真相
二人が去った後、アンリは部屋の警護に当たっていたマティスを招き入れる。メイドがコーヒーをテーブルに置いて、静かに去った。
「御用とは」
「いや、急に昔話がしたくなっただけだ。付き合ってくれ」
「もう昔話ですか? まだまだ若いのに」
マティスが笑った。
先程まで晴れていたのに、太陽は完全に隠れてしまった。そのせいかアンリの顔にも翳りが見える。
「お前は昔から私に付いてくれていたな」
昔を懐かしむアンリの目線はマティスではなく、ブラックコーヒーに注がれている。
「ええ。幼少期より警護にあたっていますが、情熱を秘めた努力家なところは変わりませんね。剣技の腕前、外交能力、部下の管理能力など、ここ最近で完璧に身につけられました。このままいけば歴史に残る賢王になれるでしょう」
「それは良かった。私はお前の思う通りに動けているのだな」
アンリが微笑むと、マティスは驚いた顔をした。
「何を仰います。私など…。陛下に従うだけですよ」
「でも、前世の私のことは気に入らなかったのだろう?」
アンリの鋭い声音に、ピクリとカップを持つマティスの手が震えた。カップをソーサーに置いて、両手を組み合わせる。
「何のお話でしょう?」
「前世で私を殺したのは、お前だな? マティス」
雨が窓を叩きだし、窓の外が見えなくなった。雨音だけが静かな空間に響く。
マティスはため息を吐いて、目線を下にやったまま、観念したように口元を上げた。
「思い出したのですね」
「いいや? だがよく考えれば分かる。エレーヌな訳がないんだ。私はすでにエレーヌを疑っていた。その状況で彼女が私を殺すのは不可能だ」
「…なるほど」
マティスは笑みを張り付けたままだ。
「お前の目的は何だ?」
「目的? …そんなの、決まっているでしょう」
マティスは一旦言葉を区切り、アンリと視線を絡ませた。やっと真顔を見せる。
「この国のやり直しですよ!エレーヌ様を溺愛して、ソフィー様を処刑して、王太子は暗殺され、挙句に主皇に国を乗っ取られるなんて、そんな馬鹿馬鹿しい話がありますか⁉ …私が命を懸けて仕えた王は歴代一の愚王だった。殺したくなったって、おかしくないでしょう」
「…………」
「テオ様はあなたの血を引いていない。つまり王家の血筋は、誰にも気づかれずあっさりと奪われたのです。カッコウのように。…我々ローレン男爵家は先祖代々、王家にお仕えしてきました。神と王家どちらを取るかと問われれば、王家を取ります。それが私達の使命だから。それなのに…」
マティスは右手で顔を覆った。口元は自嘲気味に上がっている。それ以上、言葉を紡ごうとはしなかった。
アンリからすれば、全て身に覚えのある罪だった。握った拳に力が入る。
「…理由は理解した。方法は、ソフィーが持っていたエメラルドの指輪だな?」
マティスは一瞬目を丸くした。
「ご存知だったのですね。前世ではエレーヌ様が持っていましたが。…私の家は多額の寄付を教会にしていましたから、そこの主祭がこっそりと隠し持っていたグリモワールを読ませてくれたのです。そこにエレーヌ様が持っていたのと全く同じ、エメラルドの指輪が描かれていた。中に渦巻きの気泡がある特徴的な指輪です。その指輪を使えば時を戻せると書いてあったので、半信半疑で呪いを実行してみたら、この通り過去に戻ったというわけです。二人分の命が必要とあったので、あなたを選びました。もう一人は勿論私です。もう死んでも良かったですから」
「…そうか。だから私には記憶が残ったんだな。死ぬ直前の記憶だけなかったから、最近までお前だと気づけなかったよ」
魔物退治に出る前のギルから、グリモワールの情報が送られてきた時は驚いた。
魔女狩り以降、持っているだけで処刑されることもあるグリモワールは、殆どが処分されたはずだ。しかし、教会は徹底的に秘匿し、持ち続けていたのだ。
指輪の存在を知っていて、教会にあるグリモワールを読める人物は、エレーヌを除いてはマティスしかいなかった。
「なるほど。どうして私に何も言ってこないのだろうって、最初は怖かったのですよ。これだけ国の歴史が変わっているのは、記憶がある証拠ですからね。…それで、思い出した今、私を処刑しますか?」
マティスと視線が交差した。アンリが笑いながら首を横に振る。
「まさか!褒美を与えたいくらいだ。お前には引き続き、私の側にいて欲しい。今度は間違わない。約束しよう!」
「道を外す時は、死ぬ時だとお覚悟を」
マティスが冗談めかして言った。
しかし次の瞬間には表情と声音を変える。
「ただ、そこまで仰っていただけるなら、私も一つ告白しなくてはいけないことがあります」
「何だ?」
ピリッとした空気を感じ、少し警戒を滲ませる。
マティスは十分な間を取って口を開いた。
「エレーヌ様を聖女にして、オスベルに送り込んだのは私です」
アンリは反射的にマティスの顔を見た。彼は穏やかな顔で、コーヒーカップの中を覗き込んでいる。
「……なぜそんなことをした? あの女をまたソフィーに近づけさせるなんて」
「ソフィー様をお助けしようとしたのですよ。前世では、女児しか産めなかったジャンヌ様は塔に軟禁状態でしたからね。ソフィー様に前世と同じ辛さを味わって欲しくなかった。それにエレーヌ様は傾国の美女です。周りの人間を一人残らず不幸にしていく。オスベルに行かせればその能力でオスベルを滅ぼしてくれると思ったのです」
淡々とそんなことを言うマティスに、アンリは開いた口が塞がらなかった。
「結果として滅んだのはファビアーノ主皇でしたが、まあいいでしょう。…ところでフォーレ前公爵、ジャンヌ様の御父上を暗殺したのは、陛下ですか?」
マティスは相変わらず落ち着いている。コーヒーにお砂糖は入れますか、と聞くようなトーンだった。
「人聞きが悪いな。そうだと言ったら、今ここで私を殺すのか?」
「いいえ。聞いただけです。必要な犠牲もあるでしょう」
マティスは、それ以上は聞かなかった。
実際の所、フォーレ前公爵を暗殺したのは、息子である現公爵だ。アンリはそれを黙認しただけのこと。オスベルにすり寄るフォーレ前公爵は、国にとっては邪魔な存在だった。前世で戦争に負けた原因の一因も彼だ。
必要な犠牲、か。
そもそもアンリは優しい人間ではない。生まれ変わっても本質はそのままだ。綺麗事だけでは国のトップには立てない。
ただ今生では見る目と判断力がついた。
「今生でまたマティスに殺されるなら、それもいいだろう」
「大丈夫ですよ、今のあなた様なら。女性に異常に入れ込む癖さえ直せばですが」
茶化すマティスに、アンリは思わず苦笑いになった。
「大丈夫」というマティスの言葉通り、アンリは賢王となる。
即位してすぐに、他国に先駆け死刑制度を廃止。徹底的に無駄を省き、その分を有事への備えとして食糧確保や武器の確保に当てた。また庶民の学校制度の導入、医療の拡充、文化面への支援等、精力的に国に尽くし、歴史にその名を刻むことになる。
そして、その隣にはいつもマティスの姿があった。




