嫌がらせ
急に城内が慌ただしくなり、エドワードとの夕食は取り消された。
そして、それきり彼は顔を出さなくなった。
「聖女が来てから一週間が経ちしましたが、こちらには何の連絡もないですね」
「そうね。色々手続きもあるのでしょう。きっとこれで婚約も解消ね」
何でもないような顔で笑うソフィーに、エマは胸が痛む。
「ルキリア国に帰ったら、新しく出来たお店に買い物に行きましょう。ソースがたっぷりのお料理と、大好きなシュークリームもありますよ」
「そうね。そうしましょう!ありがとう、エマ。そんな話をしていたら、お腹が空いてきたわ」
毎朝用意されていたモーニングティーも、朝食すら今日は出されていない。聖女が現れて以降、ガヴァネスも姿を見せなくなった。后教育が必要なくなったので、こちらは当然か。
「メイド達は何をしているのでしょうね」
「聖女様付きにでもなったのでしょう。三人とも熱心な聖女様の信者のようだったし。私も帰る前に一度この目で見てみたいわ」
「他国の人間は中々会えませんからね。会えるといいですね」
「そうね!きっと素晴らしい方なのでしょうね」
バタンッと音を立てて部屋の扉が開けられた。メイドのアヴァとイザベラ、ポピーが立っている。今までのしおらしい態度とは明らかに違った。
「まぁ。まだお部屋にいらしたのですか? 聖女様はとっくに朝のお務めをされているというのに良いご身分ね」
「来て早々にあなたの居場所はなくなっちゃったわね。お可哀そう」
顔を歪めて笑う二人の後ろで、ポピーだけは暗い表情で俯いている。
アヴァとイザベラは、さらに畳みかけた。
「そもそもお姫様でもないあなたが、ここにいる事がおかしいのよ」
「そうよ。私達はあなたが皇后なんて最初から認めてなかったわ。陛下も見目麗しい聖女様が現れてさぞホッとしているでしょうね」
彼女達の言う事は間違っていない。皇族や王族の出身ではないソフィーは、皇帝陛下の后になるには身分が足りていなかった。
「何とか言いなさいよ!…ああ、そうか。あなた、オスベル語が話せないんだっけ? 能力も足りていないわ」
「今までルキリア語で話してあげていた有能な私達に感謝しなさいよ」
醜い笑い声が響いた。
正確に言うと、流暢に話せないだけで話の内容は理解できている。それに上流階級が積極的に学ぶのはルキリア語であり、オスベル語が話せなくても恥ずかしいことではない。
しかしソフィーは話せない振りをして、ルキリア語で切り出した。
「何のお話かしら?」
「あんたが邪魔って話。さっさと出て行ってよね」
しっしっと野良犬を追い払うように部屋から出て行けとジェスチャーで伝えられ、言われるがまま外に出た。ソフィーの身の回りの世話をしているのは、議会で発言権を持つ有力貴族の娘や親戚だ。気が強いのは当然だった。
ソフィーに気づいた騎士二名が険しい顔を向ける。にこやかだった二人からは想像もつかない態度だ。
どうやら城中の人間から厄介者認定されたらしい。
「どちらへ?」
「メイドに部屋から追い出されたの」
「勝手に出られては困ります。今は聖女様がいらっしゃいますから」
「では、どこに行けば良いの? あなた付いて来て下さる?」
「私達は侵入者がいないか見張る役目ですので」
「聖女様に会わないように気をつけるわ。それならいいかしら?」
「ご勝手に」
もう守る対象ではなくなったと言わんばかりだった。
というより、むしろ敵だと思われているわね。
「どこへ行きましょう?」
「とりあえず外に出ましょう。綺麗な空気を吸いたいわ」
広い廊下を抜け、玄関ホールを出た。雨は止んでいるが、地面が少しぬかるんでいる。気にせず庭を歩いていたところ、見知った後ろ姿が見えた。
エドワードだ。
隣には聖女らしき女性。頭から被ったベールで顔は見えなかったが、代わりに横を向いたエドワードの顔が見えた。
楽しそうに聖女に笑いかけている。今まではソフィーだけに向けられていた笑顔だった。
…これが本来のあるべき姿よね。
ソフィーは目を背け、そっとその場を離れた。
無意識にぐんぐんと進んでいると、ううううう、と言う唸り声が近くから聞こえてきた。
犬だ。数十匹はいる。様々な犬種の犬達がこちらを見ていた。鋭い牙がのぞいている犬もいる。
エマがソフィーの前に立った。
「ソフィー様」
彼らは吠えもせずに、じっとソフィー達を見据えている。
愛玩犬ではない。明らかに目つきが違う。体つきも細く、がっしりとしている。一番大きい犬は、二本足で立ち上がるとソフィーの背と同じくらいだろうか。
警戒態勢に入ったまま睨み合いが続いた。
「止めろ」
横から仲裁が入る。怒鳴ったわけではないのに芯に響く太さのある声で、犬達はくぅんと途端に大人しくなる。
