晩餐会で初めてのダンス
パレードが終わり、宮殿の大広間にて晩餐会が始まった。高い天井には宗教画が描かれ、天使達が華やいだ貴族達を見下ろしている。昼間とは違った弦楽器の繊細な音が響き渡る中、ワインを片手に語らい合う大人達は話が尽きる様子がない。
マリーやジャンヌを筆頭に令嬢達に挨拶を済ませたソフィーは、フィリップの近くにいながらも芸術的に盛り付けられた高級料理に目が釘付けになっていた。
前菜はどうしようかしら? サーモンのカルパッチョ? ホタテのマリネ? エスカルゴもいいわね。
うーん、全部食べちゃう? いやいや、王族主催の会では控えめにしなくちゃ!でも宮廷シェフの料理よ。きっと美味しいわ!
ソフィーが葛藤していた時、後ろから声をかけられた。
「ソフィー嬢。先日は我が家にお越しいただき、ありがとうございました」
「あら、マティス様。こちらこそ。とても楽しかったです。ベル様の件は驚きましたが」
近衛騎士団は警備中のはずだが、どうやら役目を終え晩餐会に参加していたようだ。出入口や二階では他の騎士達が目を光らせている。
正装して魅力が増したマティスは女性達の視線を集めているが、本人は無関心だ。
「ベルと仲良くしていただき、とても感謝しています。良い友人ができたと喜んでおりました」
「私こそベル様には感謝しかございません。今日のこの場にベル様がいらっしゃらないのが寂しいですわ」
マリーやジャンヌは準主役であるし、コリンヌはライアンと、ジェレミーはキャロルと楽しんでいる。ベルがいればもっとずっと楽しめただろう。
「本日のダンスは誰かと踊られるのですか?」
「いいえ。私は壁の花として楽しむ予定です」
「それは残念。我が国が誇る貴族の令息がこれだけ集まっても、ソフィー嬢のお眼鏡には適いませんでしたか」
クスクスとマティスが笑う。騎士に全てを捧げていると言っても、お堅いわけではなさそうだ。
「なら、マティス、君が踊ってやってくれないか?」
突然、フィリップが口を挟んできた。
「お父様、何てことを!冗談ですわ。お気になさらないで」
慌ててソフィーが両手を左右に振った。
「良いのですか?」
マティスはソフィーではなくフィリップに確認している。
「ああ。だが手は出すな」
「ええ。私は紳士で有名なのですよ」
マティスがまた軽く笑った。
「お父様!どういうおつもりです⁉ ご迷惑ですわ!」
「お前、こういう場で一度も踊ったことがないだろう。今のうちに場慣れしておけ。彼なら多少迷惑をかけてもいいだろう」
「ハハ。失礼な」
そう言いつつも顔は柔らかい。どうやらフィリップとマティスは気心知れた仲のようだ。
そういえば結婚の意思がないとか。フィリップもそれを知っていて彼に頼んだのかもしれない。
「ソフィー嬢。私で良ければ練習相手になりますよ。宮殿で踊れる良い機会です」
右手を胸に当てて優しく笑むマティスに、ソフィーもそれならば、とお願いすることにした。
ホール中央でホールドの姿勢を作ると、女性陣がざわつき始めた。マティスが女性と踊るなど、そうないらしい。
しかし、ソフィーはそれどころではなかった。フィリップやジェレミー以外の男性とこんなに近づいたことがないので、手を合わせただけで緊張する。ヒールを履いた自分よりニ十センチは高い背に、大きな手。
これが男性なのね…!
