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夢見がち令嬢と狼の牙  作者: 松原水仙


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エレーヌの罠

 ジェレミーが学校へ通っている間、ソフィーとエレーヌは家庭で教育を受ける。学問は個別に教わるが、舞踊・絵画・音楽の授業は一緒に受けることになった。



「ソフィー様、それは何の絵なのですか?」

「勿論、目の前の薔薇です」


 題材として目の前に置かれた、花瓶に入った薔薇の花束を示す。


「なんてこと…」


 似ても似つかぬ絵に、先生が頭を抱えた。


「ソフィー様には難しすぎましたね。一本から描き始めましょう」


 一本抜いて一輪挿しの花瓶に差し替えたものが、新たにソフィーの目の前に置かれた。


「それに比べて、エレーヌ様。何てお上手なのかしら。薔薇の花びら一枚一枚が生き生きと輝いているわ」


 先生にそこまで言われるなんて。隣のエレーヌの作品を思わず覗き込んだ。


「本当だわ。とても上手なのね!」

「ありがとうございます。先生の教え方が良いからです」

「まぁ」


 先生は感動した様子で、エレーヌに熱心になった。音楽の授業でもエレーヌの才能は発揮された。


「エレーヌ様のバイオリンの腕前は素晴らしいわ。軽やかなのに深い音。こんな音が出せるなんて」

「先生に言われた通りに弾いたら、できました」

「始めたばかりなのに、なんて飲み込みが早いの。それに比べて…。ソフィー様は荒々しく弾きすぎです。ひどい音だわ。エレーヌ様を見習って、次回までに自習を」

「…はい」


 最後の舞踊の授業でもエレーヌは完璧だった。まるでプリンセスのよう、と先生が褒めるのも納得だった。私は先生の足を何度も踏んでしまったのに…。


 先生にお礼を言って部屋を出て、二人で長い廊下を歩く。


「エレーヌ。あなた、とてもすごいのね」

「そんなことないわ。お姉様こそ、とても革新的で個性豊かで良いと思うわ」


 クスクスとエレーヌが笑う。


 革新的…。


 それにしても、とエレーヌをこっそりと覗き見る。


 まだ幼いにも関わらず、色気すら感じるほどの美貌だ。輝くような金髪に深い青い瞳、薔薇のように赤い頬とぷっくりとした唇。見れば見る程に面影を感じる。他愛のない会話でも、くるくる変わる表情が可愛らしい。

 夢の中の彼女もまさにこんな感じだった。


 そんなことを考えながら、二階へと続く大階段を二人で上り始める。広い階段には絨毯が敷かれ、足音を吸収した。


「私も見習わないといけないわ。今度バイオリンを教えてくれる?」


 エレーヌに話しかけている間、エマがメイド達に指示を出している声が聞こえた。上の廊下から階段付近に近づいてきているようだ。

 テキパキとした話し方につい顔が綻ぶ。


「エレーヌ?」


 急に立ち止まった彼女を振り返った瞬間、きゃあという甲高い悲鳴とともにエレーヌが後ろ向きで落ちていくのが見えた。

 驚きで声が出せず、とっさに両手で口元を押さえることしかできなかった。


「エレーヌ様⁉」


 階下にいた侍女が慌てて駆け寄ってくる。メイド数名も何事かと近づいてきた。

 その声でソフィーも我に返る。


「エレーヌ、大丈夫⁉」


 とっさに足を踏み出そうとしたところ「いやっ」と初めて聞く大きな声で拒絶された。エレーヌは震えながら侍女の服の袖を掴み、ソフィーから見えないよう侍女の後ろに身を隠した。


