アフタヌーンティー
翌日、エドワードに城の一部だけ案内してもらった。広すぎてとても全ては見て回れない。
「時間はいくらでもあるのだから、ゆっくり覚えてくれれば良い」
「ええ。広いとは思っていましたが、想像以上です」
大ホール、書架、議会室、執務室、寝所など、城には全部で三百五十室あるのだという。覚えられるかしら…?
「これから庭園に案内したいのだけれど、歩けるかな?」
「はい!楽しみです」
「残念。歩けないと言ってくれれば、抱き上げられたのに」
「…歩けます!」
そんなことをされたら、恥ずかしさで死んでしまう。赤くなったソフィーを見て、楽しそうにエドワードは笑った。
雨が多いオスベルだが、この日は珍しく太陽が出ている。熱くもなく寒くもない。絶好の散歩日和だった。
庭園はオスベルの国民にとって最重要の場所だと本で読んだ。
悪天候の多いオスベルでは花が咲きにくい。貴族間では、どれだけ美しい庭を作れるかを密かに競っているのだとか。貴族自ら庭の手入れをすることも珍しくないらしい。
「ここだよ」
「わぁ!とっても可愛いお庭!」
色とりどりで種類もまちまち。それに大きな樹木がたくさん。道も曲がりくねっている。
一種類の花を芸術的に魅せるルキリアとはまるで違う。何より左右対称ではないのが新鮮だった。自然に任せているのだ。
「気に入った?」
「ええ!とっても!」
植物が育ちにくい分、愛を感じる。
「あそこのサマーハウスで休憩しよう」
「サマーハウス?」
そこにあったのは六面体の小さなお家。爽やかな青色に塗られた壁には大きなガラス窓がたくさん付いている。
中に入ると、まるで一つの部屋のようだった。机にソファに箪笥、それにベッドまである。洗練されたというよりは、可愛らしい秘密の小部屋のよう。
エドワードがカーテンを開けると、途端に光が射し込んだ。
なんて明るいお部屋!それに窓からお庭の花が見渡せるのね。
使用人が入ると窮屈に思えるくらいの家。しかし二人で過ごすのには丁度良い広さだ。
「こんな素敵な場所があるなんて」
「オスベルではよくあるんだ。庭仕事で疲れた時や、自然に癒されたい時にゆっくりできるのがサマーハウス。さぁ、アフタヌーンティーの時間にしようか」
二人掛けのソファにエドワードと二人で座る。距離が近くてドキドキする。
ベルを鳴らすと使用人がティーセット一式を持って入ってきた。
「私が淹れよう」
「え⁉」
ついつい声に出してしまった。
主人自らがお茶を淹れるのは、最大級の歓待だ。
「大丈夫。君の為に練習したから」
「感激です!」
ワクワクとエドワードの手元を凝視した。慣れた手つきで茶葉をポットに入れ、ぼこぼこと沸騰したお湯を注ぐ。茶葉の香りが部屋に広がった。
「後は待つだけ。この蒸らす時間で味が変わるんだ」
砂時計をひっくり返し、待つ。
どうぞ、とカップに注がれた紅茶をソフィーの眼前に置いた。コーヒーを淹れるカップより幾分小さい。湯気が立った紅茶は、オレンジ色に輝いている。
「綺麗な色」
「紅茶の色を水色と言うんだよ。茶葉によって美味しい水色が違うんだ。飲み方によってもね」
「奥が深いのですね」
「火傷に気を付けて」
飲んでみると渋みが少なく、さっぱりとしている。
「昨日より飲みやすいです!」
「茶葉を変えたんだ。渋いのは苦手なように見えたのでね」
見抜かれていた…。
「これを入れてみて」
勧められたピンクの液体を入れると、甘酸っぱい香りが広がる。
「イチゴのシロップだよ」
「イチゴ!大好きです」
「紅茶はフルーツとの相性がいいんだ」
「こんな飲み方もあるのですね!美味しい!」
これなら毎日飲めるわ!
一気に紅茶が好きになった。
「お腹が空いたでしょう。オスベルでは朝と夜の食事だけだから」
ルキリアでは一日三食が当たり前だったので、お腹がペコペコだった。ずっと我慢していたのを見透かされていたらしい。
ポットが片づけられ、目の前にお菓子がたくさん載った三段スタンドが置かれる。一番上にケーキやペイストリー、二段目にスコーン、一番下はサンドイッチだ。
何これ⁉ 美味しそう!お昼は出ないと聞いて眩暈がしたけれど、おやつはあるのね!
「さ、お好きなものからどうぞ」
ナプキンを膝にかけ、準備万端。
「では、サンドイッチから」
中は瑞々しいキュウリだ。塩気が効いている。一口サイズだから、手でそのまま口に運べるのも嬉しい。
こっちはチーズだわ!どちらも美味しい。
エドワードはニコニコとその様子を見守っている。
「陛下は召し上がらないのですか?」
「僕は今日、ソフィー様の為のホストだからね。次回は一緒に食べよう」
「はい!」
私、憧れのオスベルに来られただけでも幸せなのに、陛下にこんなにして頂いて良いのかしら?
