いざ、オスベル帝国へ
国境に辿り着き、グレイヴィル家の馬車からオスベル帝国の馬車に乗り換える。馬車の四隅に大きな黒い国旗が揺れている。牙をむいた猛々しい狼が描かれていた。
この「狼」こそオスベル帝国の紋章だ。
「椅子がフカフカで気持ちいいわね」
「そうですね」
「エマ。付いてきてくれてありがとう」
「当然です」
エマは侍女ではなくコンパニオンとなった。簡単に言うと話し相手で、お茶くらいは淹れるがその他の雑事はしなくてよい。侍女では有事の際に動きにくいだろうと、フィリップが親族に頼み、養子にしてもらったのだ。
パーティーにも一緒に出席できるし、嬉しい。
明るいドレスに身を包んだエマが新鮮で朝から何度も盗み見しては、にやけている。
国境を越えた途端、さっきまで快晴だったはずの空に灰色の雲がかかり始め、ついには雨が降って来た。
「もうここはオスベルなのよね。信じられないわ!本当にオスベルに来られるなんて」
窓の外の景色が自国とは全く違う。冬の間に積もった雪がまだ残っている。
「見て、あのどんよりした雲!空がこんなに近く感じるなんて!もうちょっとで掴めそう」
「見て、霧だわ!何か出てきそうね!」
「見て、まだ昼間なのに暗いわ!こんな陰鬱な空気感はルキリアにはないわね!」
「…ソフィー様。さっきから、それ悪口ですよ」
「違うわ!褒めているの!これぞオスベルなのよ!あ、見て、あのお家!かやぶき屋根よ!赤茶のレンガ造りなのも可愛い!おとぎ話そのものね」
その後も「見て、見て」攻撃は続き、エマの「見ています」と答える気力も削がれていった。
そろそろ城が見えるという騎士の言葉を受け、二人で窓を覗く。
「これは…」
「まるで要塞ね…」
二人で顔を見合わせる。
ぐるりと高い塀に囲まれた石造りの城は、ルキリア国の華美な宮殿とは全く違い、装飾や色味が全くない。全体が土色の城は見せる為のものではないと、はっきりと分かった。
そういえば、お城の絵はどの本にも書かれていなかったわ…。
内戦や魔物の存在をどこか遠くの物語のように感じていたが、一気に身近に感じる。
城門を抜けると突然ラッパの音が鳴り響き、すぐに太鼓の軽快な音が聞こえてきた。驚いて窓から覗くと、右側の兵隊がオスベル国の狼の旗を、左側の兵隊がグレイヴィル家の鷹の旗を振って迎えてくれている。
「まぁ!」
予想もしていなかった出迎えにソフィーは感動した。隊列の間を馬車がどんどん進んでいく。表情を見る限り歓迎してくれているようだ。
「すごいわ!こんな出迎えをしてくれるなんて」
「良かったですね」
エマもホッとしたように顔を緩ませた。
幾つもの門をくぐって城の前で馬車を降りると、二名の騎士を従えたエドワードがこちらに歩み寄って来た。城の中にいると思っていたので、慌てて挨拶をする。
どうしよう、馬車から降りたばかりで服も髪もきっと乱れているわ!それにドレスももっといいものがあるのに!
てっきり面会前に着替えるものだと思っていた…。まさか出て来て下さるなんて。
「ソフィー様。よくお越しくださいました。あなたをこの城にお迎え出来た事を心から嬉しく思います」
「エドワード皇帝陛下。こちらこそ、こんなに素晴らしい歓迎をしてくださり感激致しました。心よりお礼申し上げます」
「未来の皇后を出迎えるのだから当然だよ。お疲れでしょう。さあ中へ」
「はい」
エドワードが手を差し伸べてきたので、右手を上に重ねた。エスコートされたまま中へと入ると、豪奢な玄関ホールが目に飛び込んでくる。
何これ、外と全然違うじゃない!天井が高い!
天井は一面金箔で、大理石の床には赤い絨毯が敷かれている。でも嫌らしさが全くない。重厚感のある玄関だが、各所に使われた木のおかげで落ち着いた雰囲気を醸し出している。
聖域のように真っ白に統一したルキリアの宮殿とは異なり、寛ぎを与えてくれる空間で、ソフィーはとても気に入った。
今日からここに住むのね。とても居心地が良いわ!
