【ヴィオル視点】気になっていることがあるのだが
日も随分と落ちてきて、今日の鍛錬はここまでと区切りをつけた俺は、ただいまアップルパイと格闘している。食べやすいようにだろう、小さい可愛いサイズで作ってはあるのだが、それでもボロボロとパイ生地が崩れてしまう。
「すまん……汚してしまった」
テーブルの上は俺の食べこぼしであっちこっちにパイのくずくずが落ちている。無念だ……猫の口は小さ過ぎる。
「いいのよ、拭けばいいだけのことだもの。明日のおやつは何がいいかしら」
「いや、別に毎日用意しなくてもいいが……できるならフォンダンショコラが食いたい」
「まあ、猫ちゃんにチョコは良くないのではなかったかしら」
「俺は純粋な猫ではなく使い魔だから大丈夫だ」
多分、という言葉は胸の中で言っておいた。もしもの事があっても解毒も回復魔法も使えるから全然問題ない。とろりと溶け出すあの魅惑のチョコレート……公爵家のパティシエならば、さぞかし美味いものを仕上げるに違いない。
セレン嬢が「分かったわ」と頷いてくれたのをしっかりと確認した上で、俺はスルリと立ち上がった。
教えることは教えたし、食うものも食った。
今日はそろそろ帰るとするか。明日からまた一週間が始まる。セレン嬢も少しは休ませねば。
窓辺に音もなく飛び乗って、そういえば、とふと思い出す。聞いておこうと思っていたことがあったんだった。
「そういえばセレン嬢は、次の夜会には出席するのか?」
「二週間後の? ええ、もちろん」
「そうか」
「ヴィーは夜会があることまで知っているの?」
ふふふ、と楽しそうにセレン嬢が笑う。俺がこの姿でいるときは、セレン嬢はいつだって楽しそうだ。
「主が夜会のことを口にしていたから、気になっただけだ」
「あら、ではヴィオル様は次の夜会には出席されるのかしら。珍しいわ」
「そのつもりのようだぞ」
「ではご挨拶できるわね」
セレン嬢の言うとおり、俺は夜会への出席率は悪い。特級魔術師になったら上級貴族と同じ待遇になるから、当然月に一度開催される夜会への招待状も送られてくる。
若い男女はパートナーを探すため、既婚者は情報を得るために。招待状を受け取っている面々は毎月必ず出席するという強者ばかりだ。だが所詮俺は平民上がりだからああいう場所は肩が凝る。
最初の何回かは煌びやかなご馳走めあてに参加していたが、わらわらと知らない女は群がってくるし、ダンスをせがまれてもステップを覚える暇があったら魔術の鍛錬に勤しみたい俺としては、ただただ面倒くさかった。
今となっては入手したい情報があるときにふらりと行って必要な人物と話し、用が終わればそそくさと帰るような、あまり褒められたものではない状況になってしまっている。
だが、次の夜会には出席してみようと思っていた。
他でもない、セレン嬢のためだ。
実は殿下とその周囲のヤツらをちょっと揺さぶってみようと思っている。
セレン嬢から特級魔術師になりたい理由を聞いた時は、そりゃあ率直にムカついた。セレン嬢に協力したのも、半分はアホなボンボンどもにお灸をすえてやるつもりもあったのだ。
教えてみればセレン嬢はあの弱々しい泣き顔からは想像もつかないくらいに根性があったし、特級魔術師の素質も溢れんばかりだ。素直で撫で方も優しく、笑顔も可愛らしい。最高の生徒だ。
だからこそ、彼女を特級魔術師にすべきだと思う心の一方で、彼女が王妃になるためにこれまで研鑽してきたものを簡単に捨てさせていいものかと迷う心も出てくる。
なにより日を追うごとに、発端となったボンボンたちの主張に俺は違和感を感じ始めていた。
なぜ、マリエッタ嬢を妃に推す必要がある?
セレン嬢の話だと、マリエッタ嬢を妃にすべきだと主張していたのは彼女を蝶よ花よと褒め称え、彼女に骨抜きになっている輩のようだった。
しかしだ。
俺なら、惚れた女をわざわざ他の男に薦めたりしない。
婚約者もいない今のうちに、なんとかして囲いこんで結婚まで持ち込むのが普通だろう。
ヘリオス殿下がもし本気になれば、自分には絶対に手が届かない高嶺の花になってしまうというのに、なんでまたそんなリスキーなことをするのだろうか。いくつかその理由を想像してはみたものの、貴族の考えることなんざ正直分からん。
考えをまとめるためにも、ヤツらの動きを直に見ておかなくては。
「じゃあ、俺はそろそろ帰る」
俺の考えなど知らないセレン嬢は名残惜しげに俺の顎をひと撫でした。
顎はヤバい。
逃げるようにタシ、と窓に手を当てたら窓がゆっくりと開いて、外には見事な夕焼けが広がっていた。世界が黄金色に輝いている。
「まあ、今日の夕焼けは一段と綺麗ね」
セレン嬢もうっとりした声で呟いた。
確かに綺麗な光景だ。レースのカーテンの揺らめきや、夕焼けに見惚れるセレン嬢まで込みで美しい。まるで一幅の絵のようだ。
セレン嬢の生きる世界が、いつもこんなに穏やかであればいいのだが。
「今日はもう鍛錬や学習は終わりにして、ゆっくり休めよ」
「はい、ヴィー先生」
返事はいいが、コレについてだけは信用ならない。
「絶対だぞ」
もう一度釘を刺してから、俺は壁の細いでっぱりを伝って公爵家をあとにする。あまりにも夕焼けが綺麗で、屋根を伝って眺めながら帰ることにした。猫の姿だと屋根の上でどれだけ佇もうが自由だ。
屋根の上で沈む夕陽を見ながら、俺は明日からのことを考えていた。夜会に出るにも、それなりの準備が必要なのだ。