なんていう贅沢!
エドワードは別のポットに沸かしたてのお湯を注いでいる。茶葉の香りがさっきと違った。
「別の紅茶ですか?」
「そう。茶葉を変えてみた。紅茶は色々な飲み方ができるんだよ。ワインやリキュール等のお酒と合わせても美味しいけど、ソフィー様にはこちらの方がいいかな」
「まぁ、ミルク⁉」
「そう。コーヒーと同じくミルクで飲むのも定番で、甘みが欲しければシロップや、砂糖を入れるといいよ」
色がコーヒーみたい!お味も優しくなったわ!
折角なのでシロップも入れてみる。フルーツの香りと、まろやかなミルクの相性が良い。
「落ち着くお味です」
「それは何より。さ、スコーンもどうぞ」
スコーン‼オスベルに来てやりたかったことの一つ。それがスコーンを食べる事!
「私、スコーンを食べるは初めてです!」
「それなら私が食べ方を教えよう。まずスコーンをお皿にとって」
エドワードは実際にやって見せてくれた。真似をしてお皿の上にスコーンを載せる。
「次にぱっくり割れたところ、この部分を『狼の口』と言うのだけど、ここから割る」
ソフィーも同じく割ってみる。割れ目に沿ってスコーンが上下に分かれた。まだ温かく、割れ目から湯気が立った。
「クロテッドクリームとジャムを塗って食べるだけ。特にクリームはたっぷとつけて」
「なるほど!」
食べてみる。
「外はサクリとしているのに、中は柔らかい!」
「そうだね。気に入った?」
「はい!とっても!淹れてくださった紅茶にもぴったりです」
「そう言ってもらえると、練習した甲斐があったな」
「今日はこんなに良くして頂いて、胸がいっぱいです。有難うございます!」
「夫になるのだから、私があなたに尽くすのは当然だよ」
頬に片手を当てられ、じっと瞳を覗き込まれた。今までリラックスしていたのに、急に緊張してしまう。
ああ、やっぱり、なんて美しい瞳なのかしら。
蒼色の瞳の中に、星屑のようなキラキラした光がたくさん散りばめられている。まるでラピスラズリのよう。アンリの瞳が青空なら、エドワードの瞳は満点の星が輝く夜空だ。
思わず凝視してしまった。
「こんなに見つめ合うのは初めてだね」
はっと我に返った途端に恥ずかしくなる。近い!
「どうして目を逸らすの?」
「…恥ずかしいからです!}
「こちらを見て、ソフィー」
初めてソフィーと呼ばれ、顔を上げてしまった。
「名前で呼ばれるのは嫌だった?」
「…いえ」
嫌じゃなく、恥ずかしい。
「じゃあ私のこともエドワードと呼んで」
「それは!…まだ早いかと」
「半年後には夫婦だよ。本当は今すぐにでも結婚したいのだけれどね」
切なげに目を細めてソフィーを見つめる。
すぐに結婚しないのは、グレイヴィル家が二つの条件を出したからだ。
一つが、結婚は半年後にすること。これはソフィーの希望だ。
そうよ!ドキドキしている場合じゃないわ。私は、聖女様が現れるまでの仮の婚約者なんだから!
そしてもう一つが、側室を持たないこと。勿論ソフィーを側室にするなんて以ての外と契約書に明記している。これは父フィリップが書いたものだ。
お父様ったら、何を考えているのかしら⁉
そもそもレジリオ教は「一夫一妻制」を原則としている。つまり側室は禁止。
この条件は、「あなたは非常識で不信心な人間だ」とエドワードに言っているようなものだった。
契約書を見た時は倒れるかと思ったわ。こんな失礼な条件をつけるなんて。結婚の話がなくなるどころか、禍根を残してもおかしくない。
それなのに、エドワードは快く承諾の返事をくれた。
陛下には感謝しないといけないわ。そもそもお父様がどうしてこんな条件をつけたのか分からないし、触れない方がいい。
「陛下。私は王族の娘ではありません。后になるには未熟なのです。この半年間で立派な后になれるよう精進してまいります」
「私としては今のままで十分なのだけれどね。ソフィーが納得できるまで待とう」
「ありがとうございます」
私の話にもきちんと耳を傾けてくれる。やっぱり陛下は素敵な人だわ。
聖女様は早ければ後一月ほどで現れる。そうしたら、この優しい眼差しは私には向けられなくなるのかしら。
「ソフィー? そんな不安そうな顔をしないで。何かあれば、いつでも私を頼ればいいのだから。あなたには私がついている。心配はいらないよ」
「はい…。ありがとうございます!」
精いっぱい微笑んだ。
あと一か月で離れることになっても、やるべきことは、しっかりとやろう。聖女様が現れるまでは、この人の隣で…。




