パレード
何よ、それ⁉ 何なのよ!ふざけるんじゃないわよ!
どこまでもフィフィを軽視するアンリに、怒りがこみ上げる。
よりにもよって今日はアンリの誕生日だ。お昼にはパレード、夜には祝賀会が開催される。
夢のアンリと現実のアンリは別人だと分かっていても、やはり複雑な気になる。
美味しい朝食を食べても、着飾っても気分は全く晴れなかった。
「お姉様、社交界では笑みを忘れずにね。獲物を狙う鷹のような目になっているよ」
社交用の馬車に乗り込む前、ジェレミーがそっと耳打ちした。
「…そうね。ありがとう、ジェレミー」
こんな顔つきで誕生会に出席しては謀反の意ありと疑われてしまう。無理やりに笑みを作った。
フィリップと向かい合いように、ソフィーとジェレミーが座った。乗り込む前はジェレミーが手を貸してくれた。
「学校に行って増々、紳士的になったわね」
「まあね」
ジェレミーは王立学校に合格した。成績上位者だけが入れる難関校だ。
そこに入る為に、寝る間も惜しんで勉強していたことを知っている。エレーヌの件で随分と気を散らしてしまったから心配したけれど、杞憂に終わって良かった。
「ソフィー。今日のダンスでは王太子が何人か令嬢を選んで踊るだろう。嫌なら離れておくか、途中で帰ってもいい」
「は⁉ 嫌だなんて、そんな」
確かに今日はそんな気分だが、侯爵家の娘として王太子と踊ることが出来るのは名誉なことだ。自分の気持ちを優先させる気はない。
「お前に王太子妃は荷が重いだろう」
その言葉にムッとする。
「そんなことはありません。私だって、もしそうなれば立派に務めてみせますわ!」
「王族には危険がつきものだ。無理してなる必要はない」
思ってもみなかった言葉に、ソフィーはフィリップの顔を凝視した。こちらに目を向けようとはせず、足を組んで外の景色を眺めている。
「…心配して下さっているのですか?」
意外だった。出来れば王太子の婚約者にしたいと思っているものとばかり…。王族と繋がりができれば家だってもっと大きくできるかもしれないのに。
「結婚相手はお前の好きに選べ。家の心配は一切必要ない」
「お父様…」
ジーンとして涙が目に溜まる。
「そうだよ。お姉様。家の事はお父様と僕に任せて」
「ジェレミー。あなたまで」
家族にもちゃんと味方はいたのだ。
「僕、バロー侯爵家の娘キャロル様と婚約するんだ」
「…へ⁉ 婚約⁉」
唐突な話題に馬車の中で大声が響き渡った。涙も引っ込んだ。
「そう。お姉様にも今日紹介するね」
ちなみに家柄と人間性で選びました、とあっけらかんと笑った。確かにバロー侯爵家は有力貴族だが、驚きすぎておめでとうの一言も出てこなかった。
合理的すぎるわ、我が弟よ。領主の長男の自覚ありすぎでしょう…。
「おめでとう、ジェレミー!ちょっと早すぎる気もするけど、あなたが選んだ人ならきっと良い方ね。お母様は知っているの?」
「まだだよ。領地にいるし、挨拶も難しいかなって」
「そうなの。きっと喜ぶわ!お父様、お母様の様子はどうです?」
「ああ、大分落ち着いたが、まだ気落ちしていて食も細い」
見た目によらず大食漢だったのに…。妹の死、エレーヌの暴挙、メラニー自身の過ち。受け止めなければならないことが多すぎるのだろう。
「そうなのですね。心配だわ」
これは本心だ。ソフィーにとっての母は昔の優しい母のままなのだ。
「ですけれど、いつまでも引き籠られても困ります。お母様は我が家の女主人なのだから。領地に引き籠ってクヨクヨするのではなく、やるべきことをやっていただかないと」
活発な母が引き籠って考えることなど、碌なことではないだろう。あの人は体を動かして頭を整理していくタイプだ。
そしてこれは母を赦すというソフィーからのメッセージでもあった。
「ああ。そのように伝えておこう。…立派になったな、ソフィー」
フィリップもソフィーの考えを理解したようだ。フィリップに褒められるなど、そうない。気恥ずかしくなり「いえ」と小さく述べるにとどまった。
久々に家族のことで胸が温かくなれた。
