枢密院
公人になるという決意をしてすぐに、ソフィーは枢密院から呼び出しを受けた。内閣の役割も担う国の中枢機関である。事前に知らせもなく、慌てて身なりを整えた。
大広間に入るなり、百名程の議員達がソフィーを品定めし始める。貴族、聖職者、騎士、労働組合の代表。いずれも百戦錬磨の風格がある強者ばかりだ。他のご令嬢であれば、この状況に泣き出していたかもしれない。
しかし、ソフィーは落ち着いていた。
「ご機嫌よう、皆様。グレイヴィル侯爵家が娘ソフィー・グレイヴィルでございます」
華やかなドレスに身を包み、自然な笑みを湛え、優雅に挨拶した。
促されるまま中央の椅子に座る。左右を議員達に囲まれても、緊張など微塵も感じさせなかった。
アヴァ、イザベラ、ポピーが貴族院側に、ジョージとルーカスが下院側の後ろに控えている。にやにやとした顔から今日の目的が知れた。
最後にエドワードがアーロンを連れて入って来る。大きな絵の下にバチバチと燃えている暖炉があり、その手前に腰を下ろした。ソフィーとは正面から目が合う位置だ。
「お集まり、ご苦労。さて、臨時議会ということだが議案は何だ?」
「ご婚約者であらせられるソフィー様についてです。陛下」
「我が后が何か?」
「どうもソフィー様の言動がおかしいと、我が娘から報告を受けまして」
赤ら顔で恰幅の良い男が、視線でアヴァを示す。男はパーク伯爵と名乗った。
「おかしいとは?」
「誰も入っていないのに、部屋が散乱していると毎日喚かれるのです!」
「私達が出入りする時はいつも異常がないのです。ですがソフィー様がお戻りになるといつも荒れていて、私達のせいだと怒鳴り散らすのです!」
二人の侍女は芝居がかった風に述べた。
「ほお」
「しかし、私達が見張っている間、不審者は侵入していません!ソフィー様がご自身でされたとしか…」
アヴァとイザベラの訴えをジョージが補足した。
エドワードが、ジョージの隣に立つルーカスに視線を送る。
「ルーカス、お前はどうだ?」
「はい。彼女はいつもどこかへ出かけており、勉学に励んでいる様子が見られませんし、后として相応しいのか疑問に感じています」
「そうです!いつも遊んでおられて、聖女様はあんなに熱心にお祈りを捧げてくださっているのに!」
「もう我慢できなくて、議会を開いてもらったのです!」
切実な彼らの訴えに、ホール内がざわついた。
「后教育を怠っているだと⁉」「半年の猶予をやったのに」「そもそも外国の娘など反対だったのだ」「ルキリアの軍師の娘で、王家の血筋でもないくせに」
口々に囁き始めた。中でも「やはり聖女様こそ皇后に相応しい!」という意見には「そうだ」「そうだ!」と口を揃える。
議会の目的が、ソフィーを追い出し聖女を皇后に据えることであるのは明白だった。
「…ということだが、説明を願えるか」
「では順を追ってご説明致します」
ソフィーは起こったことを全て詳細に述べた。床に物を巻き散らかされたこと。部屋を水浸しにされたこと。ドレスを破かれ、宝石を盗られたこと。その際の侍女や騎士の対応等である。
話を聞くうちに、議員達が再度ざわつき始める。理路整然とした話し方もそうだが、ソフィーのオスベル語があまりにも流暢だったからだ。
アヴァとイザベラは呆然としている。無理もない。彼女達はソフィーを無能と判断して侮っていた。だからこそ、こんなお粗末な内容で糾弾が出来たのだ。ソフィーの言葉の拙さや、言い返さない頼りない態度を見れば、誰しもが皇后に相応しくないと判断したはずだった。
それなのに——。
物腰の優雅さ、落ち着いた話し方、言語能力、聴衆を味方につける説得力。今日のソフィーは皇后の風格さえ感じさせるではないか。
