これって予知夢⁉
ソフィー・グレイヴィル八歳。ただいま絶不調。
「いつにも増して御髪が爆発していますね、お嬢様」
「この癖毛は一生物だから諦めてちょうだい」
昨夜はいつも以上に魘されていたに違いない。ここまで広がった髪を見るのは自分でも初めてだった。いやいや、今そんなことはどうでもいい!
「エレーヌ、エレーヌ、エレーヌって、うるさいわ!」
手元に柔らかい何かがあれば投げつけてしまっていただろう。幸い何も持っていなかった。
「相変わらず家族仲が良くないですね」
話を聞き終えたエマが髪を梳きながら、僅か一ミリほど眉根を寄せた。たかが一ミリされど一ミリ。彼女が表情を崩すのはそれほど珍しいことだった。
「良くないどころか、嫌われすぎでしょ⁉ 何でフィフィがあんなに蔑ろにされないといけないの⁉ 絶対におかしいわ!」
「確かに。それにおかしいと言えば、新しくご家族になられたエレーヌ様の存在…」
ピタッとソフィーの動きが止まる。
そう、それは彼女が来てからずっと考えていた。夢と全く同じ名前に、同じような年と姿。
「エマの言った通り、これって予知夢かしら」
先ほどまでとは打って変わり、真剣な顔つきになったソフィーを鏡越しに見る。
「そうかもしれませんね。ただ現実に起こるということではなく、何かの暗示の可能性もあります」
「暗示…。どちらにしても私、お先真っ暗じゃない⁉」
「そうですね」
大丈夫ですよ、という言葉を期待していたので、肯定されて顰め面になってしまった。しかし、ハッと気づく。
「待って!もし予知夢だとしたら、私ってば聖女なんじゃない⁉ 前に読んだ本でも聖女様が予言で国を救っていたし!予知夢も予言も同じでしょ⁉」
今度は興奮した顔で、クルリと上半身だけエマに向ける。
「小説の読みすぎです」
小説と言ってもおとぎ話のような子ども向けの短い本だ。最近それらにはまり時間があれば隠れて読みふけっているのを、エマは知っていた。
ソフィーはうっとりと目を瞑る。
「いいわよねぇ、聖女様!憧れるわぁ。貧しい出の少女が不思議な力を使って人々を癒すの。時には虐められながらも、そのうちに実力が認められ貴族に!そして、ついには王子様と結婚するのよ!」
エマが冷ややかに流し、ドレスの着替えに取り掛かった。本日は小花柄のクラシックなピンクのドレスだ。
しかし、ソフィーはまだ妄想に耽っている。
この手の話はいくつもあるが、不思議な力が治癒や予言など少し違うだけで、大体が同じような内容だ。しかし定番は強い。いつの時代もこういう本は少女達に愛されている。ソフィーもまた同じであった。
エマがするすると手際よくリボンを結んでいく。
「聖女と言えば我が国の北に位置するオスベル帝国でのみ誕生しています。ここ半世紀ほどは現れていませんが」
「そうよね!本の中でも舞台は絶対にオスベルなの!いつかは行ってみたいわ」
「そうですね。しかしオスベル帝国に行きたいのであれば今以上にマナーの習得や勉学に励む必要があります」
「…頑張る!」
エマは口ではそう言いながらも、オスベル帝国へ行くのは難しいと考えていた。
なぜならオスベル帝国は戦争によって領土を拡大してきた国であり、内戦も多い。今の皇帝は政治力が高く、内戦を抑えることができているものの、年齢的にいつ代替わりしてもおかしくない。
皇位継承順位で行けば次は息子になるのだろうが、他国にまで無能の声が届くほどの人物であった。彼になればまた内戦が起こるだろうというのが大方の見方だ。
そんな中でのオスベル行きを、フィリップとメラニーが許すはずもない。
まあ立派な淑女になるのはまだまだ先の話であるし、夢を潰すこともないだろう。
「ご朝食をお持ちしました」
ノックの音がしてメイド達がいい香りをさせながらやって来た。いつもながら着替え終わってすぐのいいタイミングだ。
白いパンにチーズ、スクランブルエッグ、サラダにフルーツ。カトラリーとともに次々とテーブルに並べられていく。最後にカフェオレを注いだ時には、すでに右手にフォークを握りしめていた。
「神に感謝します」
言うや否や、オレンジを口に入れる。柑橘類独特の甘酸っぱい果実の汁が口に広がった。
