【ヴィオル視点】悩む、悩む
公爵家の敷地を抜け煙突を避けながら屋根の上をひた走る。
今日は雲ひとつない満天の星空だ。美しい三日月が夜空の中でひときわ輝いているのが見えて、俺はふと足をとめた。
屋根の上で立ち止まり、三日月を見上げる。
「……」
月を見上げていたら、そのまま家に帰るのがなんだか惜しくなってしまった。
幸い今日は夜風も爽やかで気持ちがいいし、ちょっと落ち着いて考えたいこともある。俺は屋根の上でちんまりとお座りして月を見上げたまま思考を巡らせた。
俺の脳裏に浮かぶのは他でもない、たった今別れたばかりのセレン嬢のことだ。
いつかは真剣に考えねばならないと思いつつ、目を背けていたことがひとつある。それは、このままセレン嬢の家族に内緒でエントリーしてしまって本当にいいのか、という問いだった。
エントリーしてしまえばもう後戻りができない。
あの様子では今週末の無の日に、提出できるレベルの戦闘記録を得ることも可能だ。彼女の集中力の持続性は群を抜いているから、本試験は確実に突破するだろう。いよいよ真剣に今後の対応を考えねばならない時が来てしまった。
当初は泣きながらも特級魔術師を目指すというガッツに感服した。実際問題、王家との婚約破棄を臣下から言い出すのが困難なのは間違いないのだから、彼女が王妃になるという運命から逃れるにはそれしか手段がない。せっかくならいきなり特級魔術師になってさらりと婚約破棄して見せて、陰で彼女を揶揄していた男どもを見返してやればいいと思っていた。
特級魔術師になれば俺の部下になるわけだから、俺が守ってやれる部分もあるだろうなんて軽く考えていたのだ。
しかし、ちょくちょくセレン嬢の屋敷に通うようになって、本当にそれでいいのかと思うようになってきた。
セレン嬢は妹御との関係も意外に良好だし、使用人にもとても好かれているように感じる。
セレン嬢は家族や周囲の名誉に傷を残さずに円満に婚約を解消したい。だから特級魔術師になりたいのだと言っていた。確かに身を挺して国を守る特級魔術師になるのならば、王家も周囲も表立って非難はできない。彼女なりに家族のことを大切に思っているからこそ、精一杯考えてたどり着いた結論なのだと思う。
だが俺がセレン嬢の家族の立場だったら、相談すらして貰えなかったことを、きっとすごく悲しむ。
このままセレン嬢が誰にも相談せず突然特級魔術師になってしまったら、目的は達することができるだろうが、セレン嬢のことを大切に思っている家族や使用人とは大きな溝ができてしまうに違いない。
家族を思っての行動だというのに、それが却って家族との縁を薄めてしまうなんて、それではあまりにも悲しいではないか。
難しいのは百も承知だが、なんとか家族の了承を得た上で特級魔術師を目指してもらうことができないだろうか。余計なお世話かもしれないが、そんな未来を可能にできるのは彼女の本心とここまでの努力を知る俺しかいないのだ。俺が考えるしかない。
下手を打てば特級魔術師になる道を閉ざされかねない。セレン嬢と共にいられる時間を少しでも長く持ちたい俺にとっては恐ろしい事態だし、何よりセレン嬢の気持ちも努力も無になってしまう。それだけは避けたい。
考えろ、何か策があるはずだ。
冴え冴えとした美しい三日月を眺めながら、俺は悶々と思い悩む。
貿易で不在がちのセレン嬢の父君は、新しもの好きで変人だともっぱらの噂ではある。しかし第三魔術師団の試作品を買取にやってくる彼は、疑問に思ったことや分からないことは目下の者にも率直に教えを請うし、機能的な不備があれば辛辣な批評をくれることもある。信頼できるモニターだ。
公爵家という格式ある家柄の割に思ったことをズバズバ言いすぎるが故に、変人という噂が先行するのだろうと睨んでいる。
頭が硬い御仁ではない筈だ。納得のいく説明さえできれば、頭ごなしに「黙って結婚しろ」とは言わないんじゃなかろうか。
家庭の中での公爵の姿を知るわけではないから一抹の不安は残る。それに、王妃になると信じている家族に状況を打ち明けるのは、セレン嬢にとっては胸が痛いことだろう。負い目があると言葉は力を失うものだ。
ううむ、俺もなんとかして同席し、セレン嬢を援護できればいいのだが。出来るわけないか、と苦笑して……俺は真顔になった。
いや待てよ? もしかして出来るんじゃないか?
セレン嬢がエントリーに来たのを知って事情を聞いたとでも言えば、違和感なく同席することができるじゃないか。なんせ試験志願者を最終的に受け付けるのは第三魔術師団長である俺だ。彼女の思惑に真っ先に気がついておかしくない立場にいたんだった!
なんだ、なんだ、大丈夫だ。
なんなら公爵に猛反対されたとしても、ちゃんとしたレベルの戦闘の記録玉があって俺が許可すれば、エントリーは成立するんだった。反対されたときにはじめて、強行突破するという選択をすればいいだけの話だ。
うむ、反対されたところで問題はない。
むしろその前段が問題だ。
公爵に打ち明けてみてはと促せば、セレン嬢は何と言うだろうか。
無理強いはしたくない。彼女が後々寂しい思いをしないような選択肢を提示する、そしてその選択に対して出来るだけのサポートをする。そこまでがせいぜい俺にできることだろう。
やっと答えがでて、俺はふとおかしくなった。
出逢った頃は苦労して学んで来たのに王妃の座を簡単に手放す事に後悔はないのか、殿下に未練はないのかと訝っていたというのに、今や彼女が気持ちよく特級魔術師になれる道をこうして必死に考えている。
気恥ずかしいが、悪くない。
屋根の上でうーんとノビをして、俺は急いで家路についた。