長い黒髪を無造作に後ろで括った野性味ある少年だった。
「ここは騎士棟だぞ。何か用か」
「ああ、そうだったの。ごめんなさい。間違ってしまったわ。あなた達もごめんなさいね」
犬達にも詫びを入れ、去ろうとしたところ、一匹の犬がソフィーに近づき手を舐めた。
一瞬驚いたものの、すぐに撫でてやる。
「まぁ。案外、人懐こいのね」
「いや、普段は慣れた人間にしか懐かない。気に入られたんじゃないか」
「そうなの? 嬉しいわ。ありがとう」
敵ではないと理解できたのか、完全に警戒を解いている。
「可愛いわね。それに毛並みがいいわ」
「ああ。毎日、櫛で梳いているからな。犬はこの国の象徴だから大切に扱わないと」
「狼ではなかったかしら?」
「一緒だよ。狼の子孫なんだから」
「ああ、なるほど。触らせてくれてありがとう。お仕事中にお邪魔したわね」
柔らかい毛並みに癒され、帰る頃には沈んだ気分が直っていた。
しかし、そんな気分は一瞬で崩れ去る。戻ると室内が荒らされていた。
「これは…」
机に積んであった本や、引き出しに入れていたアクセサリーや小物が床に散乱している。シーツもぐちゃぐちゃだ。
エマが部屋に待機していた騎士を呼んで詰問した。
「この惨状はどういうことです?」
「さあ。誰も中には入っていませんよ。ご自身でされたのでは?」
悪びれもせず言い放ったのはジョージだ。茶髪に天然パーマの彼は、部屋を出る時も感じが悪かった。もう一人は黒い短髪のルーカスで、こちらは我関せずといった様子。
「もういいわ。出て行ってちょうだい」
話にならないと悟り、追い出した。
次の日にも、職務放棄中のメイド達が、嫌味を言う為だけにやって来た。
「エドワード陛下は聖女様に付きっきりで、とても仲睦まじいのよ」
「美しい聖女様に比べたらあなたの価値なんてないも同然」
メイド達はそれだけ言うと、またソフィー達を追い出した。戻ってくると、部屋中に水が撒かれている。物が落ちていない分、昨日よりましかもしれない。
ふと、視線を窓の下にやると、エドワードと聖女が裏庭で楽しそうに話し込んでいるのが目に入る。
エドワードは実際、よく聖女に会いに行っているようで、二人でいる姿を何度か見かけた。聖女の白い手を取り、エスコートする姿は本当にお似合いだ。
もう関係ないわね。
ソフィーはすぐに目を逸らし、ソファへと移動した。
食事が出ないので、仕方なく植物園からオレンジを取ってきて食べている。
植物園…。ソフィーは来たばかりの頃を回想した。
「ここが植物園。ここのオーナーはソフィー、あなただよ。ここの植物達は全部ソフィーのもの」
視界に入りきらない程に大きな植物園には、オレンジ園や、熱帯植物園等、複数の建物がある。スイレンや水芭蕉が咲く池もあり、全て見て歩くには半日はかかる。そんな場所を惜し気もなく与えてくれた。
だから、盗んだことにはならないわよね? 例えこれから聖女様の物になるとしても、まだ発言は撤回されていないし。
果汁が滴るオレンジは甘くて酸味が控えめで食べやすい。幸いたくさん実っているので飢え死にすることはなさそうだ。
オスベルでの思い出の味はオレンジになりそうね。ソフィーは軽く笑った。
次の日、ソフィーが部屋に戻ると、今度はドレスが破かれていた。エドワードが贈ってくれたドレスは無傷だったが、ルキリア国から持ってきた自前のドレスは全て使い物にならなくなっている。宝石類もなくなっていた。
「まさか、ここまでするなんて…。酷いわ!あんまりよ‼」
ソフィーが絶望に襲われた顔をした。
エマが面倒くさそうに、ため息を吐いく。
「ソフィー様。一体いつまで、この茶番をお続けになる気ですか?」
エマの指摘を受け、ソフィーが絶望の表情を仕舞う。
「…………だって!オスベルで虐められるのは、私の夢だったのよ!」
そう。ソフィーはこの状況を目いっぱい楽しんでいた。
「オスベルの物語では、主人公は必ず虐められるの!今、私は彼女達と同じ体験をしているのよ!アヴァとイザベラもいい感じだわ!ポピーは虐めの傍観者役ね。騎士は何だかムカつくけど、まあ悪くないわ」
エレーヌのおかげで家に居場所がなかった時、メイド達は何も言わずに不快な視線だけを寄こしてきた。
それに比べると、アヴァとイザベラの嫌味や嫌がらせは、いっそ気持ちが良い。
「もう気が済んだでしょう。グレイヴィル家のご令嬢として、ひいてはルキリア国の代表として、そろそろご対応を」
「…それもそうね。私のせいで家や国に恥をかかす訳にはいかないわね。私人として振る舞うのはこれで終わりにする!明日からは公人として、きちんと対応するわ」