侍女だけではない。騎士二人も唖然として立ち尽くしている。ソフィーはそんな五人を気にも留めず、百人の聴衆に語り掛けた。
今までソフィーは二人の話を聞き流していたわけではなかった。彼女達がオスベル語で話した嫌味を脳内で繰り返し、実際の発音やイントネーションを学んでいたのだ。
「以上が、これまでの出来事ですわ。でも驚きました。何度申し上げても自作自演だと言われるのですもの。我が領の騎士であれば隅々まで調べたでしょう。中にも入らずにざっと見ただけで判断ができるなんて、さすがオスベル帝国の騎士様。優秀ですこと」
エドワードと目を合わせ、微笑んで見せた。
エドワードは楽しそうに口の端を上げている。
「では、騎士二名は前に」
前にとは、中央に来てソフィーの後ろに立てということ。つまり傍観者ではなくなったということだ。
「お、お待ちください。私達は…」
「早くしろ」
エドワードや議員達の視線に急かされ、足取り重く、ソフィーが座る椅子の後ろに立った。
「自作自演の根拠を述べよ」
蒼ざめたまま、話し始めようとしない。分が悪いのは明らかだった。
「し、侵入者は本当に入っていません」
「そうです!私達はパーク伯爵のご令嬢がやっていないと言うので、それであればソフィー様がご自身でやったものと…その…」
「おい!私の娘がやったと言うのか!」
「私達じゃないわ!信じてください、皆様」
「そうよ!証拠だってないわ!」
「ソフィー様じゃなければ、そこのメイド三人が犯人としか考えられない!」
「あなた達騎士が無能だから侵入者に気づかなかっただけでしょう⁉」
周囲が見えなくなり、言い争いを始めた。
「止めろ!」
パーク伯爵が声を荒らげた。五人はぴたりと口を噤む。
「見苦しいところを見せ、申し訳ございません。しかし!話を聞く限り、現場の状況を確認できない以上、犯人捜しは難しいでしょう!我々ができることは、以降の対応を考えることではないでしょうか⁉」
まるで演説するかのように、声を張り上げた。都合の悪い話を切り上げたい気持ちが透けて見えたが、周りは次々と同意を始める。
「そうですね!」「それが良い」「まずは、警護を増やしてはどうだろう」
どうやら彼は有力者らしい。ソフィーは目を細めた。
「ソフィー様に危害がなく、何よりです。部屋は変えさせましょう。ドレスももっと良いものを私がご用意しましょう」
「もっと良いものですって?」
ぴくりとソフィーの眉が動いた。
「ええ!そこの下院議員の彼は、この国有数の商人です。お好きなものをご用意させましょう」
「…あれは、私の両親がこの国へ旅立つ時に持たせてくれたドレスなのよ?」
「なるほど!でしたら、全く同じものを作らせましょう!彼は何でも作れますから!」
「さすがパーク伯爵だ」「対応が素晴らしい」「考えてみれば、ドレスくらいで騒ぐことじゃない」
周りの声が大きくなってきた。貴族院からも下院からも、聞こえるのはどれも彼を擁護する声ばかりだった。
ソフィーは徐に立ち上がり、後ろに立つルーカスのネックレスを外した。
「何を⁉」
焦るルーカスを無視して、今度はアヴァとポピーの指輪を外す。
「何するのよ⁉」
「返して!それは」
ソフィーはエドワードに近づいたかと思うと、右腕を振りかぶり、それらを勢いよく暖炉に投げ込んだ。
「酷い!あれは、おばぁ様の形見なのに…」
「あの指輪は我が家に代々伝わるものなのよ⁉」
ポピーが泣き出し、アヴァは膝から崩れた。ルーカスは手のひらを爪が食い込むまで握りしめ、ソフィーを睨んだ。
「あら、大丈夫よ!私がもっと良いものを買ってあげるから!良かったわね」
笑うソフィーに、一瞬ホール中が静かになったが、すぐに非難に変わる。