「エレーヌ?」


 なぜ自分が拒絶されているのか分からず、戸惑う。


「エレーヌ様? まさかソフィー様に突き落とされたのですか⁉」


 信じられない言葉に、ドクンと胸が鳴った。

 ソフィーはまだ階段の途中で、エレーヌを見下ろす位置に立っている。


「え、待って!私そんなことしてないわ。そうよね、エレーヌ⁉」


 焦ってエレーヌを見るも、逃げるよう身を隠し怯えながらこちらを伺っている。


「エレーヌ様、こんなに震えて…。ソフィー様、一体どういうことです⁉」


 侍女が眉を吊り上げ問いただす。


「だから」

「まずはエレーヌ様の状態の確認を!」


 ソフィーを遮り、声を上げたのはエマだった。ハッと侍女達がエレーヌの体を確認する。幸いまだ数段ほどしか上っていなかった為、大した怪我はなさそうだ。


「あぁエレーヌ様。こんなに白くて細いお体に痣などできたら大変です。すぐにお部屋に行きましょう」


 侍女達は厳しい視線をソフィーに向けながら、エレーヌの体を支え階段を上って行った。

 ソフィーは何が何だか分からず呆然と立ち尽くす。


「ソフィー様」


 エマに名を呼ばれビクッと体が強張る。


「私、本当に…」


 続きが出てこない。下を向くソフィーにエマが声を潜めて言った。


「分かっています。私達もお部屋に戻りましょう」


 ええ、と答えるのが精一杯だった。


 自室の椅子に座ったまま、先ほどの出来事を思い出す。エレーヌには触れてもいないはずだ。でもエレーヌは驚いて私を見ていた。


「私が急に振り向いたから吃驚して落ちてしまったのかもしれないわ。どうしよう、エマ」


 不安で声が揺れる。


「いいえ。ソフィー様。ソフィー様は悪くありません」

「だけど、驚かせてしまったのなら、やっぱり私の責任だわ」


 今にも泣きだしそうなソフィーの手を、エマは屈んで握った。


「ソフィー様は全く悪くありません。彼女は自分で落ちたのです」


 鋭い声で断言するエマに困惑した。


「何を言っているの、エマ。そんなことするわけないじゃない」

「いいえ。落ちる寸前、彼女がちらっと後ろを確認するのを見ました」

「たまたま後ろを見ただけよ。大けがをする可能性だってあったのに」

「たった五段です。頭さえぶつけないよう気をつければ問題ありません。事実、彼女は衝撃が腕に当たるよう、うまく体を横に捻って落ちています」


 確かに倒れた彼女の体は横を向いていた。


「…あんなに小さな子に、そんな器用なことができるかしら。それに数段だって落ちるのは怖いはずよ」

「ソフィー様。例え驚いて落ちたとしても、あの態度は異常です。このままでは全てソフィー様の責任にされてしまいますよ」

「それは…」


 ソフィーは何も言えなくなった。確かに今の状況では誰も自分の言い分など聞いてはくれないだろう。

 だけどエレーヌがそんなことをする理由がない。


「もしかしたらフィフィ様も同じような状況だったのかもしれませんね」


 さっきからエマの発言を上手く飲み込めない。それなのに心臓だけ早鐘を打っている。


「フィフィ様は異常にご家族や殿下に嫌われていました。嫌われるように仕向けられたのかもしれません」

「あれは、ただの夢で…。あぁ、私が予知夢なんて言ってしまったからね。あれは真剣に言ったわけではないわ」


 いつでも自分の言うことを真剣に聞いてくれるエマに苦笑いする。しかし、エマの目は真剣そのものだった。


「ご家族が夢に出てくるのは理解できます。しかし、会ったこともないエレーヌ様やアンリ王太子殿下まで出てくるのはおかしいと思いませんか」


 エマはソフィーが何か言う前にさらに畳みかけた。


「あれが予知夢でないのならそれで構いません。しかし可能性を排除できない以上、楽観的になるべきではないです。あらゆる状況を考え、最善の策を練らねばなりません。貴族たるもの、いつ誰に足を引っ張られてもおかしくはないのですから」

「……ええ、そうね」


 エマの言う通りだ。

 エレーヌがそういう人間だとは思わない。エマはああ言うけれど未だに驚いただけだと思っている自分がいる。


 しかし、状況が悪すぎる。まずは自分が無実であることを弁明する必要があった。


「他の侍女達から話が伝わる前に、ご家族には私から報告しておきます。戻るまでお部屋から出ないように」


 ありがとう、と伝えるとすぐに部屋を出て行った。


 ソフィーはため息をついて椅子の背に体を預けた。


 疲れた。まだ体が強張ったままだ。

 エレーヌに非難された時、初めて全身から汗が噴き出した。言葉を紡ごうとしても何も出てこなかった。エマがいなければ今も混乱して取り乱すだけだっただろう。


 フィフィがなぜいつも反論しないのか、ずっと疑問だったけれど、今日やっと気持ちが分かった。


「言えなくなるものね」


 天井を仰ぎ、居もしないフィフィに対して呟いた。

 違うと言っても誰にも信じてもらえない。混乱と悲しみと絶望。それに彼女からは諦めも感じる。


 はぁ、と再度のため息を吐いて天井から目を逸らした。



 窓の外では、もう陽が落ちかけていた。


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