●第九話 お前は何をやっているんだ
翌朝、気分よく目覚めた僕は、思いっきり背伸びをすると、カーテンを勢いよく開ける。
まだ薄紫色の夜が残る空には、下からまぶしい朝日がゆっくりと顔を出そうとしていた。
今日も良い天気になりそうだ。
窓の向こうに隣の家も見えているが、そこが真夜の家だ。青色のカーテンは開け放たれているもののハンガーには制服がなかった。彼女はもう先に学校に行った様子。
そういえば昨日バスケの大会が近いと言っていたから、今日は早出の朝練なのだろう。アイツも頑張るなぁ。
「顔でも洗うか。んん?」
一階に下りると、キッチンから食欲のそそる匂いが漂っていた。参ったな、かなり早く起きたつもりだったのに、先を越された。
洗面台で顔を洗ったあと、僕はその二人に朝の挨拶をする。
「おはようございます」
「あら、悠真くん、おはよう」
「おはよう」
エプロン姿の真理亜さんと葵が笑顔で挨拶を返してくれる。
「手伝いますよ」
「あら、いいのよ。座ってて、悠真くん」
「いえ、僕だけ何もしないというのも……前は父さんと交代でやっていたので」
「そうだったわね。一馬さんから聞いてるわ。それじゃ、このボウルのポテトサラダ、手伝ってくれるかしら?」
「ええ」
すでにマカロニやニンジンやジャガイモも全部ゆであがった状態なので、あとはキュウリとマヨネーズを入れてかき混ぜるだけだ。せっかくなのでカニカマとツナ缶も投入。
「真理亜さん、これ、隠し味にわさびを入れていいですかね?」
「ええ。悠真くんがわさび大丈夫なら、入れていいわよ」
なら、葵もわさびは平気なのだろう。
「じゃ、少しだけ」
さらにタマネギのみじん切りをちょっとまぶして塩胡椒で味を調える。
「こんなものかな」
「どれどれ。あらおいしい! 悠真くん、料理も上手ね」
「いえ、どうも」
「む……」
おっと。葵がこちらを見て気難しい顔になったが、彼女を放置しておくとか、彼氏としてあり得ないよな。
「鈴……葵さんのほうは何か手伝うことはあるかな?」
「ううん、こっちはいいから。ありがとう。でも、悠真くんが料理上手だなんて、ちょっと意外です。私の活躍する場が危ういかも」
そんなふうに考えるのか。別に、恋人同士なんだから料理の腕でマウント取り合わなくたっていいと思うんだけど。……あとで風呂掃除でもやっておくかな。
朝食を家族そろって食べたが、葵が僕の向かいに座ってくれる。これから毎朝顔を合わせ、彼女と一緒に食事を取るのだ。
それだけでやる気が出て、幸せになってしまう。
「行ってきます!」
さすがに葵と一緒の登校は無理なので、僕は一人で家を出る。
そこは今までと何も変わらない街並みのはずなのに、なんだか僕には街全体の色が綺麗に輝いて見えていた。
教室に入ると、男子の何人かがじっと僕を目線で追ってくる。注目を浴びているようだが……いったいなんだ?
明智が僕の机のそばでしゃがんで待っている。なんだか暗い顔だ。僕は机に鞄をかけつつその煤けた男子に声をかけた。
「おはよう。ヒマそうだな、明智」
「気安く声をかけないでくれるか、この裏切り者」
「は? 何の話だよ、いきなり」
「とぼけるな。昨日お前が女の子とデートしていたという証拠はあがってるんだぞ」
「デートって……」
まさか、葵との関係がバレた? 心臓がドキリとする。
だが待て、僕が葵とデートで映画館に行ったのは日曜日のことだ。昨日じゃない。
「これを見ろ」
明智がスマホを見せつけてくるが、そこに写っていたのは僕と真夜だった。
「なんだ、真夜か」
「下の名前で女子を気軽に呼び捨てだと……!」
あ、しまった。明智が目を見開いて、驚愕と戦慄の表情になっちゃうし。
学校では上の名前で呼ばないとな。
「いや、だって大葉っていつも真夜ってみんなに呼ばれてるからさ。それでだよ」
僕は適当にごまかそうとするが。
「いいや、今のはそんな感じじゃなかった。親しげに、まるで彼女みたいなカジュアルさで言ってただろ」
「違うって。なんでそうなるんだよ」
家族という感覚で言ったのだが、恋人と家族って、そう考えてみれば態度としては似てるのかな?