「ルーカスのネックレスは、死んだ母親が残したものだぞ!」
「何てことを!」
怒り始めたのは下院の騎士団の者達だった。
真面目そうな彼が騎士服の時でさえ身に着けるアクセサリーだ。当然、思い入れのある品だろう。他二人もそうだ。大切に扱っていることを、ソフィーは仕草から読み取っていた。
「だから何だと言うの? 同じものを買って貰えるならそれでいいじゃないかと仰ったのは、あなた達でしょう?」
ルーカスは怒りで震えている。ポピーはすすり泣きを続けている。言い返す元気があったのはアヴァだけだ。
「同じな訳ないでしょう⁉ 返してよ!私の指輪!」
「では、前言を撤回なさるということで、宜しいのかしら?」
ソフィーが見たのは、パーク伯爵だ。その後、一人一人の顔を見るように、ぐるりと会場中を見渡した。
「アヴァ!うるさいぞ!」
「だって!お父様!」
ソフィーは二人のやり取りを遮るように、声を大きくした。
「そう!同じではないわ。形が同じでも、思い入れのある品とそうでない品が、同じな訳ないの。お集まりの紳士の皆様なら、とうにお気づきでしたでしょう?」
ソフィーが目を合わせようとすると、皆は次々に視線を逸らした。が、すぐに各所から抗議の声が上がる。
「そ、そんなことは関係ない!お前がやったことは暴力だ!」「そうだ!何てことをするんだ!」「品性に欠ける行為だ!到底受け入れられない」
ソフィーは左手を開いて、手のひらを見せた。ネックレスと二つの指輪が輝いている。
三人は身じろぎ一つできず、それを凝視した。
当然、罵りの声も止む。
「お返しするわ。良かったわね。無事で」
三人に近づくと、それぞれに渡し、こう耳打ちした。
「私のドレスは、もう一生戻ってこないけどね」
誰も言い返してこなかった。
ソフィーは何事もなかったかのような顔で、椅子に座る。
エドワードは満足そうな顔で、判決を下した。
「今回の件、誰が犯人であれ、騎士に非があるのは明らかである。捜査を怠り、報告すらしていない。これは明らかな職務放棄だ。よって、ジョージとルーカスに死刑を言い渡す」
「はっ⁉ 死刑⁉ お、お待ちください!死刑だなんて!」
「陛下、どうかご慈悲を!」
「ジョージもルーカスも騎士団のホープです!彼らを慕っている者も多く、士気に関わります!」
慌てたのは騎士団の面々だ。ただでも人出が足りていないのに、二人を処刑なんてされたら堪らない。
ソフィーもさすがに判決にギョッとする。
「しかし、話を聞けば、彼らの無能さは明らかである。犯人をみすみす逃しているではないか。それも三度も、だ。もし彼女が部屋にいれば無事でいた保証はない。それにここまで悪質であれば、その二人が犯人を引き入れた可能性も否定できない」
ジョージは生気を失い、ヘタリと床に座り込んだ。ルーカスは蒼ざめてはいるが、何とか立っている。しかし二人とも震えていた。
さらに震え上がっていたのは侍女三名である。口を抑えたまま、何も言えずガタガタと震えている。
「陛下!罪が重すぎます!」
「まだソフィー様が自分でやった可能性も否定できないではないですか!」
「ご再考を!」
「騎士団の連中はこう言っているが、どうする? ソフィー」
「…さすがに死刑は重すぎます。どうでしょう? 今後、もしこの五人の内、誰か一人でも粗相をすれば刑を執行するというのは?」
「今回は見逃すと?」
「ええ。だって騎士はともかく、侍女達は犯人ではないと言っていますし。彼らには今まで通り、私に付いてもらいましょう」
侍女達は泣き出した。それが安堵からか恐怖からかは分からない。
騎士二人は何かを言う気力などとっくになかった。
ソフィーは音もなく立ち上がる。
