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夢見がち令嬢と狼の牙  作者: 松原水仙


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デビュタント

「ぐえっ。苦しいっ!もう無理!」

「もう少しです。我慢してください」


 侍女達がググっと力を込めてコルセットを締め付ける。力を込める度に、ソフィーから奇声が漏れた。

 フィフィがいなくなって約三年。ソフィー・グレイヴィル、なんと本日めでたくデビュタントを迎えました。



 デビュタントとは、国王陛下の御前で令嬢達が初めてお披露目される儀式のこと。つまり一人前のレディとして認められる日だ。


 参加は招待制で多額の寄付が必須なので裕福な貴族のご令嬢に限られる。

 選ばれた令嬢達だけに許された特別な儀式だ。


「緊張で震えるわ。どうしようエマ。どこか変なところはない?」

「とても素敵ですよ。ソフィー様」


 ソフィーが選んだのはシャンパンゴールドのドレスで、レースやリボン等の装飾が一切付いていないシンプルなもの。デコルテが美しく見えるロールカラーは、胸元でⅤ字型にクロスされている。


 ドレスと同色の長手袋に、クラシカルなルビーのネックレス。

 ティアラをつけて完成だ。


「ちょっと大人し過ぎないかしら」


 当初はレースたっぷりで色味も派手なものを予定していたが、母に止められた。


「とても似合っておりますよ。上品なのにゴージャスにも見えるのは目立つ髪色のおかげですね」

「きっと会場中の視線を独り占めですよ」

「ふふ。ありがとう」


 侍女達に褒められ満更でもない気分のまま、家族全員で会場へと向かった。




 大理石の高い柱に支えられた円形の会場は、オペラや演劇で使われる格式高い場所。ホールを取り囲むようにすり鉢状に観客席が設置され、家族や主要貴族達が今日の主役達を見守っている。