ずらりと左右に並んだ使用人達が頭を一斉に下げ歓迎の意を表す。その間を進み、エドワードが直々に部屋まで案内してくれた。
「ここがソフィー様の部屋だよ」
オフホワイトの広い部屋はワンポイントに青と金が使われており、とても可愛らしい。大きな張り出し窓からは庭園を見下ろせ、眺めが良い。揃えられた調度品もセンスが良く、質も最上級だった。
「とても気に入りました!ありがとうございます」
「良かった!」
一通り部屋を眺めた後に最高の笑顔を見せたソフィーに、エドワードも安心したような顔になった。
エマは隣の部屋を用意された。青を基調として黄色の小花柄が散りばめられた部屋で、同じく可愛らしいがソフィーの部屋よりは幾分クールな印象だ。
その日の正餐はエドワードとソフィーの二人だけでとることになった。エマは自室に食事を用意してもらうらしい。「お二人の時間の邪魔は致しません」と言われ、何だか緊張してしまう。
客人を招く部屋ではなく、少し狭い家族用の食堂へ通された。
「先程のドレスも良かったけれど、そのドレスもとても似合うね」
「ありがとうございます」
優しく目を細められると照れてしまう。
ウエストをキュッとコルセットで締め直し、サテン生地の華やかなドレスを着用した。スカートが腰からふんわりと広がっている。イヤリングとネックレスはパールだ。
ソフィーは自然に部屋を見回し、使用人が三人しかいないことに驚いた。
私の家でも、一人に付き最低三人はいたのに…。皇帝陛下がいらっしゃるのにたった三人で大丈夫なのかしら?
エドワードは気にした様子もなく、これが常なのだと理解する。実際に少数精鋭の使用人達は手際が良かった。
出されたのはスープ、温野菜、焼いた骨付き肉がどっさり。どれも装飾のない銀の食器が使われている。華美な食器に慣れていたので、とてもシンプルに映った。
銀食器が定番だと、事前にエマから聞いていなければ顔に出てしまっていたかもしれない。
暗殺に最もよく使われるのが亜ヒ酸だ。無味無臭だが、銀食器に触れると黒く変色する。
つまりは毒対策だ。
それに料理にソースが全くかかっていない。ソースが命とまで言われるルキリア国ではあり得ないことだった。
食べてみてさらに驚く。
素材の味が生きている!と言うより、ほぼ素材の味だわ!
別添えの塩と胡椒で自己流に味付けするらしい。
斬新ね!それにこのドリンク。紅茶と言うやつね。こちらも全く甘みがないわ。
ちなみにこの紅茶も毒対策だとエマから聞いた。解毒作用があるのだとか。
早速文化の違いを実感する。
「シンプルな味付けで驚かれたでしょう」
心を読まれたかとギクリとする。エドワードは気にした様子もなく続けた。
「オスベルでは素材そのものの味がわかるよう、最低限の味付けしかしていません。食べ過ぎを防ぐ目的と、慎ましさを好む国民性のせいかな」
「ルキリアでは食事はおもてなしの一つで、見た目の美しさや、美味しさにもこだわります」
「ああ、確かにルキリア国の料理はどれも美味しいね。おかげで留学中もホームシックにならなかった。むしろオスベルに帰りたくなくなったほどだよ。もてなしというのは納得だ」
「陛下はルキリアに留学していたと弟のジェレミーからも聞きました。文武両道で生徒達の憧れだったとか」
「それは、それは。今度、弟君に何か贈り物をしないといけないね」
まあ、と笑い合った。軽口を挟んでくれたおかげで場が和む。
「ルキリアの料理が食べたくなったら、料理長にいつでも言うと良い。あなたまで私に合わせる必要はないからね」
「いいえ。私、素材の味など気にしたこともなかったのです。是非、オスベル帝国の味付けでお願いします」
せっかくオスベルに来たのだ。この国のことをもっと知りたかった。
「そう言ってもらえると嬉しいな。でも何を食べるもソフィー様の自由だから、それは忘れないで」
「はい!ありがとうございます」
気遣いがとても有難い。
「今日は疲れただろうからお披露目のパーティーは二日後にしたけれど、良かったかな」
「ご配慮いただきありがとうございます。皆様にお会いできるのが楽しみですわ」
「明日は城を案内しよう」
「まぁ陛下自ら? とても光栄ですが、よろしいのですか?」
「愛しいあなたの為なら喜んで」
「嬉しいです!ぜひ」
和やかな食卓だった。




