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夢見がち令嬢と狼の牙  作者: 松原水仙


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聖女のお披露目会

 聖女のお披露目会は、教会にて粛々と執り行われた。国民への顔出しはなく、貴族や選ばれた人間だけが集まっている。


 公賓としてアンリも参加している。黒い燕尾服に右肩から赤い襷をかけた正装姿だ。同じ長椅子にエドワードやソフィーと座り、壇上の聖女を見ている。


 無垢な少女のような笑顔で神歌を披露しているのは、紛れもないエレーヌだった。


 グレイヴィル卿から報告を受けてはいたが…。どうして彼女がここにいる⁉ しかも、聖女だと⁉


 エレーヌの後方では、教会の一員である神道女(しんどうじょ)達がずらりと並び、歌声を響かせている。しかし、薔薇窓からの光がエレーヌだけに当たっている為、彼女達の顔は殆ど見えなかった。


 自分だけに光を当てる演出は、いかにも彼女らしい、とアンリは冷ややかに見つめる。


 歌の後は祈りの時間だ。エレーヌが神の言葉を皆に説いていく。


「私があなた方に神の御言葉をお伝えします。私の言葉は神の御言葉なのです。何も心配いりません。私はここにいるのです。私はあなた方とともにあります。恐れる必要はありません。あなた方は神に守られているのですから」


 真剣に聞く人間の中には、涙を流す者もいた。


 まるで劇だな、とアンリは終始、冷めた目で終わりを待った。




 お披露目会の後は、城内の大ホールで晩餐会だ。


 テーブルセッティングがなされた席に各自座っていく。先程とは打って変わって、華やかなロングドレス姿のご婦人やご令嬢達。男性は燕尾服かタキシードだ。


 別室にてエドワードと挨拶を交わした後、アンリは席に着いた。横にはルキリアの大使達が座っている。その中には警護としてマティスの姿もあった。


 ソフィーはエマと席に着き、その隣にはリアムが座る。アンリとは別テーブルだ。

 話し上手なリアムのおかげで会話が途切れることがない。さすが良家の令息である。


 会話をしながらも、周囲の声に耳を傾けると、聖女の話で持ち切りだ。


「泣いてしまいましたわ」「本当に。何て心強いお言葉かしら」「やはり陛下の御相手はエレーヌ様しかいないわ」


 予想通りの周囲の反応に、特段何も思わなかった。



 弦楽器の音が鳴った途端に声が止み、一同起立して頭を下げた。


 演奏に合わせて、まずエドワードが、続いてエレーヌが入場する。雪の精のような真っ白い衣装は、彼女の無垢な雰囲気を引き立てている。その可憐な姿に、参列者は目を奪われた。


「今日は皆に、我が国の聖女を紹介しよう。聖女、エレーヌ・マクミランだ」


 エドワードから紹介を受け、エレーヌのスピーチが始まる。彼女は全員が自分に注目するのを待って話し始めた。


「皆様。本日は私の為にお集まりいただき、ありがとうございます。私は両親が事故で亡くなってからルキリア国の神道院で暮らしていました。ある日のことです。突然、神の声が聞こえるようになりました。オスベルにて魔物が出ると言うのです。私は自分がおかしくなったのかと怖くなりました。しかし、本当に魔物が出るのならば救えるのは私しかいません。私は国境へと向かい、その旨をお伝えしました。後は、皆様がご存知の通りです。そちらにお座りの主司ジェイコブ様が私を聖女だと信じてくださったおかげで、この国を救うことができました。感謝しています」


 エレーヌの言葉を受け、ジェイコブが立ち上がった。サラサラの長い金髪に、切れ長の瞳は、性を感じさせない、神秘的な印象を与えた。


 主司は、国の教会員を纏める立場であるが、それにしては若い。聖職者の証である真っ白の長いローブを纏う姿は、二十代にしか見えなかった。


「感謝をしているのは、我々教会の方です。あなたを初めて見た時、その神々しさに聖女様以外にないと感じました。きっと国境の騎士も同様だったのでしょう。思った通り、あなたは厳しい聖女審査を難なく合格しました。魔物の出現など神でなければ予測不可能で、その御力は疑いようがありません。あなたがこの世に存在すること、神に感謝致します」


