エドワード負傷の知らせ
エドワード負傷の知らせは、すぐに城にいるソフィーの耳にも届いた。エドワードが発って三週間が経過している。
すぐにアーロンに詰め寄った。彼もあまり眠れていないようだ。
「怪我の具合は⁉」
「聖女様を庇って重体だとか。主皇領の教会で主祭達がそんな話をしているそうで…。集まった信者達が話を各地に広めています。中には陛下が瀕死の状態だという話も…。しかし、虚偽である可能性も捨てきれません」
「いいえ。さすがに陛下が大怪我をしたなんて嘘を、教会側も広めたりはしないはずよ。罪に問われるもの」
「…ですよね。…どうして聖女を庇ったりなんか」
アーロンが疲弊していることはソフィーの目にも明らかだった。
だからわざと明るく振る舞った。
「大丈夫よ!陛下のことだもの。いつものように何でもない顔をして帰って来るわ!だからそれまで私達が国を支えないと!そんな顔をしていては、陛下をがっかりさせてしまうわ」
「…そうですね。我々には我々のすべきことがありますもんね。すみません、大事な時期に。少し動揺してしまいました」
アーロンは力なく笑った。
最近、国内では各地で民族争いが勃発している。他民族国家のオスベルにとっては、激化すれば国家転覆にも繋がりかねない事態だった。
扇動者は主皇派のオスベル国民の可能性が高い。直接攻め込んでくるのではなく、内部から崩壊させる計画を練っていたのだ。
早めに抑え込まなければ、主皇に攻め込む大義名分を与えることになる。各領主が動いてくれているおかげでまだ大きな波にはなっていないが、不穏さは隠せなかった。
定期報告の後、ソフィーはバルコニーから星空を眺める。今日は朝から快晴だった。冬ならば星の輝きも一段と増しただろうに。
エドワードと一緒に、寒空の下で見た星の美しさが蘇る。今は抱きしめてくれる腕もない。代わりに自分で自分を抱きしめた。
忙しさで誤魔化していた涙が溢れてくる。本当は心細くて仕方なかった。
ソフィーはバルコニーの手すりを持ち、力なく座り込んだ。今だけは泣くことを自分に許してやる。涙が顎を伝って、どんどんドレスに染みを作っていった。
ううっと嗚咽が漏れる。
テディ…。会いたい!ただいま、って笑ってよ!帰ってきて、お願いだから…!
オスベルに来て一年以上が経つ。あっという間に感じるけれど、エドワードと過ごした時間が脳裏に溢れ出す。
——スコーンを食べたこと。一緒に紅茶を飲んだこと。
まだ一番のお気に入りの味を一緒に見つけていないわ!あなたが淹れてくれる紅茶はどれも美味しいんだもの。
——カントリーハウスに行ったこと。
夏になったら茅葺屋根の家の中で、ゆっくりと過ごそうって言ってくれたじゃない。ラベンダーティーとラベンダーのケーキを用意して、窓の外の景色を一緒に見ましょう!
——釣りをしたこと。
あなたがいないと一人では釣れないわ!いつか私が勝ったら、あなたはきっとその時も楽しそうに笑ってくれるのでしょうね。
——お忍びで街へ出かけた事。
キャロットケーキの食べ比べをしようって約束したでしょう⁉
早く帰って来て!
「聖女を庇って」「重体かも」「瀕死との情報も」耳に木霊するのは嫌な情報ばかり。
聞きたくない!やめて!
テディに限ってそんなことあるはずないわ!
バルコニーの柵を握る手に力が入る。強がりながらも、涙の量がソフィーの不安を物語っていた。
うううっ。うっ。抑えていても声が漏れてしまう。でも止められなかった。
暫く泣き続けたが、バサァ、バサァという音があまりにも近くでしたので、驚きで涙が止まった。
真っ黒いカラスが一羽、柵の上で止まり、じぃとソフィーを見ている。
ソフィーもただただカラスと目を合わせ続けた。
「あなた…どうしたの? ここに来ては駄目よ」
カラスは「うん?」というように首を傾げた。ソフィーの声を聞き取ろうとしているかのようだ。
とん、と柵からソフィーの隣へと飛び降りた。あまりにも近くて少し怖くなったが動けない。
すると「ソフィー、ダイジョウブ。ソフィー、ダイジョウブ」と声がした。
「え?」
きょろりと首を左右に振るも、誰もいない。いるのは目の前のカラスだけ。
「…今、あなたが喋ったの?」
「ソフィー、ダイジョウブ。ソフィー、ダイジョウブ」
カラスは「そうだよ」と言うように、再度繰り返した。
「それって…」
ソフィーはハッと気づく。そう言えば出発の時、エドワードはこう言っていた。
「会えなくても私の無事は、ソフィーにはきっと分かるはずだから」
あれはきっと、こういうことだ!
テディは無事なんだわ!
今度は安堵の涙が溢れてくる。思わずカラスを抱きしめそうになったが、カラスはバサァと飛んで柵の上に立った。
「ああ、驚かせてごめんなさい。お礼に何かご飯を」
言いかけると、役目を終えたとばかりにどこかへ飛んで行った。ソフィーは慌ててその背にお礼を言う。
「どうもありがとう!」
空中でカラスのカァと鳴く声が聞こえた。
ソフィーは急いでアーロンの元へ向かう。
「アーロン!」
「どうされました? 陛下」
相変わらず萎んだ様子のアーロンに、ソフィーは駆け寄った。その勢いにアーロンは少し後ずさりする。
「アーロン、陛下は無事よ!」
「無事って…。どうして分かるのです?」
「天使が教えてくれたの!」
黒い羽根の、とは言わなかった。
アーロンが、いぶかしげな顔になる。
「…天使、ですか?」
「ええ!」
ソフィーがとびきりの笑顔を見せたので、アーロンは不思議と大丈夫な気になってきた。
なんだろう。全然意味が分からないのに、妙な説得力を感じる。え、何で⁉ 今の説明で安心できる僕って、疲れているのかな⁉ 皆はどう思う⁉
「それで、騎士達にも伝えたいのだけれど、やっぱり止めた方がいいかしら?」
「いいえ。大丈夫ですよ!」
「本当⁉」
てっきり止められると思っていたソフィーは、思わず聞き返した。誰かが主皇側と通じている可能性もないとは言い切れないのに。
アーロンは確信に満ちた表情でソフィーの不安を払拭する。
「この国は力が全ての国ですが、この状況を利用して皇位を簒奪するような人間を、オスベル国民が皇帝と認めることはありません。騎士なら正々堂々と平時に戦いを挑んでくるはずです」
「ええ!ええ、そうね!」
この国の人間は、偏屈で、変人で、初対面の人間には心を開かなくて、だけど一度これと決めたら一生でも付き合う一途さがある。
そして何より、この国の人々の誇り高さをソフィーも実感していた。
理由は伏せた状態で陛下の無事を各領の騎士団長にも伝えると、目に見えて士気が上がった。
「エドワードは神の傑作。そう簡単に死なないだろう」ジョシュアの根拠のない自信もあってか、その夜、アーロンは久々に熟睡できた。




