カントリーハウス
皇帝という立場でありながら、エドワードは毎日ソフィーの為に時間を作ってくれる。后教育に追われるソフィーにとって、午後のこの時間は唯一ホッと出来る時間だった。
「今日は紅茶に何を入れようか?」
「ジンジャーはいかがです?」
「いいね。今日は少し肌寒いから」
最近は書架で食事や休憩を取ることが多い。壁一面を本に囲まれた空間にいると、ゆったりと時が流れている気分になる。目を引く大きな暖炉からは暖かい炎。その前に机とソファがあり、ここがソフィー達の定位置だ。
執事長のハリソンが現れ、ジンジャーティーとスコーンをテーブルに並べていく。良い匂いが部屋中に広がった。
最近は「クリームティー」が定番になった。紅茶とスコーンのセットのことだ。スコーンにはクロテッドクリームとジャムが添えられている。
エドワードは甘いものが苦手らしく、彼のスコーンはセイボリーだ。甘くない塩味のスコーンには、チーズやスパイスが入っていることが多い。
味は違ってもエドワードと同じものが食べられる。ソフィーにはそれが嬉しかった。だからアフタヌーンティーより、クリームティーの方が好きだ。
「週末にはカントリーハウスへ足を延ばそう」
「まぁいいですね」
「釣りでもしようか? ボートもいいね」
「どちらも好きです!」
「じゃあ決まりだね」
カントリーハウスは思ったよりも、近場だった。しかし、城とは違い、静かで辺りには何もない。
門番が扉を開け、馬車が中へと進む。五つの門をくぐり抜けると、緑の美しい庭園が左右に広がった。その向こうに建物がある。右側についた、丸い塔が印象的だ。
「週末はよくここに来るんだ。城は人が多い。こちらの方が落ち着く」
「静かで良い所ですね」
「裏庭にはラベンダー畑があって、夏には一面、紫色になるよ」
「見てみたいです!」
「夏になったら、そこでラベンダーティーを飲みながら、ラベンダーのケーキを食べよう」
「…はい!」
…その頃には、きっと聖女様が現れているわ。
ラベンダーのケーキってどんなものかしら? きっと美味しいのでしょうね。
「ソフィー? 移動で疲れてしまった?」
「いいえ!元気いっぱいです!何をして遊びます?」
些細な表情の変化にすぐ気づいてくれるのね。
ああ、私とっくに、この人のことを好きになってしまっているわ…。
あと一か月ほどしかないのだから、今は悲しんでいたら損!一時でもこんな幸せをくれたことに、感謝しないとね。
「そうだね、約束の釣りに行く?」
「いいですね!競争しましょう」
屋敷から少し歩いた所にある広い川はとても穏やかで、上流がどちらか分からない程だった。使用人に餌をつけてもらい、低い橋の上から糸を垂らす。
「…本当に私のものと同じ餌を使っておられます?」
「もちろん!」
一匹も釣れていないソフィーに対し、エドワードは五匹目を釣り上げたところだった。
「気配を消すんだよ」
「気配を消す…」
存在感を出す練習はしてきたけれど、気配を消す練習なんてしたことないわ。
「一緒にやってみよう」
エドワードはソフィーの後ろに回り、竿を持つソフィーの手に自分の手を重ねた。
驚いて後ろを振り返ると、すぐ横にエドワードの顔があった。すぐに顔を正面に戻す。
「そんなに緊張していたら、魚に気づかれてしまうよ」
「誰のせいだと…」
「私を意識して緊張してくれているの?」
楽しそうな声だ。悔しい。
「さ、肩の力を抜いて。そっとね」
気配を消して暫く待つと、両手にぴくっとした動きを感じた。
「かかったよ。焦らないで。しっかり食いつかせてから竿を引く」
「わぁ、釣れたっ!」
川面から魚の姿を確認し、興奮して声を上げた。
「やったね」
「はい!」
今日一番の大きな魚だった。
コツを掴んだかと一人でやってみたけれど、一人では釣れなかった。
「いつでも来られるから、そのうち釣れるよ」
「そうですね。勝負は私の負けです」
「じゃあ、勝者のお願いを一つ聞いてくれる?」
「いいですよ」
「もう一か所連れて行きたいところがあるんだ。一緒に来てくれる?」
「そういうお願いなら喜んで!」
橋を渡った反対側。こちらにも一面ラベンダーが咲くという。
きっと素敵だわ。一度でいいから見てみたかったな。
「着いたよ」
ぼうっと下を歩いている内に目的地に着いた。顔を上げると茅葺屋根のコロンとした屋敷がある。町のはずれでもこんな感じの家を見たけれど、そのまま二倍にしたかのようだった。
裏側は木々が覆っており、隠れ家のような存在だ。
「とっても可愛い!」
「気に入った?」
「はい!妖精が出そうで、ワクワクします」
「ソフィーの為に建てているんだ」
「え⁉」
「中がまだ出来ていないから入れないけれど、結婚式までには間に合わせるよ」
こんなに可愛いお家を私の為に…⁉
「…嬉しくて泣きそうです」
例え後に聖女のものになるとしても、自分の為に造っているという事実に感動した。
「夏には庭に綺麗な花が咲くはずだよ。秋には紅葉も見られるし。窓からそれを眺めながらゆっくり過ごそう」
「ありがとうございます!楽しみですね!」
あるはずのない幸せを感じて、ぐっときた。こんなにして頂いて、私は何かを返せるかしら?
エドワードが仕事で執務室に戻ったので、ソフィーはエマと再び茅葺屋根の家の前に戻って来た。
「これ、私の為に建てて下さったの!すごいでしょう⁉」
「へぇ。良かったですね」
「折角だから、絵に残しておこうと思って」
「なるほど」
スケッチの道具は持参し、椅子だけ用意してもらった。イーゼルは必要ない。
「エマと並んで絵を描くなんて初めてね」
「私も描かなければいけませんか?」
「私の絵って大雑把だとよく言われるの。エマは細かいところまで描くじゃない。正確に留めておきたいの」
「いつでも来れるじゃないですか」
「ダメよ。もうすぐ聖女様がやって来るんだから」
少し離れた場所に騎士が二名配置されているが、小さい声だから聞こえないだろう。
「本当に来ると思いますか?」
「きっと来るわ。エレーヌと殿下が存在したんだもの」
「でも夢とは内容が変わっています。もうエレーヌ様はいませんし、エドワード陛下と婚約もしました。お二人は傍から見ても仲睦まじいですし、このまま結婚までいくのでは?」
「…残念だけど、それはないわ。聖女様はね、必ず皇帝陛下と結婚するの。物語でもそうだし、史実でもそう。だから私がこの家に入ることはないのよ」
ソフィーは顔色を変えなかった。スケッチの線はいつもより丁寧だ。
そう言い聞かすことで、心の準備をしているのだとエマは気づく。
ソフィー様…。
「ならば、今のうちにオスベル帝国でやりたかったことを叶えましょう」
「そうね!私もそう思っていたの!お城の探検でしょ、後はー、街にも出たいわ!」
「許可が下りるでしょうか?」
「下りなければ、抜け出しましょう」
「…そうですね。そうしましょう」
簡単に言ってくれる…と思ったが、婚約破棄後は二度とこの地を踏めないだろう。やりたいことは、やらせてあげたい。
日が暮れるまで夢中で描き続けた。