さっきまで聞こえていた演奏が急に遠くなった気がした。心臓がうるさい。
近くではアンリとジャンヌが躍るようだ。さすが二人は堂に入っている。
「大丈夫ですよ。力を抜いて。これは練習なのですから楽しみましょう」
急にガチガチになったソフィーに優しく囁く。穏やかな声に、ソフィーも少し落ち着いてきた。
「始まりますよ」
その言葉を合図に踊り出した。踊り始めてみると、自然と体が動く。それにフィリップが信頼して任せただけあって、マティスはとても上手かった。
くるくる回る度に、アンリ達が目に入ってくる。
ああ、王子様とお姫様ってこういう方達なのね。息の合った優雅な舞。とてもじゃないけれど殿下とは踊れそうにないわ。
心配していたけれど、足を踏むなどの粗相もなく乗り切れた。
「とてもお上手でしたよ」
マティスが差し出したドリンクを有難く受け取る。一曲踊っただけでも息が切れた。アンリはマリーと踊っている。
「マティス様のリードのおかげですわ。とても楽しかったです」
「本当ですか? 途中、意識が逸れていたようにお見受けしましたが」
マティスがなぜだが楽しそうに言った。
「今のソフィー嬢ならば殿下と踊っても問題ないと思いますよ。余計なことに気を散らさなければ、ですが」
誰にも聞かれないようこそっと耳打ちしてきた。
アンリ達に気を取られ、一度足を踏みそうになったのがバレている…。恥ずかしさで顔が赤くなった。そんなに見ていたかしら?
「ご武運をお祈りします」
にっこりとそう言い残してマティスは去っていった。
マティスと別れ、食べ損ねていた料理を前にソフィーの食欲が再び湧き上がってくる。せめて大好きな鴨かガチョウだけでも食べたい。でもパイ包みも美味しそう。フォアグラも捨てがたい。
マティス様は誤解なさっているわ。私は二人の優雅さに見惚れていただけであって、殿下と踊りたいと思っていたわけではないのよ。
結局、鴨を選択し食べている間、そう脳内で言い訳する。とは言うものの、ちらちらとマリーと踊るアンリを見てしまっている。夢のせいで今日は顔を見たくないと思っていたのに、目が勝手に彼を追う。それもこれも今のアンリが、あまりにも夢とかけ離れているせいだ。
赤いドレスのマリーは衣装と相まって情熱的で、さすが芸術一家、最後のポーズも決まっている。
私には無理だわと目を逸らして、ごくん、と最後の一口を飲み込んだ。すぐに周りがざわつき始めるのを感じる。何かしら、と振り向くと二メートルほど離れた場所にアンリが立っていた。
こちらに向かって来ているような…。急いで後ろを向き、口元を拭う。
「ソフィー嬢。こちらにいらしたのですね」
二曲も続けて踊ったとは思えない程に落ち着いた声だ。夢では見せない自然な笑顔を向けられ、ときめいてしまう。
「ええ、まぁ」
食べているところばかりを見られている気がする。恥ずかしい。
気を取り直して笑顔を作った。
「お誕生日おめでとうございます」
「ありがとう。宮廷料理はお口に合いますか?」
「ええ。とても繊細で目にも美しく、楽しんでおります」
「良かった。フォアグラもお勧めですよ。もう召し上がりましたか?」
「いいえ。まだですわ」
アンリが使用人に合図をするとすぐ、綺麗にお皿に盛りつけられたフォアグラが目の前に置かれる。ベリーのソースがかかったそれは蕩けるように美味しかった。
「喜んでいただけて良かった。そういえば、先ほどマティスと踊っていましたね?」
「…ご覧になっていたとは、お恥ずかしいです。マティス様のフォローのおかげでなんとか踊り切れました。とてもリードがお上手で」
照れたように話すソフィーに穏やかではない気持ちになる。
マティスは神と結婚したような男だ。彼に限って色恋のような関係ではないと分かっているのに…。
「…彼は何につけても優秀ですからね。しかし、またなぜマティスと踊ることになったのです?」
下手な探りだと自分でも思うが、聞かずにはいられなかった。
「実は、父が無理を言って頼んだのです」
「グレイヴィル卿が?」
驚いた振りをしたが、分かっていた。先ほどから気配を消して、こちらを見張っていることにも気が付いている。
わざとマティスと踊らせたのだ。王太子が二番手になるなど嫌だろう、という牽制だ。随分と警戒されている。どうやら王家に嫁がせたくはないらしい。
「ソフィー嬢。よろしければ、私とも踊っていただけませんか?」
片手を差し出してきたアンリに目を見張った。
そうだった!確か、踊りたくなければ離れておけと父が言っていたわ!殿下と踊れる程も上手くないし、それにあんなに密着したら倒れてしまうわ!
