皇帝と主皇
聖女の出現は新聞や雑誌などのメディアを使って大々的に発表され、他国にも広く知れ渡るところとなった。
聖女の存在は、国民へ安心感を与えるのに加え、戦争への抑止力にもなる。聖女は神の使いだからだ。
アーロンは束の書類を腕に抱え、エドワードの机の前に立つ。捺印待ちである。
「国民に向けて、聖女様のお披露目もしなければなりませんね」
「必要ない。いるという事実があれば十分だ。余計な金を使わずに済む」
「しかし歴代の聖女様は皆、顔出しをされて…」
「親しみは増すが神秘性が減る。有力貴族だけ集めれば良い」
「御意」
この国を含め、大陸全土で広く信仰されているのが、レリジオ教だ。
彼らは国とは違う法に則っており、主皇をトップとしたレリジオ教の人間には、エドワードが持つ皇帝の権限が使えない。うっかりするとこちらが宗教裁判にかけられてしまう。
厄介なのは好戦的な主皇がいること。神の意志という大義名分を掲げ、徐々に領土を広げている。しかし、こちらから安易に攻めれば他国からの非難は避けられないだろう。
無駄に権力を持たせるからだ。エドワードは内心で悪態をついた。
アーロンは席に戻り、資料に目を通している。しかし、やはり頭は状況の整理に動いてしまう。
レリジオ教は今、主皇が二人も存在するという前代未聞の事態に陥っている。綺麗に二分されている為、投票の三分の二の得票が困難で、何度行っても一人に決まらない。
自分こそがトップだと両者が主張し、主皇領は二分割されている状況だ。
残念ながら、オスベル出身者はいない。ルキリア国、聖ギリオン国出身の二名で争っている。
アーロンは頭を抱えた。
そんなことってある⁉ 一人に絞れないなら普通は空席にしない⁉ 二人がそれだけ力を持っているってことなんだろうけどさぁ。
聖女を見出したことで、聖ギリオン国出身のファビアーノ主皇が一歩優勢と目されている。
アーロンは目を瞑って、両腕を組んだ。
でもファビアーノ主皇こそ領土の拡大に熱心で、血気盛んな人物なんだよねぇ。お隣の国だし。我が国にも飛び地の領土を幾つか持っていて、国内でも知られた主皇だ。
あー、嫌な予感がするなぁ。
昔から皇帝と主皇は、対立と協力を繰り返している。
国民の支持が主皇派に偏ると、皇帝の地位から引きずり降ろされることもある。それだけ主皇は影響力を持っている。
聖女に支持が集まり過ぎて、主皇派の人間が増えると困るんだよなぁ。宗教で誤魔化しているけど、領土を持っている以上は外国な訳だし。
有難いけど、厄介なんだよなー、聖女って。皆もそう思わない?
脳内で見知らぬ誰かに問いかけるのは、誰も知らないアーロンの癖だ。他者からは真面目な表情をしているようにしか見えないが、無言でいる時は大抵誰かに話しかけている。
意識を戻し、思い出したように別件を尋ねた。エドワードの仕事の速さは異常で、処理済みの書類が高く積まれている。
「ルキリア国王より、聖女出現に関する祝辞が届いています。加えて、アンリ王太子殿下がご挨拶をしたい、と」
「早いな」
「お断りしますか?」
「いや。是非、来てもらおう」
「十中八九、偵察ですよ? 良いんですか? …何か企んでます?」
「いいや?」
エドワードは足を組んで、椅子の背にもたれた。口の端が上がっている。
私の横に立つソフィーを見て、あの男はどんな顔をするだろうな。考えただけで愉快だ。
「…では、貴族への顔見せの時に、一緒にご招待します」
「そうしてくれ」
「あと、業務ではないですが、ソフィー様の件、おめでとうございます」
「ああ」
「陛下が幸せで、私も嬉しいです」
驚くほど、優しい表情になったエドワードに、アーロンの顔も綻んだ。
「ソフィー様と聖女様が姉妹だったという話は、どうやら本当だったようですね。さすがグレイヴィル卿。痕跡は完璧に消していました。密偵から報告がなければ、気づけませんでした」
「ソフィーのあの驚きようを見るに、グレイヴィル卿が聖女を差し向けたということはなさそうだ」
「はい。その点は安心しました」
「疑惑が晴れたなら、式の日取りを調整してくれ。ドレスは二十着ほど作らせよう」
「ドレスが出来てからなので、式は当分先になりそうですね。来賓、食事、花、パレード、その他諸々の準備もあります」
「全てソフィーの意に添うようにしてくれ。彼女の負担になるようなら、伝統通りで構わん」
「かしこまりました」