 いつもは見ているだけのこの舞台に今日だけは主役として立つことができる。ここに立つのは令嬢達の憧れだった。


 フィフィはここには立てなかったな…。


 招待状が届かなかったのだ。侯爵家の娘が呼ばれないなんて前代未聞のことで、瞬く間にフィフィの悪評は庶民にまで広がった。


 ソフィーは首を振った。今は自分のことを考えないといけない時だ。集中しなきゃ。


 エスコートは父フィリップが務めてくれた。燕尾服がとても似合っている。


 主役のソフィー達とそのエスコート役達は円形ホールの真ん中に集められた。今年の主役は三十二名。家格順に横に三列になって陛下のお越しを待つ。


 騒々しい観客席に対し、ホール中央では緊張から誰も話さない。ホールに立った時からずっとピンと張った空気が流れている。



 ソフィーは三番目に挨拶予定だ。


 父の腕に回した右手に力が入った。

 それを察したフィリップが自由な方の手でポンポンと優しく叩く。大丈夫だ、力を抜けという合図だ。

 ソフィーは小さく頷いて息を静かに吐き出す。意識して長めに行い、肩に入った力を抜いた。


 それとほぼ同時に、観客が一斉に立ち上がった。

 両陛下と王太子が登場したのだ。


 ざわついていた雰囲気が一瞬で静粛な空気に変わり、緊張感が増す。全員が姿勢を正し、真正面の階段上に腰かけた陛下に一礼した。



「これより儀式を開始する!」


 その声を皮切りに、名のある男性歌手が左手側より出でて、ソフィー達の前で止まった。


 外国でも公演するほどの人気者の登場に会場が一瞬色めきだつ。が、それもすぐに静まる。

 国王陛下に(うやうや)しく一礼した後、力強い国歌の独唱が始まった。猛々しいこの曲は国の軍歌でもある。


 一人で歌っているのに、ビリビリと肌が揺れる程の声量。

 本物の音楽。


 国に認められるという気持ちが一気に昂って鳥肌がたった。


 なかなか鳴りやまぬ拍手の後、ソフィー達の紹介が始まる。


 最初に呼ばれたのは、デュランド公爵家の娘マリー。エスコート役はデュランド公爵だ。

 名を呼ばれると二人で腕を組んだまま階段を上がり、陛下達の前に立った。その間、会場の視線は二人だけに注がれている。


 マリーはエスコート役よりも一歩前に進み、カーテンシーと呼ばれる最高の敬意を表す挨拶をしながら陛下と握手を交わした。


 上半身が天井に向けて真っすぐで、さすがの所作の美しさに周りからため息が漏れる。王妃陛下、王太子殿下にも同じ挨拶をした後、陛下達と短い言葉を交わした。


 この国の公爵家は王家の縁戚ばかりなので、厳かながらも和やかな空気感だった。


 マリー達が壇上を降りる時には割れんばかりの拍手が送られる。



 ソフィーは静かに息を吐いた。もうすぐ自分の番だ。


 マリーに続き、ジャンヌの挨拶が行われている。こちらも完璧だ。


 大丈夫。できるわ。


 公の場で堂々と振る舞えるように幼少期から今までマナーを学んできた。

 スーッと吐く息はいつもより荒いが、誰にも気づかれてはいないはず。


「続いて、グレイヴィル公爵家が娘、ソフィー・グレイヴィル」


 進行役がソフィーの名を呼ぶ。父が心配そうな視線を寄こしたが、大丈夫という代わりに微笑んで見せた。父もそれを見て安心したよう前を向く。


「はい!」


 腹は括った。


 赤い絨毯の上を優雅に進んでいく。父が歩幅を合わせてくれている為、歩きやすい。真っすぐに前を見据える。


「陛下にご挨拶申し上げます」


 片足を斜め後ろに引き、そのままの態勢で両膝を曲げ、陛下と握手をする。ゆっくりとした動作にも関わらず体の芯が全くぶれない。上半身も真っすぐな上、肩の力がきちんと抜けていて自然だ。


 我が娘ながら見事なカーテンシーだ、と後ろから見守る父フィリップも感心した。


 観客は今、ソフィーにだけ注目している。


 貴族は粗探し好きだ。足の角度、動きのスムーズさ、上半身が斜めになっていないか等を厳しくチェックされる。この場で失敗することは出来損ないの烙印を押されるに等しい。


 ソフィーの挨拶は厳しい審査に耐えうるものだった。階段を降りる時の拍手の大きさがそれを物語っていた。


 次の令嬢の名前が呼ばれてようやくホッとする。しかし、この後にはまだダンスが控えているので安心はできない。三曲を踊る決まりだ。


 始まってから今までずっと立ちっぱなし。最後の令嬢の挨拶までには、まだまだ時間がかかりそう。

 ヒールの高さを少し低めの五センチにしておいて良かったと心底思った。



 それにしても、と壇上の令嬢を観察する。今は七番目のローレン男爵家の娘ベルが挨拶の途中だ。彼女はこの日の為に神道院から駆けつけた。


 この国での貴族の爵位は王族を除いて上から公爵家・侯爵家・伯爵家・子爵家・男爵家だ。その為、爵位だけで言えば、ベルはもっと後のはずだが、爵位に加えて家の古さや国への貢献度が順位に関係してくるから、ややこしい。


 この順位を覚えなくてはいけない。きっと他の貴族達も必死に頭に入れているはずだ。


 しかし、今まで社交の場で交友を広げてきたソフィーにとっては覚えやすかった。


 やはり先に呼ばれる令嬢達はさりげない振る舞いや言動が抜きん出ている。人当たりの良さは勿論、周囲への自然な気配りができ、決して相手に気を遣わせない。颯爽としていてチャーミングな人が多い印象だ。


 大体予想通りね。


 エレーヌのことがあって以降、ソフィーは社交には人一倍気を遣って訓練してきた。表情・声のトーン・話し方・視線の向き・所作。言動がどういう印象を与えるかエマが厳しくチェックしてくれた。だからきっと及第点をもらえているはずだ。


