§ ソフィーとソフィー
§
王室主催の舞踏会が、宮殿の大ホールにて行われている。
端から端まで人で溢れていても、吹き抜けの天井と大きな張り出し窓のおかげで圧迫感は全くない。
月光をかき消すようにガラスのシャンデリアが輝いている。
「先の戦争の勝利を祝して!今日は思う存分、楽しむと良い!」
「乾杯!」
堅苦しい挨拶の時間も終わり、楽しそうな笑い声が響く。招待を受けた七百名程の貴族が、この華やかな一時を楽しんでいた。お酒を飲んでいても優雅さはそのままで、仕草や服装、話の内容まで上品だ。
そんな中、会場の注目はとある二人に集まっている。
「アンリ王太子殿下とエレーヌ様よ!」
「絵になるわねぇ」
窓辺で肩を寄せながら見つめ合う二人を、同年代の令嬢と令息達が遠巻きに観察している。
男女とも金髪碧眼で、絵画から抜け出たように美しい。
真っ白の燕尾服に身を包んだ青年は、形の良い瞳を愛しそうに細め、彼女の顔を覗き込んだ。その甘い雰囲気に、周りの女性陣は近づきたくても近づけずにいる。
「そのドレス、とてもよく似合っているよ、エレーヌ」
「本当⁉ 嬉しい!素敵なドレスを、どうもありがとう!」
「君の為なら喜んで」
エレーヌは柔らかそうな金髪をふわりとなびかせ、笑顔を向けた。派手なピンクのドレスに引けをとらない美少女で、先程から男性陣が頬を染めながらチラッチラッと彼女を盗み見ている。
まるで二人にだけ光が当たっているかのように、皆の目には眩しく映った。
「アンリ王太子殿下、いつもながら素敵ね」
「エレーヌ様、とてもお綺麗だわ」
至る所から、二人を称賛する声が聞こえる。
突如として響いた弦楽器の軽やかな音色が、歓談の声に取って代わった。ダンスの時間だ。ペアで踊る者は中央へ、それ以外は壁際へと人々が移動を始める。
エレーヌは当然のように、王太子が差し出した掌の上に自分の手を重ねた。
手まで白磁のように美しく、所作の優雅さと相まって、周囲からほぅっとため息が漏れる。
男女が手を取り合い、一斉に踊り始める姿は圧巻だ。
その中心で幸せそうに二人が踊り始めるのを見た瞬間、ソフィーは耐えられなくなって壁際で俯いた。
派手な赤毛に似つかわしくない地味な顔立ち。その顔には殆ど化粧が施されていない。少し上がった目元と、固まった表情のせいで意地悪くも見える。
婚約者から嫌がらせのように贈られたグレーのドレスが、余計に地味さを引き立てた。これがエレーヌと色違いのドレスだということに気づいた者はいないだろう。
これだけ多くの人がいても話す相手もおらず、時間が経つのをただ待つことしかできない。シャンデリアの灯りが届かない隅で、影のように佇んでいた。
一人でいると周囲の話し声が自然と耳に入ってくる。全て自分への陰口だった。
「フフ。婚約者なのに舞踏会で放置されるって、どれだけ嫌われているのかしら?」
「殿下の婚約者の座を、妹のエレーヌ様から奪い取ったって本当なのね…」
「エレーヌ様のご病気につけ込んだのですって。最低よ!殿下とエレーヌ様は愛し合っているのに」
「エレーヌ様は見た目も性格も天使のようなのに。見てよ、あの冴えない顔。そりゃあ卑屈にもなるわよねぇ」
嫌らしい視線がいくつも自分に絡みついて、顔がカァッと熱くなった。
違う!婚約者になんて、なりたくなかった!
エレーヌに子どもを産めない可能性があるからって、無理やり押し付けられたのよ!
私だって自分とエレーヌとの差くらい、分かっているわ!
そう叫びたいのに声に出せず、増々俯いてしまう。
ドレスに合わせた自分の靴が目に入った。黒くて飾り気のないヒールの低い靴は、エレーヌの真っ赤な靴とは全然違う。
美しいエレーヌは社交界で一目置かれる存在だ。艶やかな金髪に、透き通った肌、吸い込まれそうな青い瞳。鈴のような声。それに加え、誰をも魅了する愛らしい笑顔と話術で、いつも輪の中心にいる。
それに比べて自分は——。
光の当たるホール中央で踊るエレーヌと、影に潜む自分の立ち位置が、まさに全てを表している。
胸のあたりに黒い靄が漂った
馬鹿にしたような笑い声にも、いつまでたっても慣れない。会場中が自分を蔑んでいる気がする。顔を上げることも、その場を動くこともできずに、ソフィーは無意識にドレスをきつく握りしめた。
アンリはそんなソフィーに目もくれず、楽しそうに笑い合いながらエレーヌと二曲目を踊り始めた。
今日、アンリとは一度も目が合っていない。
周りの皆は二人をうっとりと見つめている。「お似合いね」なんて声が右からも左からも聞こえて居たたまれなくなった。
この会場でソフィーは独りぼっちだ。
……あぁ、私なんて、生まれてこなければ良かったのに‼
ソフィーが心の中で叫んだ時、もう一人のソフィーが全力で叫び返した。
——そんなことないわ‼
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