追放
「今日はご苦労だった」
家族全員で集まる時はダイニングが多いのに、なぜか父の書斎に集められた。
使用人達は部屋の外で片づけを命じられている。狭い部屋にはソファが二つあり、メラニーとエレーヌが同じソファに、向かいにはソフィーとジェレミーが腰かけている。
フィリップだけは書斎の椅子に座り、自身の両側にいる二組をデスク越しに見比べた。
「無事に終わって何よりだと言いたいところだが、ひと悶着あったらしいな」
「はい。会の終わり頃にエレーヌが泣き出し、彼女を庇った男性陣に言いがかりをつけられました」
「ソフィー!またあなたが何かしたの⁉」
「お前は黙っていろ」
フィリップに睨まれ、メラニーが驚いたように動きを止めた。
「あなた…?」
「それで?」
フィリップに促され、メラニーを無視して話を進める。
「結局、誤解だと判明し、謝罪を受けました」
「スミス卿からもそのように聞いている。それで、エレーヌ。ソフィーの立場が悪くなっているのに、なぜお前は何も言わなかった?」
「それは、その…」
メラニーはハラハラとエレーヌを見やりながらも、先程の一言で助け舟を出せないでいる。
「何だ?」
地を這うように低い声。こういう声の時は大抵怒っている。
「誤解だなんて思わなくて…。アンリ様の様子がおかしかったので、てっきりお姉様が何か言ったのかと」
「私が? 何を?」
ピンと張った空気が揺れるような凛とした声で問う。
震えたか細い声で、エレーヌが弁明を始めた。
「お父様はご存知ないかもしれませんが…私はいつも…お姉様に虐められていて…」
いつものように涙を流し始めた。彼女はいつも泣き顔をあえて晒す。美しい泣き顔が同情を誘うことを知っているからだ。
しかしフィリップには効かなかった。
「はっ。貴族の娘が虐められたくらいで何だ? ソフィーなら逆にやり込めただろう。私の娘だからな。それでお前はどうした?」
「あなた、何てことを!エレーヌだって私達の娘でしょう⁉」
メラニーが立ち上がって抗議した。
「私の娘なら虐められたくらいで、あんな風に人前で泣いたりはしない。今日のあの失態の言い訳をしてみろ!」
ぴしゃりと突き放され、二人は蒼ざめた。ぴたりと涙は止まったようだ。
メラニーは助けを求め、視線を彷徨わせる。コーヒーを飲みながら他人事のように聞き役に徹しているジェレミーが目に入った。
「ジェレミー、あなたもエレーヌを助けてちょうだい」
「なぜ?」
「なぜって…」
息子の冷たい言葉に驚く。
「あなたの妹でしょう⁉」
「妹ね…。お母様、まだ状況が分かっていないようだね」
ジェレミーは苦笑しながら足を組みなおした。
「僕達が集められたのは、エレーヌを庇う為ではなく、問い詰める為だよ」
メラニーだけではなく、エレーヌも目を見開いてフィリップを振り返る。
「あなた、どういうことなの…⁉」
「そのままの意味だが? お前こそ今日のエレーヌの醜態についてどう思っている?」
「醜態だなんて!あれは、ソフィーがいつもエレーヌを虐めるから、思わず泣いてしまっただけよ」
あくまでもエレーヌを庇い、フィリップから見えないよう彼女を背に隠した。
「王太子が参加する重要な会で、ホストである我が侯爵家の人間が犯した粗相を、泣いてしまっただけで済ますのか? 侯爵夫人の座を捨てる覚悟で言っているんだろうな?」
ぎろりと鋭い眼光がメラニーを捉えている。ゆっくりと落ち着いた話し方が余計に二人を震え上がらせた。
「そんな!なにも、そこまで…」
小さな声は途中で消えてしまった。ついには座り込んでしまった。
「お母様…」
エレーヌが助けを求めドレスの袖を引っ張るが、メラニーが彼女を見ることはなかった。
「虐められていた、と言ったな? お前が何通も何通も下らん手紙を送って来るから、部下に調べさせた」
ドサッと雑にテーブルに投げ捨てたのは、メラニーが今まで領地へ送った手紙の束だった。読まずともソフィーには内容が知れた。
やはり今までの事を父にも報告していたのね。全部で三十通くらいあるだろうか。
「潜入させた部下が調べた結果、虐めの事実など一つもなかったと報告を受けている。全てお前が自分でやっていたとな」
フィリップの視線を避けるようにエレーヌは下を向いている。
「そんな…何かの間違いよ!きっとその部下が見間違えたのだわ」
「部下が見間違えた? 国一と称される我が侯爵領の精鋭が、か? お前は私まで侮辱する気か?」
フィリップの目から失望の色を読み取り、メラニーはもう声を出す事さえ出来なくなった。
グレイヴィル侯爵領は戦争において何度も敵将を倒してきた。王家からの信頼も厚く、非常時には一番に声がかかる。彼らが調べれば子どもの悪事などすぐに判別できるだろう。
見張られていたのに、全く気付かなかった。
「違うの、お父様!」
急に立ち上がったエレーヌに皆の視線が集中する。
「お母様がね、ソフィーお姉様が私を虐めているって誤解し始めて…。私、養女だからお母様の判断に何も言えなくなってしまって」
「エレーヌ…?」
生気が抜けたメラニーには目もくれず、フィリップに訴える。
「私、何度もお伝えしたのですけど、聞いて頂けなくて…。そのうちに、私が虐められているように演じなければお母様の期待を裏切ってしまうのではないかと怖くなって。捨てられないよう私も必死だったのです!もうしません!誓いますから」
フィリップが泣き落としは嫌いだと判断したのか、瞳を潤ませるにとどめている。自分の立場を訴える様子には迷いがない。今まで自分を庇い続けてくれたメラニーを簡単に切り捨てた。
何て子なの…。
ソフィーは罪悪感の欠片もないその様子に恐怖すら覚えた。この子は自分の為なら本当に何でも出来てしまう子だ。異常なほど他者への共感力がない。
フィリップとジェレミーもそれを感じたようだった。
メラニーは両手で頭を抱え、ただただ俯いている。
「それを聞いて私が、納得すると思うのか?」
怒気が溢れている。
「お父様!私はただお母様の為に」
「黙れ!では聞くが、以前にシモン伯爵家の昼食会でまでソフィーを悪者に仕立てたのはなぜだ?」
「それは…」
「あの時は、令嬢達だけで集まっていたそうだな。そこで誹謗した理由は何だ?」
まさかそこまで把握されているとは思っていなかったのだろう。言葉に詰まり下を向いた。
「金輪際、グレイヴィル家を名乗るな。縁切りの手続きは既にしてある。さっさと出ていけ」
「そんなっ。一人ではとても生きていけません!どうかお赦し下さい」
「神道院行きの馬車を用意してある。二度と戻って来るな」
「どうして⁉ こんなのおかしいわ!お母様!」
エレーヌは母の腕にしがみついた。
「お母様!私、お母様に愛されたくて必死だったの!だからっ」
「…もう止めて……」
メラニーは絞り出したように言い、俯いたままエレーヌに背を向ける。フィリップが使用人を呼び、エレーヌを追い出した。
メラニーは心を病み、領地で静養することとなった。




