密偵
二日経っても、三日経っても聖女エレーヌが姿を現すことはなく、五日が経つ頃には騎士達もすっかり白けムードになった。
「偽物だったってことか」
「ああ。それどころか、あの女が悪魔に祈るところを見たって、ジョージが」
「聖女の信者だったあいつが言うんだから、あの女は魔女だったってことさ」
「くそっ。騙されたぜ。あんな女を信じていたなんて」
「じゃあどうして蛇は死んだんだ?」
「毒矢で簡単に殺せたってことだよ。伝説にビビり過ぎたんだ」
エレーヌの死を悲しむ者は誰もいない。騙されていたことへの非難の声で溢れていた。
後処理は騎士に任せ、エドワードはテントで寛いでいる。正面には主祭クリフが立っていた。
「よく来たな」
エドワードが声を掛けても無反応だ。オドオドした様子は欠片もない。身じろぎ一つせず、次の言葉を待っている。
「お前の働きは実に見事だった。女だったとは思えん」
面白そうな声だ。
ギルは苛ついた様子もなく、淡々と答える。見た目は変わらないのに、もはやクリフの面影はない。
「約束通り、俺はルキリアへ戻る。俺が死ねば、ベルはあんたに殺されたって噂が流れるから、そのつもりで」
エドワードはベルと仲良く話すソフィーを思い浮かべた。
「ハッ。小賢しいな。噂など、どうとでもなる。だが安心しろ。監視はつけるが、お前に手を出すつもりはない」
今のところはな、と含みを持たせるエドワードは、獲物を殺さず嬲って遊ぶ捕食者のようだ。
エドワードの前に立つだけで、総毛立つ。
あれは、アンリがルキリアに帰国する前日のこと。クリフはエドワードに呼び出された。
開口一番に「宗教家のくせに女装癖があるのか? 女装はタブーだろう?」と問うてきた時は、背筋が凍った。同席していたアンリも同様だっただろう。
ベルと俺の耳の形が同じだったという。そりゃそうだ。普通の人間はそこまで見ていないから耳まで変えていなかった。
最初から正体に気づいていたのだ、この男は。
陽が落ち、テントの中が数段暗くなった。
「あんたみたいなのに好かれてソフィー嬢も気の毒に」
「確かに。彼女は一生、私から逃げられないね」
エドワードは薄笑いを浮かべている。相変わらず無表情を貫くギルを試すように見上げた。
「オスベル帝国の出身なんだろう? どうだ? オスベルの密偵にならないか? 報酬はルキリアの倍、出そう」
「それもいいな。あいつが死んだ時には、ぜひ雇ってくれよ」
そう言い残してテントを出た。
冗談じゃない。オスベルでの記憶は、飢えと寒さと蔑みと暴力だけだ。アンリに拾われず運よくオスベルで生き延びていたら、きっと反体制派の急先鋒になっていただろう。
…やっとルキリアに帰れる。
ベンズル蛇と聖女の伝説は、エドワードの作った偽物だ。それを流布する役目を言いつかったのがギルだった。エレーヌが満月の日に行った呪いもそうだ。
怖いくらいに用意周到で容赦がない。仕えるなら、アンリ位がちょうどいい。
さて、我が主は今頃、勝利を収めているだろうか——。
ギルは紫に染まった空を眺めた。