 それより衣装よ…。


 ソフィーは内心焦っていた。


 上位の令嬢は色味を抑え、シンプルで格式高いドレスの着用率が非常に高い。


 マリー様は純白のノーブルなドレスでこれぞプリンセスという感じだし、ジャンヌ様は紺碧のシックなドレスが気高い彼女の雰囲気にぴったり。ベル様は白から徐々に薄い黄色に変化しているドレスを着用されていて、まるで花の妖精のよう。


 最初のゴテゴテしたドレスを着ていたら居たたまれなくなっていたわ。お母様、止めてくださって本当にありがとう!


 最後に呼ばれたのは、子爵家のご令嬢フランソワーズ様。柄付きのドレスに宝石がこれでもかと使われている。


 彼女の顔には見覚えがあった。


 よくフィフィに嫌味を言っていた方だわ。なるほど、貴族になって日が浅いお家の方だったのね。


 妙に納得した。


 フランソワーズは俯き気味でぎこちなく歩いている。会場から失笑と心配の声が聞こえ、彼女は増々硬くなった。もしかすると最後に呼ばれるとは思っていなかったのかもしれない。


 会場の雰囲気なんて気にせず顔を上げて!


 直接言ってあげたいが当然声には出せないのでハラハラと目で追うだけに止まる。


 フランソワーズは挨拶を終えると、顔を真っ赤にして階段を降り、足早に元の位置へ向かった。

 疎らな拍手が送られる。




 全員の挨拶が終わると、オーケストラの演奏が始まった。華やかな音色に会場中が沸き立つ。


 この曲が終わればダンスが始まる。参加者達は各自立ち位置へと移動を始めた。


 このダンスが今日のメインイベントと言っても過言ではない。会場の熱気が伝わってくる。彼らは期待を膨らませながら、ホール中央のソフィー達を注視している。


 ソフィーとフィリップは他の令嬢達と十分な間隔を取り、お互いにホールドの姿勢のまま向き合った。


 フィリップは左手でソフィーの右手を握り、右手でソフィーの背を支える。ソフィーは左手をフィリップの上腕に置いた。手を取り合い、見つめ合ったままその時を待つ。


 不格好に見えないようにする為には全身の筋肉を使う必要がある。自然にこの姿勢が出来るよう何度も練習した。


 本日の演目は「春の光」「美しき祈り」「夢の月夜」の三つ。どれもロマンチックで華やかで、今日という日を彩るに相応しい曲ばかり。


 子どもの頃から何度も踊った定番の曲達。しかもリードは父フィリップだ。安心して体を任せよう。


 フィリップが優しく笑んだ。ソフィーも微笑み返す。


 今まで鳴っていた演奏がピタッと止まった。観客達が興奮した様子で拍手を送る。


 さあ、いよいよだ。握った手に少し力を込めた。


 ワルツ特有の三拍のリズムが流れると、自然と体が動いた。体を上下させながら優雅にステップを踏む。クルクルと回転する度にドレスがふわりと舞った。


 ゆっくりとフロアを左回りに進んでいく。


 お父様のリードはやっぱり踊りやすいわ。会場中に注目されながらプロの生演奏でお父様と踊るなんて、なんて贅沢な時間なのかしら。


 ソフィーは全身で音楽を感じた。


 踊っている他の令嬢達を見る余裕すらあった。マリーの華麗さ、ジャンヌの優雅さ、ベルの可憐さに胸が躍る。


 彼女達とこんな大舞台に立てるなんて最高だわ!


 弦楽器の終わりに合わせて全員がぴたっと動きを止めると、会場からおぉと歓声が上がった。次の瞬間、鳴りやまない拍手が送られる。



 大成功だった。


 終わった時には感じたことのない充足感に満たされる。



 参加者達が一斉に会場へ礼をすると、また大歓声と拍手に包まれた。


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