【ヴィオル視点】訓練は厳しい
明日には。
ボーデンはそう言っていたと思ったが。
なんと驚いたことに、その日の夕刻に早々に講師が手配できた旨の連絡がもたらされた。電光石火の早業に俺も呆然とするしかない。これはもう、俺と別れたあとすぐに話をつけてくれたのではないだろうか。
しかも、本日の業務終了時刻定時の10分後に宰相執務室まで来られたし、という指示に従ったところ、そのまま講師であるブレーズ伯に拉致されてダンスのレッスン場に連行されるという衝撃の展開に、頼んだこっちが目を白黒させる始末だ。
いやはや、仕事が早い男をナメていた。
そんなわけで早速ダンスのレッスンが始まったのだが、これが予想以上にキツい。
昔、特級魔術師になって上位貴族としての特権を得たときと、魔術師団長に任命されたとき。いずれも夜会に出席するために付け焼き刃的に習った覚えはあるが、俺の脳みそからも体からも随分とその記憶は押し出されてしまっていたらしい。
「足が遅い!」
「ステップが違う!」
「レディの足を踏んでしまうぞ!」
容赦なくブレーズ伯から檄が飛ぶ。
どうやら昔、魔術師団長に任命された時に俺にダンスを教えてくれたのもこの御仁だったらしい。超特急で教える時はこの御仁が最適なのだろう。
ブレーズ伯の方は俺をしっかりと覚えていたらしく、「また君かね。またワルツを教えろということは、以前教えた事はすべて忘れたのかね? ん?」と怖い笑みを浮かべられてしまった。
故に自然教え方は厳しくなるというものだ。こればかりは仕方がない。
「もう足が縺れているようだねぇ。頭ばかり鍛えていないで、たまには体の方も鍛えないと、足が退化してしまいますぞ」
ブレーズ伯が呆れたように言うのも無理はない。俺の相手役を務めてくれていたご婦人は、俺よりもはるかに年上の女性だったが息一つ乱れていないのだ。ちなみに俺はゼエハアと荒い息をついている。自分でも情けないやら不甲斐ないやら、だ。
しかもここだけの話、密かにスピードアップと体力強化と疲労回復を重ねがけしてこの有様というのが地味につらい。
「ブレーズ伯は厳しいことで有名ですもの、落ち込まないでちょうだいね」
相手役のご婦人が汗ひとつかかずにエレガントに微笑む様が余計に劣等感を刺激してくるんだが。
貴族って一見なよっちく見えるけど、剣が得意だの乗馬が得意だのダンスが得意だの、意外と肉体派なんだよな。俺みたいに子供の時から魔術一筋、他には一切脇目もふらずにやってきたタイプに比べると多芸多才だと感心する。
「息もととのってきたようだねぇ。さあ、今日はまだ初日だ。やる気があるうちにもうひと踏ん張りだねぇ」
ブレーズ伯のスパルタ教育、マジで容赦がないんだが。
そしてその夜、俺がヨロヨロの体でセレン嬢の部屋を訪れた時にはすでに宵九つの鐘などとっくの昔で、そろそろ宵十の鐘も鳴るかというほどの時間になっていた。
「ヴィー! 良かった、来てくれたのね!」
窓から部屋を覗いた途端に、セレン嬢がぶっ飛んできた。俺がいつになく遅いから、かなり心配していたんだろう。
「良かった、何かあったのかと心配していたのよ」
俺をさっさと窓の外から回収すると、セレン嬢は慣れた手つきで俺の四肢を拭いていく。
「すまん、野暮用で」
「ふふ、使い魔さんにも野暮用があるのね。ヴィオル様のお使いかしら」
「まあな」
「大変なお仕事だったの? なんだかいつもより体にハリがない……? なんとなく、ぐにゃぐにゃしている気がするのだけれど」
そう言ってセレン嬢は俺の脇腹あたりを両手でぐりぐり触り倒す。
「やめんか……!」
毛を逆立てて精一杯ジタバタしたら、セレン嬢は笑いながら解放してくれた。
「うふふ、ごめんなさい。だって元気がなかったから」
「ただでさえ気疲れしているというのに、拍車をかけるな」
体力は回復してきたが、さすがに気疲れした分まではどうにもできない。しかしここまで体がなまっているとは思わなかった。筋トレしようと決意した……明日からだが。
「疲れているの? それじゃあ先に甘いものをどうぞ」
俺の扱いをすっかりわきまえているらしいセレン嬢が、俺の鼻先にフィナンシェを持ってくるものだから、誘惑に抗えず俺はそのままかぶりつく。
散々踊りまくって、家に帰る間もなくそのままここに来たんだ。さすがに腹が減っている。はくはくと食べ進め、気がついたら差し出されるまま二個、三個と食ってしまっていた。
公爵家のパティシエ、俺好みのフィナンシェを作るなぁ。
「満足?」
「ああ、動けそうだ」
テーブルの上に立って、俺はいつも通り丸くて大きい結界を張る。セレン嬢も椅子から立ち上がり、嬉しそうに俺を見た。
「わたくしね、今日はひたすらスピードをあげる訓練をしていたの! 自分の出したい出力を、瞬時に出せるように」
「えっ」
「それを『ウインドカッター』に応用したらどうなるのかしらって楽しみで」
いうなり、セレン嬢から無数の刃が放たれる。
その小ぶりな刃たちはバシュバシュバシュバシュッ! と小気味のいい音を立てて、結界の中へと消えていった。