どうしよう!と焦っても、断ることはできない。喜んで、と引きつった顔で答え、そっと指先だけ彼の掌に乗せた。
途端に破顔した彼の顔が眩しすぎて、真っ赤になって下を向く。
ジャンヌ様とマリー様の後に、私が踊るなんて…。冷静に考えるととんでもないことだわ。
ホールドの姿勢を作ってやっとそれに気づく。
それに握った手が熱くて恥ずかしい。緊張で火照ってしまっているわ。もう駄目。くらくらする。私、真っすぐに立てているのかしら⁉
「ソフィー嬢。僕に身を預ければ大丈夫だよ」
向かい合って密着した態勢のまま耳元でそう囁かれ、ボンッと顔が爆発しそうに熱くなった。その顔を見てアンリがフフと笑う。
曲に合わせてゆったりと踊り始めた。
「今日は僕と君が初めて踊る記念の日なのだから、ちゃんと僕の目を見て」
言われるがままアンリの顔を見てしまった。この綺麗な青い瞳が自分を映しているのだと考えるだけで、どうにかなりそう。
「本当はソフィー嬢と最初に踊るのは僕が良かったな」
私は、最初が殿下だったらぶっ倒れた自信がありますが⁉ さっきから心臓に悪いことばかり言わないで。それに…。
「殿下はジャンヌ様やマリー様と踊っていたではありませんか」
「ああ。あれはプログラムの一部だから」
プログラムと平然と言い切ったことに、こちらが動揺してしまう。
「でももし、そのおかげでソフィー嬢が少しでも嫉妬してくれたなら嬉しいな」
嫉妬⁉ 私が⁉ いやいや、私などがジャンヌ様やマリー様に嫉妬などできるはずないわ!
「ああ、残念。その様子では嫉妬はしてくれなかったみたいだね」
少しも残念そうではない様子でアンリが苦笑した。
私は揶揄われているのかしら。
実際は二人と踊っているのを見た時、嫉妬なんて気持ちを抱けない程に遠く感じた。
「私が今宵、自分の意思で踊るのはソフィー嬢だけだ」
真剣な青い双眸に吸い込まれそうになった。ドクンと強く胸が鳴る。
ああ、私、殿下のことを好きなのかもしれない。
溢れ出た喜びの感情でそう悟った。塞がっていた気持ちが今は信じられないくらいに軽い。
「ねえ、今日は僕の誕生日なんだ」
「…存じております」
「じゃあ、一つお願いを聞いてくれる?」
「お願い、ですか?」
「うん」
「何でしょう? 私に出来る事なら」
「じゃあ、僕のことを名前で呼んで」
予想もしていなかったお願いに目を丸くする。踊っていた足が止まりそうになった。
「そ、れは…。公の場で私などが殿下をお名前で呼ぶなどできません」
「大丈夫。踊っているから誰にも聞こえないよ」
さらに声を潜めて、ね? と耳元に顔を近づけてきた。
「…アンリ王太子殿下」
聞こえるか聞こえないか分からない程小さい声で呟いた。
「王太子殿下はいらないな」
少し意地の悪い顔をして注文を付けてきた。
恥ずかしくて死にそうだわ!
「……アンリ様」
真っ赤になって絞り出した声に、アンリは満足そうな顔をした。
「ありがとう。ソフィー嬢と踊れたことが、今までで一番の誕生日プレゼントになったよ」
最後まで王子様らしく今日の主役は去って行った。ソフィーは放心状態でどうやって帰ったのかもあまり覚えていなかった。




