もっとたくさん、話せば良かった
「このところは随分と改善したとは思いますが、元々わたくしは人よりも理解するのに時間がかかるのが分っておりますから……日々の予習、復習は欠かせないのですわ。ヘリオス殿下にご迷惑をおかけすることがないよう、空いた時間は全て学習に充てておりました」
婚約者であるわたくしが至らなければ、ヘリオス殿下の評判まで下げてしまう。そう思うと怖くて、わたくしはいつだって焦燥感に駆られて学習に打ち込んでいた。
基礎が分かると応用できるようになり、そのうち学んだことやその手順が、他の案件でも形を変えて使えるのだと思えるようになった。それからはかなり学習の効率も上がったと思う。
けれどもそう思えるようになったのは、中等部も終わる頃のことだ。これまでかけてきた時間から思えば、随分と遅い気づきだったに違いない。
「不満に思う余裕などなかったのですから、ヘリオス殿下が気にする必要など微塵もないのですわ」
「そう言ってくれると気が楽だな。でも、セレンが覚えが遅いなんて謙遜が過ぎるよ。君で遅いなら大半の人は覚えが遅いんじゃないか?」
ヘリオス殿下は笑うけれど、わたくしの理解力が遅いのは事実だ。
「ヘリオス殿下、初めてみんなで王宮で授業を受けた日のこと、覚えてらっしゃる?」
「そういえば子供の頃何度か王宮でやっていたな。伯爵以上の家柄の子女を集めて……だが詳細までは覚えてないな」
きっと皆にとっては瑣末な出来事だったのだろう。でも、わたくしにとってはあの日がその後の人生を大きく変えたと言っていい。
「あの日、わたくしは先生の仰ることが全然理解できなくて……たったの一時間で、五回も授業を止めてしまったのです。皆呆れて、指導する先生も困った顔をしておいででした」
「へぇ、セレンにもそんな頃があったんだな」
「誰だったのかは覚えていないけれど、誰か男の子が『こんなバカが王妃様になるのかよ、ヘリオス様も大変だな』と笑ったのです。ヘリオス殿下は庇ってくださったけれど、そこにいた全員が笑ってしまうくらい自分はバカなのだと思うと……わたくし申し訳なくて、恥ずかしくて」
「セレン……」
「皆が帰ってから、泣きながら先生に教えを請うて、予習も復習も欠かさないようにしましたわ。わたくしが今つつがなく過ごせているのは単に、予習して教えを乞うて工夫して……皆に見えないところで時間をかけて補っているだけなのです」
言い終えて、ふと我にかえった。見上げたらヘリオス殿下は驚きと悲しさが混ざったような顔でわたくしを見ている。わたくし、なぜこんな話をしてしまったのかしら。こんな話をされてもヘリオス殿下だって反応に困るというのに。
「セレンが将来の王妃としてあれだけ努力してるのは分かってたのに、そんな風に焦燥感に駆られていたなんて知らなかった……」
「ごめんなさい、わたくし余計なことを」
「……僕たちは、似ているんだな」
謝って話題を変えようとしたわたくしに、ポツリと、ヘリオス殿下が呟く。
「僕もだ」
ヘリオス殿下の目元が、口元が、柔らかく笑みを作る。今まで見てきた笑顔とは少し違う表情に、わたくしの胸はキュッと締まった。
「僕も、ずっと寝る間も遊ぶ間も惜しんで努力していたよ」
「ヘリオス殿下でも……? ああでも、確かに王としての教育は、妃教育よりもずっと幅が広くて深いですものね」
妃教育も過酷だと言われるけれど、あくまでも妃は補助の役割だ。国を率い、全ての決断を下す王という役割をこなす以上、王が理解し把握しなければならない内容は妃教育の比ではない。
冗談めかして明るく笑いながら、ヘリオス様もずっとずっと影で努力してきたのだと改めて実感した。
「確かにそれもあるけど、それこそ、セレンがあんなに頑張っているのに僕が不甲斐ないのは情けないじゃないか」
「不甲斐ないなんて誰も思いませんのに」
「そんなことはない……というか、人の評価は別として、少なくとも自分は思うじゃないか。セレンだってそうだろう?」
「まあ、それは」
自分が思ってしまうことは止められないかもしれない。同意すると、ヘリオス殿下はいつものように朗らかに笑う。
「ちょっと気が抜けたよ。僕たちは、互いに恥ずかしくないようにって必要以上に頑張っていたんだなぁ」
「ふふ、そうですね」
わたくしも、つられて笑ってしまう。
「背伸びばっかりしていないで、もっとこうして色々話せば良かったんだな。そうしたら、お互い無理してたんだってもっと早くわかったのに。自分のことで精一杯だった」
「わたくしもです。でも、おかげで効率の良い勉強方法は学べましたわ」
「ま、良かったこともないとやってられないよな」
ヘリオス殿下とこんな風にまた笑いあえたのが嬉しくて、胸がふんわりと暖かくなった。気負い過ぎなくて良かったのだと、今ならば分かるのに。
「やっぱり出かけるのは、次の休みにしよう。僕たちはもうちょっと色々と話すべきだ。それこそどうでもいいことも含めてね」
「……はい」
「当日は君の邸へ迎えに行くよ。時間は追って伝える」
「楽しみに、していますわ」
そうして微笑みあった時だった。
廊下の向こうから騒がしい足音とともにマシュロ様たちが現れた。ヘリオス殿下を見つけた途端に、四人は勢いよくこちらへと駆けてくる。
「やあセレン、今日も早いな!」
「ヘリオス殿下! 今週末の休みなんだけどさぁ」
「いい店見つけたんだ」
「たまには付き合えよ」
一気に四人が口を開くから、途端に騒がしくなってしまった。
苦笑するわたくしの側で、ヘリオス様は苦い顔で言った。
「僕は行かないと何度も言っているだろう。頼むから誘わないでくれ」
殿下と側近たちが出てくるとl、作者のドキドキが止まらない…。
定期的にくる読者様の反応が怖い回(^^)




