【ヴィオル視点】効果的に教えなくては
走り去って行くセレン嬢の後ろ姿を見送ってから辺りを見回し、誰もいないことを確認してから、俺は猫化の魔術を解いた。
早く戻らないと、また側付きのコンタールをはらはらさせてしまうだろう。昨日の怯えきった姿を思い出してため息をつく。
もう側付きになってからひと月以上経つが、どんどん怯え方が酷くなっているからな。さすがにこれ以上気を遣わせるのは可哀想だ。
とはいえ今日はもう会議はなかった筈だし、「ちょっと息抜きしてくる」と言ってから出てきたし、決裁が必要な案件は済ませてある。開発中の魔具はあるが、期限があるようなものでもない。よく考えれば探される筋合いもないのか。
少し安心して、今度はさっきのセレン嬢との会話を思い出す。
さっき魔術の指南書が欲しいと言っていたな。資料室で探すと言っていたから、あそこにある中で優秀な本を紹介したが、本来は俺の蔵書……特に学生時代に愛用していた指南書のほうがわかりやすいものが多い。それを譲ってやった方がいいだろうか。
考えながら魔術師棟へと戻っていたら、向こうからくるくる巻き毛の小柄な人影が走ってくるのが見えた。もしかしてコンタールか? それっぽい人影だが。
「ヴィオル師団長!」
「どうした、コンタール。何かあったか」
「いえ、何かあったわけでは……」
息を切らせている所を見るに、随分と探し回ったらしい。何かあったわけでもないのに何故に探していたのやら。
「何もないなら放っておいてくれていいんだがな。お前もたまには気を休めろ」
「そんなわけには参りません! ヴィオル師団長こそお休みになってください。今朝方ふらついていらしたじゃないですか!」
「あれは単なる寝不足だ」
「ひいっ! すみません、出すぎたマネを……!」
見られていたのか、と情けなくてつい眉根を寄せたらまたもや怯えられてしまった。すまん、コンタール。しかしこんなにも怯えっぱなしでは心臓に悪いだろうに。
だが、もしかして俺の体調が悪そうだったから探してくれていたのか?
「で、ですが、それならばなおさら休んでください。明後日は壁番ですので、体調を整えておかないと業務に支障がでます」
お、と思った。青い顔で、それでも意見をしてくる気概があるなら少しは見所があるではないか。それに、コンタールが言うことにも一理ある。
壁番とは、特級魔術師の最も重要な任務、交代で魔法防壁を張る業務をいうのだが、これが結構な時間を拘束される。詳細は省くが一回あたり計十二時間拘束だ。
数名がかりで張る魔法防壁は一人が交代する間はわずかにほころびが生じる。ゆえに交代のタイミングはその本人達にしか分からないように工夫されているのだ。
拘束時間が長い上に、魔法防壁を張っている間は集中力を切らすことが出来ない。体調を万全にしておくのは当然のことだった。
「そうだな、コンタールの言う通りだ。少し休むとしよう」
「……はい!」
ほっとしたようにコンタールが笑う。意見したのが怖かったのだろうが、別に震えなくていいし涙ぐまなくていいのだが。
コンタールのすすめに従って魔術師棟の自室に向かいながら、俺は黙々と考える。
なんだかんだ言って俺も激務だ。ずっとセレン嬢に時間を割き続けることはできない。しかし約束した以上、彼女が試験を突破する可能性を見出すだけの助力はしたいとも思う。
なんせ、まだ一日程度の付き合いではあるが、彼女の本気度合いも分かったし、なにより特級魔術師にとって最も重要な素質、集中力の持続が桁違いだ。
『地味な努力を長時間続けるのは、得意中の得意』と彼女自身も自負していたが、幼い頃からずっと努力してきた賜なんだろう。
しかも教えられるのを待つばかりではなく、自習でカバーする気概もある。あの才能を潰すのはもったいない。特級魔術師として迎え入れられるならば心強い仲間になれるだろう。
効率よく、しかし結果に直結するような指導方法を考えねばなるまい。
自室に入った俺は、そのまま仮眠室へと直行する。眠りに落ちるまで、俺は彼女に今夜伝えるべき事はなにかを考えていた。
***
宵九つの鐘が鳴る少し前、俺は猫へと姿を変え、セレン嬢の邸へと急いでいた。
昨日喉が渇いているのに水がうまく飲めなかったのが悔しくて、ちょっと練習していたら遅くなってしまった。なにをやっているんだ、俺は。
走っている間に宵九つの鐘が鳴ってしまった。急がなくては。
目的の窓枠を眺め、ひらりひらりとジャンプして石造りの堅固な壁を登っていく。猫になると身が軽くて通常は考えられない動きができるのは爽快だ。
今日はちゃんと閉めてある窓に辿り着いたとたん、セレン嬢が待ち受けていたように窓を開ける。
「ヴィー! 待ってたわ」
満面の笑顔で俺をすかさず抱っこして、昨日と同じく足を拭かれる。どうやら足拭き用の布を用意してくれたらしくて、今日はハンカチじゃなかった。良かった。
テーブルの上には魔術の指南書が数冊と、彼女なりに要点をまとめている形跡があるノートが広げられていた。言葉通り、自分でもしっかりと学んでいくつもりらしい。




