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夢見がち令嬢と狼の牙  作者: 松原水仙


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一目惚れ

 エドワードは裏庭で聖女の話に耳を傾けていた。彼女は風に揺れる花に顔を近づけて、エドワードに微笑む。咲いているのはジギタリスの花。紫、ピンク、白と色はまちまちだ。その周りをトンボが数匹飛んでいる。



「このお花、とっても可愛いわ」

「お気に召したようで何よりです」

「こちらに来て。一緒に楽しみましょうよ」


 手招きする彼女に誘われるままに近づき、暫し二人で花を観賞する。一つの茎にベル状の花が幾つもぶら下がって咲いている。


「美しいですね。日陰を照らすように咲いて、まさにあなたのような花だ」

「まあ!うふふ。確かに私はこの国に光をもたらす為に生まれてきました。こんな使命を与えてくださり、神に感謝しています」

「それは、それは。頼もしい」


「エドワード様。私とともに、この国を導きましょう」

「聖女様がこの国に来たことは神の思し召しでしょう。魔物の出現で混乱していますが、あなたが一緒ならば乗り切れる」

「ええ。私、朝と夜に毎日祈りを捧げているのです。きっと神も応えてくれますわ」

「感謝します」


 そう言ってエドワードが自身の胸に右手を当てると、聖女は必要ないと言うように、その手を握った。


「皆の幸せな顔を見るのが、私の幸せですから」

「なんて素晴らしい」

「その為には、私とエドワード様が力を合わせる必要があります。私達は対のようなものですわ」


 エドワードの手を両手で握ったまま、聖女が訴えた。


「聖女様と対になれるなんて、光栄です」


 エドワードは口元だけで微笑んだ。満足したように花を眺める彼女を目に入れる。



 常に正しいことし、正しいことだけを言う。


 聖女というのは本当に——つまらんな。



 今ここでともに花を見ているのが、ソフィーであったなら…。


 エドワードは初めて会った時の彼女を追想した。





 エドワードがソフィーを見初めたのは、彼がルキリア留学中に行われた馬上槍試合の日だった。


 お祭り騒ぎの広場を避け、人気の少ない校舎で時間を潰していた。


 勝てば名が売れ就職に有利だと生徒達は張り切っていたが、エドワードには関係がない。半ば遊びのようなもの。ルキリアの人間に花を持たせてやろうと、途中で負けるつもりでいた。


 熱に浮かされた声があちこちから聞こえる中、耳を澄まさないと聞こえないような静かな音色が聞こえた。


 ピアノだ。


「地味な音だな」


 笑いながら男達が去って行った。それを横目で見ながら、音のする方へ近づく。


 赤毛の女性が一人、教室でピアノを弾いていた。顔は見えない。


 廊下では侍女が待機している。視線こそ感じないが、こちらを視界に入れているのは明らかだった。気にせず教室の入り口に立って、ピアノを弾く彼女を見つめる。


 地味な音、確かにな。訓練を受けていない人間にはそう聞こえただろう。

 それくらい静かな音だった。



 しかし——。



 これは、「狩り」だ。

 エドワードは確信した。


 静かな音の中に潜む、ピンと張りつめた緊張感。


 彼女は獲物が来るのを、身を潜めてじっと待っているのだ。静かな音で誘って、気づかずにやって来た獲物の首に一瞬で食いつく気だ。


 これほどまでの緊迫感は味わったことがない。


 目が離せなくなった。


 彼女は確かに誰かを殺そうとしている。


 弾き終わった後、彼女はピアノに突っ伏した。泣いていたのだ。エドワードはその場を静かに離れた。



 一体、誰の為に泣いているのか。気になって仕方なかった。


 そもそも彼女は誰だったのか。

 その疑問はすぐに解ける。


 観客席に座るルビーのような赤い髪をした女性。他にも赤毛の女性はいたが、派手な色のドレスを身に着けた他の令嬢達とは違い、彼女のドレスは喪服のような黒だった。その彼女の隣には軍神とも呼ばれるグレイヴィル卿がいるではないか。


 運命だと思った。


 だから勝つつもりのなかった試合で、つい本気を出してしまった。アンリを倒した時のシンと静まった空気ときたら。


 それでも彼女の目に少しでも留まりたかった。





 帰国後、エドワードは王室秘書官であるアーロンにこう告げる。


「一目惚れした。彼女と結婚する。皇位も継ぐことにした」


 これにはアーロンも驚いて、小柄な体をピクリと震わせ、大きな目をさらに見開いたまま暫し固まる。正気に戻るや否や、


「やっとその気になってくれたのですね!良かった!もうこの国は駄目かと思っていました」と安堵から泣き出した。


 それもそのはず。丁度その頃、魔物の出現に怯えた皇帝と皇后、つまりエドワードの父と母が、オスベル帝国から逃亡を図った直後だった。


「国民の反発もすごくて。一部が暴徒と化しています」


 アーロンの顔には心労が滲んでいる。


「なるほどな。分かった」


 エドワードは初めて国事に意欲的になった。



 逃亡を知った国民は、「皇室はいらない!」「共和制へ移行せよ!」と声高に叫び始めていた。


 これを鎮める為、エドワードは実の両親である二人を公開処刑する。首を落とされる二人を顔色一つ変えずに眺める姿は、国民に畏怖の念を抱かせた。


 皇位に就いたエドワードは、国内で民族争いを続ける部族達に和平案を提唱し、これを収める。共通の敵となりうる魔物の出現は、願ってもない和平の口実となった。


 その後、騎士団を率いて魔物を退治した頃には、国民は新たな皇帝を熱狂的に迎え入れた。




 それもこれもソフィーと結婚する為だという事を、国民は知らない。勿論、貴族達も。側近数名だけが知る事実であった。


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