刺繍
「にやけていますよ」
エマに指摘され、慌てて顔を引き締めるも、すぐに緩んでしまう。
「だって!仕方ないじゃない!こんなの慣れてないんだもの」
クッションに顔を埋め、声を吸収させた。隣の部屋にいるジェレミーには聞こえていないはずだ。
パーティーでの出来事をエマに伝え、ハンカチに縫う刺繍の練習に付き合ってもらっている。槍試合当日にはハンカチを渡すことにした。刺繍は令嬢にとって腕の見せ所だ。
「さすがにソフィー様にこの刺繡は無理ですよ」
エマが目をやったのは王家の紋章が載った新聞。白地の旗には王冠を被った勇ましいライオンが描かれている。
「…やっぱり?」
「はい。イニシャルとかは如何です?」
「他のご令嬢達はきっともっとすごい刺繍をしてくるわ!イニシャルだなんて」
「これを渡すよりいいと思いますけど?」
「うるさいわね!」
仮の刺繍は確かにひどい出来だと自分でも思うが、人に言われると恥ずかしさが増す。
「やっぱり止めるわ!どう考えても一週間で上達は無理だもの」
「賢明です」
結局、ハンカチは購入することにした。こうなったら一番彼に似合うものを選んで見せるわ。そうよ。自分の苦手分野で勝負することないのよ。
意気込むソフィーを見てエマの頬が緩んだ。
「安心しました。ソフィー様は男性には良い思い出がないので、今期を逃すものとばかり」
「失礼ね」
「でもお相手があの方で本当に宜しいのですか? 婚約してからやっぱり嫌は言えませんよ」
「分かっているわ。私、本当に彼のことが好きなの」
「あんなに嫌っていたのに?」
「夢の中のクソ男と殿下は別人よ。違いすぎるもの。それに私、フィフィは幸せになれるって信じているの」
「…投獄されているのにですか? 内通だなんて下手したら処刑もあり得ますよ」
「不思議と不安を感じないの。エレーヌがいなくなったせいかしら? 小説でもどん底になった時に力が覚醒したりするでしょう? きっとこれからがフィフィの人生の始まりなのよ」
「…そうでしょうか?」
「そうよ。だってこのまま処刑なんてされてしまったら、フィフィの人生って何だったのってなるじゃない」
幸せを信じて疑わないソフィーに、エマは何も言わなかった。商人を家に呼ぶ手配をする旨を伝え、ベッドに寝かせ退室した。
部屋を出た後、すぐにため息が漏れる。
エマは平民出身でソフィーよりずっと大人だった。現実を知っていた。露店では棺桶が売られているし、五歳を迎える前に死んでしまう子も少なくない。
笑って最後を迎える人だけではないのだ、人生は。
ああ、だけれどもどうか、ソフィー様の世界が幸せで溢れたものでありますように…。




