宮殿への招待状
清々しい朝だ。部屋には朝日がたっぷりと射し込んでいるし、朝食は相変わらず美味しい。
もうエレーヌはいない!そう思っただけで空気すら美味しい。
彼女は辺境の神道院へ送られた。オスベルとの国境に近いそこは、指導の厳しさで有名だ。
それに、フィフィももうすぐ自由になれる!あいつら、倫理観も道徳心もあったもんじゃないわ!ゴミよ!さっさと縁を切るのが正解だわ!
怒りと清涼感が入り混じった、おかしな気分だ。
ソフィーはパンを千切った。今日の蜂蜜は、ソフィーのお気に入りである向日葵の蜂蜜だった。
好きだと分かっていて用意してくれたのね。ソフィーはこっそりと微笑んだ。
使用人達との関係は徐々に回復してきた。
エレーヌの侍女を除いて、使用人達には今まで通り働いてもらっている。
彼らのソフィーへの態度は、清廉潔白で正しくあろうとする気持ちが裏目に出ただけだ。女主人であるメラニーがああだったのだから仕方のない部分もある。
女中頭を筆頭にフィリップから震え上がるくらい叱られ、反省もしている。
ソフィーは快く彼らの謝罪を受け入れた。屋敷も心なしか以前より明るくなった気がする。
「ソフィー様、アンリ王太子殿下より贈り物です」
「何ですって⁉」
なんとアンリからソフィー宛に数着のドレスと帽子が届いた。そこに一緒についていたのは、王家の紋章入りの手紙——宮殿への招待状だった。
当然断ることは出来ず、ソフィーは今、用意された王家の馬車の中にいる。
どうしてこうなるの⁉ 冷汗が出そう。こんなに座り心地の良い馬車なのに、全くリラックスできない。
「贈ったドレスを着て来てくれたんだね。思った通りとても似合っているよ」
向かいに座るアンリの優雅な笑みに勝手に胸が高鳴った。こんなクズに、ときめきたくなんかないのに。
ドレスは侍女達に無理やり着せられた。我が家の庭に咲いたピンクの薔薇を想起させる絹のドレスは、とても心地良くてそれが悔しい。
「いいえ。私の方こそこんなに素敵なドレスを頂いてしまって」
「僕が贈りたかっただけだから気にしないでね。その薄いピンクのドレスが、君の赤い髪を引き立ててくれるんじゃないかと思ったら、贈らずにはいられなくなったんだよ」
幼少期にコンプレックスだったこの赤毛が、最近ではお気に入りになっていた。
「ありがとうございます」
そこは素直に嬉しかった。
馬車は一定の速度でゆっくりと進んでいく。閉じられたカーテンで、外の様子は見えない。
「実は、君が外国の文化に興味があると聞いて、美味しそうなお菓子を作らせたんだ」
「まぁ私の為にですか?」
ソフィーが驚いて顔を上げると、アンリが頷いた。
「そうだよ。僕も食べたことがないお菓子もあるし、ソフィー嬢と一緒に食べようと思ってね。きっと美味しいよ」
その言葉通り、目の前に出されたデザートは初めて目にする物も多く、魅力的だった。
まず選んだのは一口サイズの丸いクッキーのようなポルボロン。
「小さくて可愛らしい」
一口で食べるとほろりと崩れる。ソフィーが知っている固いクッキーとは食感が違って面白い。
「食べやすくて、ご令嬢達にも人気になりそうですね」
「そうだね。現地では口に入れて崩さずに『ポルボロン』と三回唱えることができると願いが叶うと言われているんだ」
「え…もう食べてしまいました」
「ふふ。口に入れるのが早くて言いそびれてしまったよ」
弾んだように笑われ、頬を赤らめる。
食べる速さはホストに合わせないといけないのに、またやってしまった…。
それでもご機嫌な様子のアンリに、ソフィーも心が軽くなる。
次はバウムクーヘン。真ん中に穴が空いた木の年輪のようなそれを、執事が薄く削ぎ切りにする。
本で見てから食べてみたかったお菓子の一つだ。思ったより、ギュッと詰まっていて食べ応え抜群だった。カフェオレにもよく合う。
カフェオレを飲み終えたソフィーを確認し、執事が薄緑色の飲み物を、そっと二人の目の前に置く。最近出回り始めた緑茶という飲み物で、コーヒーとはまた違う苦みがあり、食べ過ぎた喉をすっきり潤してくれた。
ふぅ、と満足気に一息つく。
宮殿でこんなに自由に振る舞っていていいのかしら、私。
しかし、「楽しいね」と笑うアンリに、まぁいいかと満喫することにした。
「これはパステル・デ・ナタと言うカスタード入りのタルトだよ」
「美味しい。卵風味のクリームと、パイのサクサク感が何とも言えません」
「そうだね。それに香ばしさと甘さの両方があるのもいい」
「確かに!」
自分が感じた事をそのまま言ってくれたアンリに嬉しくなる。感性が合うって素晴らしいわ。
最後は杏仁豆腐。するんと喉を通っていく。
「独特な異国のお味がしますが、すっきりしていて食後にぴったりです」
「そうだね。男性にも好かれそうだ」
空の器を残念そうに見つめるソフィーに、アンリがまた笑う。
「こんなに食べてもそんな顔になるんだね」
しまった。居心地が良くて素になってしまっていた。
「…ここにいると太ってしまいそうです」
「ふくよかなソフィー嬢もきっと素敵だよ」
さらりと返してくるアンリに赤面してしまう。こういうことには慣れていない。
「ソフィー嬢の領地は酪農も有名だろう。だから誰よりも新鮮な味を理解している君にまず食べてもらいたかったんだ」
「なるほど」
確かにお菓子作りには卵や牛乳が欠かせない。
「しかし、私は御覧の通りの食いしん坊なので大体は美味しく頂いてしまいます」
「素敵なことだね。食を通して世界を見るのも勉強になる。今日一緒だったのがソフィー嬢で良かったよ」
美味しいお菓子を食べただけなのに、褒められてしまった。
その後、王城内の美術品を見たり図書館へ案内してもらったり、時間を忘れる程に充実した時を過ごした。ここ数年ずっと暗い気分で過ごしていたから、こんなに何も考えず楽しめたのは久しぶりだ。
「また誘ってもいいかな?」
ソフィーの屋敷に着き、二人で馬車から降りたところ、少し自信なさ気にアンリが尋ねた。
「はい。是非」
ソフィーも名残惜しさを感じていたので、言葉が勝手に口を衝いて出た。はっとした時には、アンリは満面の笑みになっていた。
「良かった。君が欲しい物、したい事、何でも言って。全力で僕が叶えるから」
夕日が照らした彼の顔は、キラキラして眩しく見えた。