ここルキリア国は気候が良い。また、作物が育つのに十分な雨も降るため農業も盛んだ。グレイヴィル家の領土でも毎年多くの作物が収穫でき、他国へも売りに出しているほどだった。特に多種多様のフルーツや小麦は高値で売れていると聞く。
当たり前だわ。こんなに美味しいんだもの。
オレンジを味わった後は、葡萄だ。紫色が濃く、黒に近い。手で摘まんで花びらのように皮を剥くと中から薄い黄緑色をした果実が出てきた。
「綺麗」
口の中でこちらも果汁が滴る。種は見えないようにナプキンに取り出した。
「フィンガーボールがないので、手で摘まむのはマナー違反です」
「え」
「え、じゃないですよ。何度も教えています」
「本当だわ!フィンガーボールがない」
テーブルの上を見回すものの、見当たらない。食べ物しか目に入っていなかった。
「周囲に何があるか、食事の前に必ず確認を」
「前に葡萄を食べた時は置いてあったのに!…嵌めたわね?」
「嵌めていません。出されるお食事に伴い、仕様も変わります。油断されないよう」
「…はぁい」
納得がいかない表情のまま頷いた。
こんなに美味しい葡萄を、ちまちまとナイフとフォークで皮を剥きながら食べるなんて、どうかしているわ。
しかし、すぐさま気を取り直して、チーズを小さく切る。パンをちぎり一口大にした後にバターをつけ、その上に先ほどのチーズを乗せる。口に放り込むと塩気がぶわぁと広がるが、すぐにパンが和らげてくれた。甘いコンフィチュールも好きだけれど、塩気のきいたチーズと一緒に食べるパンも同じくらい好きだった。
「最高!」
カフェオレを飲む。パンとカフェオレの組み合わせは至極だ。
「ジェレミー様がいらっしゃらず残念ですね」
エマの言葉に、つい隣を見るが、もちろん誰もいない。今日は休校のはずだが、エレーヌが来てから、ジェレミーは彼女と朝食をともにするようになった。
「気にしていなかったけれど、そう言われると寂しく感じるわね」
初日こそ一緒に食べたものの、子ども部屋の狭さに加えて、妙な居心地の悪さを感じてやめたのだ。夢に気を取られてすぎているのかもしれない。
「私も八歳なんだから、寂しいなんて言っていてはダメよね」
スクランブルエッグに手を出す。ほのかな塩味とふんわりした食感が合っている。
「そうですね。そろそろお茶会などへの参加の準備もしないといけませんし、いい機会だったのかもしれません」
「そうね。ジェレミーとエレーヌは仲が良さそうだし安心したわ」
彼らも今頃、同じ朝食をとっているだろう。
「本日は一緒にダンスの練習をされるとか」
「え、もうダンス⁉」
目を見開いて後ろを振り向く。私ですらまだちゃんと踊れていないのに。
「はい。幼少の頃より慣れ親しむことで、一流の動きが身につきますので」
「私も負けていられないわ」
コクリとカフェオレを一口飲んで、意気込んだ。
「そうですね。もしかしたらアンリ王太子殿下と踊る機会もあるかもしれませんし」
ブッとカフェオレを噴き出した。
「ソフィー様…」
令嬢としてあり得ない粗相にエマの声に怒気がこもっているが、それどころではない。
「今、何て言った?」
「王太子殿下と踊る機会もあるかもしれませんと申しましたが、何か?」
「名前よ、名前!何て言ったの?」
「アンリ王太子殿下ですよ。我がルキリア王国の王位継承権第一位。まさかご存知なかったなんてことはないですよね?」
「アンリですって⁉」
「アンリ王太子殿下です。敬称なしで呼ぶなど、首が飛びますよ」
その言葉はソフィーの耳には入ってこなかった。
何てこと!一人息子がいることは知っていたけれど、まさか名前がアンリだなんて。
「夢と同じじゃない!どうして言ってくれなかったの⁉」
エマの目が僅かに大きくなった。
「今までバカ王子かクソ王子としか伺っていませんでしたので」
「…そうだったかしら?」
無意識に目を上にやる。確かにそうだったかも。だって名前を聞くだけで腹が立つもの。
「やっぱり予知夢なのかしら?」
今度は腕を組んで考え込む。
「わかりませんが、エレーヌ様ともども警戒はしておきましょう」
エマの目が光ったように見えた。
テーブルの上には食べかけのパンとサラダがまだ残っていた。