 話終え、神に祈る様に手を組み合わせると、二人に万雷の拍手が送られた。




 スピーチを終えた二人が席に着く。エレーヌはエドワードとアンリに挟まれた特等席だ。


 乾杯の挨拶も終わり、各々近くの人達と話に花を咲かせている。


 アンリは右隣のエレーヌに話しかけた。彼女は品良く赤ワインを口にしている。


「聖女様。お目にかかれて光栄です。おまけに隣に座れるなんて、願ってもない幸運です」

「アンリ()。私の為に遠い所を、どうもありがとう」

「歌も祈りの言葉も、とても心に響きました」

「ふふふ。皆、とても褒めてくださったわ」


 話しぶりから、エレーヌはどうやら王太子より身分が上のつもりでいるらしい。アンリの横に座る大使達が気づかれない程度に眉を顰めた。


 アンリは気にも留めず、ワインを一口飲んで続ける。


「まさか聖女様が我が国の神道院にいらっしゃったなんて。誇らしいです」

「うふふ。ルキリアでの生活は良い思い出だわ。是非そちらへ遊びに行きたいけれど、私は今、オスベルのものだから難しいかもしれないわ。ね、エドワード様?」


 そっと手をエドワードの肩に添え、上目遣いで彼を見た。


「有難いお言葉です」


 礼と同時にエドワードは上半身をエレーヌの方へ向け、左肩におかれた彼女の手をそれとなく振り払った。


「勿論、ルキリアに連れて帰ろうなどと思ってはいませんよ。エドワード陛下と聖女様の間には入れませんから」

「まぁ!アンリ様ったら」


 エレーヌは笑いながら今度はアンリの腕に手を添える。べたべたと相手に触るのは昔からだ。彼女は「自分に触られて嫌なはずがない」と思い込んでいる。


 塩味だけの牛フィレは、肉の味が直接舌に伝わってただでも吐きそうなのに。


 アンリは眩暈を感じながら、脳裏に蘇る記憶を辿った。




『お姉様って昔から地味な色のドレスが好きなの。黒とかグレーとか。落ち着くんですって』

『お姉様はずっと王妃になるのが夢だったの!だからお姉様と結婚してあげて!私は側にいられたら、それでいいから』

『お姉様はジョルジュを愛せないと言うの!それに皆が、ジョルジュはあなたの子ではないなんて言うのよ』

『ねえ、一度でいいの…。私を抱いて。恥をかかせないで』

『皆がお姉様を処刑した方が良いと言うの…。お姉様も牢で罪を認めて謝罪していたわ』

『罪人の子であるジョルジュが王太子なんて、国民が納得しないわ!本人もきっと辛いでしょう…。早くテオを王太子に指名してあげて!』




 忌々しい記憶が次々と蘇ってくる。牛フィレの血が滴って気持ち悪い。アンリは口元を抑えた。


 エドワードがすかさず声を掛ける。


「おや、アンリ王太子殿下。食が進んでいないようだ。お口に合いませんでしたか?」

「とても美味しいですよ。先程の聖女様の素晴らしいスピーチを思い出し、すっかり食べるのを忘れていました」

「そうですか。この後、羊肉もご用意してありますので、是非ご堪能ください」

「ありがとうございます。楽しみです」


 アンリは牛肉を口に運び、胃へと流し込んだ。すぐにワインで口直しをする。


 …食えない男だ。過去には聖女が現れるや否や、ジャンヌを側室にした男。ジャンヌは女児を二人産んだが、その後は——。


 ソフィーは必ず連れ帰る。




 傍目には穏やかな三人の食事風景に、令嬢達が色めきだっている。


「ねえ、御覧になって。陛下とアンリ王太子殿下。それに聖女エレーヌ様。三人ともとっても美しいわ」

「眼福よねえ。エレーヌ様はどちらと並んでも絵になるわ」

「我が国の皇后は聖女様しかあり得ないわ」


 メインテーブルをチラチラと伺いながら、令嬢達が声を潜めて盛り上がる。


 ソフィーの耳にも彼女達の声が届いていた。


「本当に綺麗だよねえ。聖女様」


 リアムがメインテーブルに目を向けながら話しかけてきた。


 にっこりと微笑んでソフィーが答える。


「本当ですわね」

「心配にならないの? 陛下の隣にあんなに綺麗な聖女様がいて」

「心配…」


 リアムに試すような視線を寄こされ、考え込む。


 そう言われれば、不快ではあるけれど心配はしていないわね。なぜかしら? 


 不思議とエドワードがエレーヌを好きになる絵が思い浮かばない。


 きっと彼ならエレーヌの本性を見抜けると知っているからだわ!


「なりませんね!信頼していますから」

「信頼…」


 リアムは驚いた顔をした後、笑い出した。


「戦場以外で彼を信頼できる人なんているんだね!戦場では、相手を一撃で倒してくれて頼もしい限りだけど」

「まあ、一撃で」

「そう。戦場で狼が描かれた黒い旗を見たら、それは死を意味するって言われるくらい、陛下を筆頭にした怖い軍だよ」


「リアム様も一員なんですの?」

「僕は違うよ。帝国騎士団は一流の人間しか入れないから。僕なんて絶対無理だよ」


 一流、ね。ジョージとルーカスを見るに、そうでもないような気もするのだけど。


 ソフィーの考えを読み取ったかのように、リアムが続ける。


「第一騎士団と第二騎士団は、ここのところ城を出ているから、今城にいるのは三軍以下だけどね」

「ああ。そうでしたの」


「魔物退治に行っているよ。過去には魔物に全滅させられた隊もあったから、弱い軍には行かせられないって」

「全滅…」

「そう。将校二十名をはじめ約七百人が皆殺しにされた。だから正直、聖女様の登場は願ってもないことなんだ」

「…そうだったのですね」


 それほど危険なのね…。スカーレット女史も軍事の詳細は教えてくれない。魔物についても同様だった。


「聖女様と陛下が結婚なんてことになれば、国中の士気が上がる。きっと周りの皆も期待しているんじゃないかな」


 リアムは視線で周囲を見るよう誘導した。


 皆、聖女の存在を好意的に受け入れている。特に騎士はそうだ。戦争では神にしか縋れないのだから、聖女に傾倒するのは当然だ。


 ソフィーが皇妃の立場を拒否していることは周知の事実となっている。つまり彼はソフィーに邪魔だと言っているのだ。


「そのようですわね。私に直接そう仰ってくる方は珍しいですけれど」


 ふふふ、とソフィーが笑うと、リアムもハハハと返してきた。


「いやぁ。ごめんね。この国では聖女様は特別だから。ほら、皇帝とはいえ国民の支持があってこそだからさ。忠実な廷臣としては、やっぱり心配でね」


「まあ、こんなに慕われてエドワード陛下は幸せですわね。()()()()()()お礼を申し上げますわ。どうもありがとう、リアム様」


 ソフィーが微笑むと、リアムは苦笑した。それからは、当たり障りのない会話に変わる。



 …なるほど。私が皇后では国民の支持が得られないということね。正直な方だわ。


 私はこの国で皇后として認められなければならない。分かってはいたけれど、面と向かって言われると気合が入る。




 メインテーブルにいるエレーヌと、そうではないソフィーの座席位置が全てを物語っている気がした。


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