「陛下。今回の件、陛下の婚約者として身近な侍女や騎士の信頼すら得られなかったというのは、私の不徳の致すところです。また他の方々も仰っているように、私の嫌疑が完全に晴れたわけではございません。ですので」
一旦、言葉を区切ってエドワードを正視した。彼も美しい蒼い瞳をこちらに向けている。
「私達の婚約を、破棄して頂きたいと思っております」
「…へぇ」
エドワードの表情からは何も読み取れなかった。しかし、ざわついていた空気がしんと重いものに変わった時、ソフィーは彼が怒っていることにやっと気づく。
あれ⁉ 私、何か失敗してしまったかしら? 聖女様と結婚できるよう、婚約破棄の言い訳を作ってあげたのだけれど…。
周囲を見回していた視線をエドワードに戻す。相変わらずの整った顔立ちだったが、その瞳にいつもの輝きがなかった。
「陛下?」
「…本気で言っているの?」
「勿論です。聖女様がご降臨されたと伺いました。陛下の隣には清廉潔白な聖女様が相応しいでしょう。手続きが整い次第、私は国に帰ります。相手が聖女様なら父も納得しますから。私は実際に来て、この国がもっと好きになりました。何一つお役に立てずに帰国するのは心苦しいですが、どこにいてもこの国の増々の発展を祈らない日はないでしょう」
今までのお礼の気持ちを込め、ふわりとスカートをつまみ最上級の挨拶をした。
議会がざわついている。後ろからヒソヒソとした話し声が聞こえてきた。
「やはり、皇后には聖女様が相応しいだろう」「いや、しかし、グレイヴィル嬢にもいてもらわねば」「誰が陛下の子を産むんだ」「そんなのは貴族の娘で事足りる」「うちの娘でもいい」「いや、私の」
ソフィーには言っている意味が理解できなかった。
誰が子を産むとは、一体どういう意味なのか。聖女様と結婚するのだから聖女様しかいないだろう。ソフィーの疑問は誰かが呟いた次の言葉で簡単に解消した。
「聖女様が産めれば良いが、処女を失っては、聖女の力がなくなってしまうからな」
「ああ。だから聖女様が皇后になるならば、別に皇妃が必要になる」
「⁉」
驚いて声が出なくなった。そんな事実があったなんてソフィーは知らなかった。
だから聖女様が現れても婚約破棄を言い出さなかったのだわ!
ヒュッと息が苦しくなった。
幸せそうな聖女様の裏で、そんな辛い思いをする人がいたなんて、本には一切書いていなかった。
嫌な予感に手が震えそうになる。
…大丈夫よ。お父様が側室にはならないという条件を提示してくれたじゃない。婚約は破棄されるはずだわ!
そんなソフィーに、後ろから追い打ちをかける言葉が届いた。
「独身を貫いた聖女様もいたが、当時の陛下が正妻よりも聖女様を大切にされて、ほぼ皇后のような扱いだったと聞く」
「当然だ。何と言っても聖女様は神の遣いだからな。肩書なんてどうでもいい」
小さな声のはずなのに、はっきりと聞こえた。
え、待って!もしこのまま婚約破棄がなされなければ、子どもを産む為だけに陛下と聖女様の側にいなければならないということ⁉
それじゃあ、夢と全く同じじゃない!
焦るソフィーに、真正面に座るエドワードから言葉が投げかけられる。
「ソフィー。嫌疑がかかった状態では結婚できないという、その清廉潔白さ。それに加え、この国への愛情の深さ。あなたこそ私の后に相応しいと今日、確信しました」
エドワードが輝きのない瞳を細めた。穏やかな話し方なのに、どこか冷たく感じる声。
まずい!
「きっと彼らも同じでしょう。あなたのような方を后に迎えられ、私は幸せです」
エドワードに暗に促され、ホールには大きな拍手の音が響き渡った。
ソフィーは目の前が真っ暗になった気がした。




