ
「あのガラスペンの使い心地はどうだい?」
いつものように最初のパートナーとして踊りながら、ヘリオス殿下が問う。わたくしはその紫色の目を見つめ返しながら微笑を返した。
「もったいなくて、まだ使えないでいるんですの」
嘘ではない。けれどきっとわたくしはあのペンを汚すことはないだろうと思いながらそう答える。
「確かに美しいペンだが、使い勝手もとてもいいものだから、ぜひ使って欲しいね。書き味が悪くなったらまたプレゼントするよ」
「ありがとうございます。でも、もう少しだけ美しさを愛でてから使いますわ」
そんな風に他愛ない話をしながら身を寄せ合って踊る。こんな風に踊れるのは、あと何回あるかしら。夜会は月に一度だけ、毎月十五日に開催されている。ヴィオル様が、今年の特級魔術師の試験は火の月七日と言っていたから……そう考えて、わたくしは思わず息を飲んだ。
結果がでるのがいつなのかは聞いていなかったけれど……もしかしたら、来月の夜会が最後になるかも知れないのね。
急に現実味を帯びてきて、わたくしはヘリオス殿下の瞳をもう一度見上げた。
次で、こんな距離感で顔を見ることもなくなるかもしれない。特級魔術師は上位貴族待遇だから夜会に出る権利はあるけれど、こちらから婚約を破棄しておいてこんな風にダンスができるとは思えないもの。
毎月毎月共に踊ってきてすっかり慣れたステップも、ヘリオス殿下のよどみないリードも、しっかり堪能しなければ。
そう思っていた矢先に、ふ、とヘリオス殿下の顔が逸らされた。いつにないその動きに、わたくしは思わず「どうかなさいました?」と小さく尋ねる。体調でも悪いのかも、と心配になったからだった。
するとヘリオス殿下の肩が僅かに動いて、顔が元の位置に戻る。それでも瞳は逸らされたままだった。
「いや……セレンがいつもより、あんまり僕の顔をじっと見るから……気恥ずかしくなってしまった」
「ま、まあ……すみません」
そう言われればヘリオス殿下の頬も耳も、いつもより少し赤い。
もうこんな距離で見ることができなくなるのだと思ってしまって、あまりにも見つめ過ぎてしまったらしい。恥ずかしい。
「それにセレン、今日は随分いつもと雰囲気が違うね」
「確かに先日のお出かけの時のように、今日は髪をおろしておりますし……ドレスやお化粧も……ちょっと派手だったでしょうか」
リンスのすすめで今日はお化粧もドレスもいつもよりもずっと明るめにしてある。睡眠をよくとっているからか以前に比較して肌の色艶がよくなったものだから、ドレスやお化粧も変えるべきだと言ってくれたのだ。
「派手なものか、とても綺麗だ」
「あ、ありがとうございます」
ヘリオス殿下が褒めてくださって、わたくしは少しうつむいて口の端で笑った。
婚約を破棄するために努力している今になって、ヘリオス殿下と出かける機会をいただいたり、こうして褒めていただいたりするなんて皮肉なものだわ。
そしてふと、疑問に思った。
どうして急に、ヘリオス殿下の行動が変わったのかしら。
わたくしの行動が変わったのには明確な理由がある。それならば、もしかしてヘリオス殿下にもなにがしかの理由があって、わたくしと出かけてみたり、わたくしを褒めてくれたりしているのかしら。
真意が分からなくてヘリオス殿下をもう一度見上げたときにはすでに音楽がゆっくりと流れていて、このダンスの終わりを示唆していた。
ああ、終わってしまう。
その気持ちが伝わってしまったのだろうか。ヘリオス殿下は少しだけ寂しそうな顔をした。
「名残惜しいな」
そんな事を言ってくれたのは、夜会に一緒に出席するようになって初めてのことだった。
そんなわたくしと入れ替わるように殿下の傍に現れたのはマリエッタ。
わたくしの次にマリエッタがヘリオス殿下と踊るのは、もう当たり前のようになってきている。マリエッタが社交界へデビューした一年半前、夜会が初めてのマリエッタを確実に紳士的に扱ってくれ、しかも将来的に身内になることが決まっていたヘリオス殿下にマリエッタを託したのはごく自然なことだった。
わが国の夜会では同じ人と何度も踊ることは良しとされていない。
ヘリオス殿下は夜会の度にたくさんの令嬢と踊っているし、エスコートも完璧だ。マリエッタの最初のダンスをお任せするのに、これ以上のお方はいない。
案の定、ヘリオス殿下の完璧なリードで、マリエッタは素晴らしいデビューを果たした。優雅に踊る二人に周囲は見惚れ、賞賛と拍手が鳴り止まなかった。ヘリオス殿下と踊る様はまるで物語の一節のように美しかったと後々まで評判になるほどで、以来、わたくしの後にマリエッタが踊るのはもはや恒例で、夜会の参加者もきっと楽しみにしているのだと思う。
今の社交界の中でもっとも美しい女性はマリエッタだと、姉のわたくしでもそう思う。
今日のマリエッタの装いは華やかな花を思わせるピンクのドレス。ウエストの切り替えからスカート部がふんわりと膨らんだプリンセスラインのドレスはマリエッタの愛らしさを存分に引き立てている。何層にも重ねられたピンクのレースも、ウエストラインを強調する大きなリボンもとても可愛らしい。
アクセサリー使いも巧みで、わが妹ながら美の女神もかくやという美しさだ。
ちなみにわたくしはあまり色々と飾り立てるのは苦手だし正直似合わないものだから、スレンダーラインのシンプルなドレスを着用することが多い。今日も光沢のあるベビーブルーの布地に緻密な花柄のレースがあしらわれた上品なドレスだ。
公爵家としての格を下げないようにドレスの布地や仕立てにはこだわっているけれど、さすがにマリエッタのように自身の美でドレスの価値を底上げする実力は無い。
マリエッタはやっぱり凄いわ。
感心しながら友人達と談笑するけれど、今日は周囲が妙にざわついているし、皆なぜか浮き足立っている。
チラチラと動く皆の視線の先を見れば。
「ヴィオル、様……」




