聖女の予言
夜が明けると、庭に植わった草花に朝露が光っていた。ほとんど風のない、貴重な晴れの日。
聖女エレーヌが次の予言をしたのは、そんな日だった。
予言先の場所は、城から北西へ三十キロ程のバスミテ地域。
第一、第二騎士団は、ピスラとの戦いの傷も癒えぬ間に出立した。悪路ではあるが、一日ないし二日もあれば着ける場所だ。バスミテの領主ヒュース伯の抱える騎士団や傭兵を入れると総勢約一万の兵となる。
聖女エレーヌも隊列の後方にて、騎士に守られながら騎乗で向かった。
その間に城内では臨時議会が開かれたが、終わる頃には全員クタクタになった。窮地に慣れた猛者達ですらそうであった。それほど混乱していた。
「明日の視察は延期しておきました。一体、どうなっているんでしょう。こんなに魔物が続けざまに出現するなんて…」
「バスミテは領民が多く栄えた町だ。もし魔物が出現すれば被害はピスラの比ではないだろう」
執務室に入るなり机に向かう。空腹にも気づかない程に忙しかった。
「あの女の様子はどうだ?」
「昨日は信者達と晩餐会を開いたようです。しかし、神殿の外には出ていないと報告を受けています」
「そうか。引き続き見張らせろ」
机の上の読みかけの本にエドワードの目が留まる。途中には、ソフィーお手製の花の栞が挟まれていた。庭に咲いたアワユキハコベで作ったものだ。春に野原に咲き誇る、見るからに繊細な真っ白い花。
恥ずかしそうに渡してくれた彼女の顔が忘れられない。
「陛下に対して花を贈る女性がいるなんて」とアーロンが驚いていたのを思い出す。
確かにな。今まで金で買えるものは腐るほど貰ったが、手作りは初めてだ。
フッと少し心が軽くなり、再び書類へと目を移した。
騎士団が現場に到着したのは、日が沈みかけた頃だった。町の中心地は避難が進められているものの、それ以外は後手に回っている。浮浪者や孤児達の姿も多く目につく。
「くそっ!そもそも領地が広すぎる」
「いつ来るんだ⁉」
騎士達が口々に不安を口にし始めた頃、遅れてエレーヌが姿を現した。
「神が私に声を伝えています。海側だわ!海側に行けと言っているわ!」
「海側…。ここから一時間ほどかかるな。急ぎ、海側へ向かえ!」
エレーヌの予言のおかげで魔物が出現する前に現場に着くことができた。月明かりだけでは足りず、松明を灯してその時を待つ。
本当に来るのか? 疑心暗鬼になりかけた頃、急に目の前が明るくなり、同時に体が熱くなった。
「火だ!」「どこから⁉」「熱い!水をかけてくれ!」「おい、火を消せ!」
一瞬でパニックになったのは領主であるヒュース伯が雇った傭兵達だ。火は彼らに襲い掛かった。
火を放ったのが上空にいる竜達だと気づいた時には、木造の建物に次々と火が燃え広がっていた。
音もなく飛来したのは、五頭の竜。ピスラより小柄だが吐く火の量が凄まじい。
「水だ!急げ!」
「第一騎士団は弓矢の準備だ!全員構え!放て!」
デクスターの合図とともに、一斉に攻撃が開始された。五頭いる竜を目掛けて、高々と飛んでいく。矢には毒が塗ってある。竜と雖も、無傷ではないはずだ。
竜は火炎攻撃で人や建物を次々と燃やしていく。悲鳴と叫び声が木霊し、ごおぉという火の音も大きくなっていった。
「一頭仕留めたぞ!確実に効いている!まずは竜を倒せ!矢を放つ手を止めるな!」
野太い声で兵を鼓舞する。
飛ぶ力を無くした竜は、けたたましい悲鳴を上げながら海へと落下した。直後に上がった大量の水飛沫で五名程、海へと引きずり込まれる。
二頭目の竜は陸地へと落下。衝撃で橋が崩落し、上にいた騎士、十数名が溺死した。
「陣形を崩さず、ゆっくり海から離れろ!攻撃の手は止めるな!」
三頭目、四頭目と何とか倒し、ついに最後の一頭となった。
警戒心が強のか、最後の一頭は上空を旋回している。
あの高さでは、届かん!もっと下に来い!
デクスターは身を低く構え、戦斧を放つタイミングをじっくりと見計らった。
一メートルを超す柄には、上部に磨き抜かれた鉄の刃がついている。全体の重さは五キロを超し、振り下ろされれば、ひとたまりもない。
デクスターは、じっとその時を待った。
騎士達は彼の後方で距離を取り、槍や弓を構えている。
攻撃してこないと悟ったのか、竜が海の上から地上へと急降下してきた。上空百十メートル。
まだだ!
上空九十メートル。
あと少し!
デクスターは、右足を後ろにグッと引き、肩を下げて斧を持つ右手に力を込めた。太い腕には血管が浮き出ている。
今だ‼
町へと真っすぐ降下してくる竜を目掛けて、思いっきり斧を飛ばした。
ブンッ、と重い音を立てて飛んでいった斧は見事に竜へと命中し、巨体が真っ二つになる。
おお、というどよめき後、最後の一頭は海へと落下していった。バッシャーンという大きな音が二度響く。
「やったぞ!」
「倒した!」
一斉に弓と槍を下げた騎士達から歓声が上がる。
「喜んでいる暇はないぞ!急いで鎮火しろ!」
海が近いのは幸いだが、こんな時に限って雨が降らず、中々鎮火に至らない。チームを作りバケツを人から人へと運んでいくが、火の勢いが強い。海風を受けて、どんどん町の方へと広がっていく。
その熱さは騎士達にも襲い掛かった。焦げた匂いがする。火の粉が町に降り注いでいく。
「駄目だ!追いつかない」
「火の手が回るのが早すぎる!」
その時、聖女エレーヌが騎士達の前へと進み出た。
「聖女様、危険です!」
「祈りなさいと神の声が聞こえるのです」
エレーヌは目を閉じ、両手指を組み合わせた祈りのポーズを作った。騎士達の制止も聞かず、じっとその場から動かない。
エレーヌが祈り始めてから、徐々に雲が広がり始めた。先程まで見えていた月が徐々に隠れ、空が一段暗くなる。
ゴロッと音がなり、頬に水滴が落ちた。
「雨だ!雨だぞ!」
誰かが叫んだ途端、ザザーッと本降りの雨が降り始めた。火の勢いがみるみる弱まっていく。騎士達の働きもあり、夜明け前には鎮火に至った。
一日がかりの騎乗、竜との戦い、夜通しの鎮火作業、目の前に広がる焼野原。騎士達は疲労感から座り込み、朝方、町に人が戻ってくるまで動くことができなかった。