「冬月は大葉さんと仲いいくせに、はんっ、所詮、オレ達とは人種が違うんだよ」
「なんだよそれ。人種って言うな。同じオタクだろ」
「どうだかね」
「とにかく僕は大場とは付き合ってないし、それはデートじゃないぞ。たまたま店の前で出会っただけだ」
「そこでフランクに会話できるのはもうデートと見なす」
「滅茶苦茶だな! だいたいクラスも同じで家も隣だから幼なじみってだけだぞ」
「それが羨ましい」
「そんないいもんじゃないぞ、幼なじみって。付き合ってもいないのに、周りから変に勘ぐられて学校で噂になるからな。誤解するヤツが出てくるから、友達にそれっぽく話したりするのは頼むからやめてくれよ」
「わかった。と言っても、オレ、このクラスに知り合いはお前しかいないし、話すヤツもいないんだけどな」
「ああ、ま、僕もそんな知り合いは多くないぞ」
「おう。話変わるけど、冬月、あの3Dゲーム、どうなってる?」
「ああ、ちょっと手を入れて艦隊戦ができるようにしてみた。こんな感じの」
スマホで自作アプリを起動して戦闘シーンを明智に見せてやった。
「凄いな。これだけのポリゴンを同時に動かしてコマ落ちしないなんて、どうやってるんだ?」
「基本は素早く描写できる三角形ポリゴンの組み合わせだけを使って、遠くのは全部テクスチャとフラットシェーディングでごまかしてる。人間の目に細かい部分は区別がつかないんだよ」
「なるほど、わからん。でも、冬月は凄いなぁ。FPSも強いし、将来はゲームソフトのエンジニアでもやるのか?」
「いや、まだ何にも決めてないし、ゲーム業界ってそう甘く無いと思うぞ」
これはヒマ潰しの趣味みたいなものだ。
「いや、市販レベルのゲームを自作しておいてそんなことを言われても。じゃ、次はさ、人間、美少女の3Dアバターを作ってくれよ。アニメ系じゃなくてリアルなヤツ」
「ええ? 人間かぁ、あれはかなり難しいぞ」
『不気味の谷』がある人間の表情や動きは、ポリゴンだと『水』『爆発』『煙』と並んで最も難しい分野の一つだ。自然な質感はプロでもなかなか出せないし。
「頼むよ。オレの嫁を作ってくれ」
「何だか嫌だなそれ。まあ、試しに何か作ってみるよ。ちなみに、お前の好みの美少女ってどんな子なんだ?」
「うーん、あ、そうだ、この前見せたグラビアアイドルの鈴崎葵で! 胸は巨乳にして欲しいけど」
「ギルティ!」
「ファッ!?」
だいたい、葵はファッション系雑誌にたまたま写った一般人であって、その辺のグラビアアイドルではないのだ。胸の改ざんに至っては神を冒涜する行為と言うべきだろう。
「それ以外なら作ってやる。ほら、授業が始まるぞ。さっさと帰れ」
「なんだよぅ、ケチ」
葵の視線がこちらに向いているのがわかったが、下手に言い訳できない状況なので、じっと沈黙で耐える……耐える。
ああもう、明智のヤツ、あんな大きな声で名前を言っちゃうし。これでフラれたら絶交してやる。