馬車を下りるなり眩しさに目を細める。太陽が高い。
会場である宮殿の庭には特設会場が設けられ、庭を取り囲むように何脚もの椅子が並べられている。
高々と掲げられた幾つもの国旗が風で靡く様は圧巻だった。青い空に白い旗が映える。描かれたライオンの紋章もいつもより勇ましく見えた。
すでに多くの貴族が集まっており、着くやいなや次々にフィリップに挨拶に訪れる。ソフィー達も挨拶に忙しかった。
「紹介するね、こちらがバロー侯爵家のキャロル様」
ジェレミーがソフィーに紹介している間、父二人は大人同士で会話している。
「バロー侯爵家の娘、キャロルと申します」
しっかりとした話し方でそう挨拶した彼女は、そばかすが印象的な落ち着いた少女だった。硬そうな赤茶の髪をしっかりと後ろで纏め、流行のものではなく古典的なドレスを身に纏っている。
真面目な印象を受けたが話してみると柔らかさもあり、ソフィーもすぐに彼女を好きになった。将来我が家を切り盛りする彼女を想像しても、不安な気持ちは一切抱かなかった。
さすがジェレミーね。
会場に音楽隊の演奏が鳴り響き、話し込んでいた貴族達が席へと戻り始める。
白い服を着た二百名の音楽隊が行進をしながら庭の中央へと集まり、整列をしたままピタと止まった。
一瞬の静寂の後、一際大きいラッパの音が会場中に響き渡った。
「いらっしゃったわ!」
令嬢達の歓声を浴びながら、バルコニーに両陛下とアンリが現れた。その脇にはマリーやジャンヌの姿もある。彼女らの目を引くドレスが一層場を盛り上げている。
「遠いところを我が息子アンリの為にありがとう」
長い口上の後、両陛下がそう言って手を振ると会場から歓声が上がった。続いて本日の主役であるアンリが感謝を述べる。
「皆様、私の誕生日にお集まりいただき、感謝致します」
アンリにはさらに大きな歓声と拍手が送られた。それに応えるように手を振る。鮮やかな緑の軍服に身を包んだアンリはいつもより凛々しい。
「やっぱり素敵ねぇ」
「王子になる星の元に生まれてきたって感じだわ」
「我が国の誇りよ」
総じてアンリの評価は高い。特に女性陣からの指示は絶大だった。
彼らがバルコニーから姿を消すと、再び音楽隊の演奏が始まった。それに合わせて白い軍服を着た騎士達が白馬に跨り、庭に入場してくる。その数およそ千人。なかなか見られない光景に、貴族達も興奮気味だ。
そこへ同じく白馬に跨ったアンリが合流する。白一色の中で、緑色の軍服のアンリは一目で見分けがついた。観衆の視線が一点に注がれる。
軍歌が流れる中、盛大なパレードが始まった。庭を一周した後、宮殿を出て、市街をぐるりと一周して戻ってくる。街は今頃お祭り騒ぎに違いない。王太子のご尊顔を拝める機会などほぼないのだ。
アンリは集まった大観衆の中からソフィーを探す自分に気づいた。
さすがに無理だろうと思っていたのに、特設席の最上段に座っている彼女を見つけてしまった。なぜだかそこだけ輝いて見えた。
バチッと目が合った気がして、にこやかに手を振る。周りの令嬢達が悲鳴にも似た声を上げ精いっぱい手を振り返すも、肝心のソフィーは手首だけで小さく振り返しただけだった。
それでも自分に反応してくれたことが嬉しい。
「アンリ王太子殿下、万歳‼」
宮殿を出るとすぐに、パレードを見守る観衆からそんな声が次々に聞こえた。
本来なら王太子の誕生日にパレードを行うことなどない。しかし、何度目かの流産の末、二十九という決して若くはない年齢でやっと生まれた子は、両陛下にとって神の奇跡にも等しかった。
国民達も同じ気持ちだった。祝宴は三日三晩続いたのだとよく二人は話してくれたものだ。パレードはアンリが生まれてから毎年行われている。
群衆は一様に嬉しそうな顔をして、騎士の制止も聞かず付いてくる。歌っている者もいれば踊っている者もいる。なんと幸せな光景だろうか。
温かい家族、優秀な臣下、信頼してくれる国民達。
しかし、前世においてアンリはその全てを失ったのだった。
懐かしい光景を目に焼き付けるように、ゆっくりと馬を歩かせた。




