その12 少女、戦う
状況を整理しよう。
ここは宰相ジョナサン・ミッフェルバインの屋敷。
宰相の悪政を正すため、政変を目論んでいた王様、アウザー・アウグストへの恫喝の材料にするため、わたしと侍女のアラはさらわれて、屋敷の一室に閉じ込められていた。
だけど、王様は即座に決起を決断。
王宮と中枢を押さえられた宰相と裏切り者の侍従長は、わたしたちを人質にして領地に逃げ帰ろうとしている。
宰相たちが逃げおおせれば、あの小国ほどもある大領の全力を振るって反乱をおこすだろう。それは近隣諸国を巻き込んで、国を揺るがす大乱になるかもしれない。
そんなことは、させるわけにはいかないのだ。
国を思う王様のためにも。
「しかし、レニ様。いかがいたしましょうか」
「そうですね……アラさん。あなた持ち物は?」
「舐められているのでしょう。特に無くなっておりません」
「そうですか……わたしもです」
体を探って確認する。
侍女を眠らせた揮発性のアヤシイ薬品をはじめとして、無くなっているものはなさそうだ。
最近自重しなくなったため、いろいろと薬品などを持ち歩いていたのが幸いした。
扉の外には見張りの人間が二人。
遠くが慌ただしいのは、逃げ支度をしているせいだろうか。
かなり離れている、ということは、この部屋は屋敷のはずれにあるということだ。
「ふむ……」
窓側に歩いて行く。
窓ははめ殺しになっていて、開かない。
顔を窓に押しつけて、ぐるり半周を見回す。
部屋は、コの字状の内側に位置しているらしく、見えるのは中庭だけだ。 空いた一角には倉庫。構造からしてひとつは食糧庫だろう。厨房らしき建物も見える。
素早く構造だけ覚えて、もう一度扉に近づく。
扉の取っ手は、悪趣味なことに黄金製だ。
「ふむふむ……」
頭の中で、脱出法をくみ上げていく。
「レニ様?」
「アラさん」
「はい。なんでしょうか」
声をかけると、すまし顔の侍女は、首を傾ける。
そんな彼女に、わたしは壁付の机に飾られたマニカ青磁の深皿を指差してみせる。
「ここで、おしっこしてください」
にっこりと笑って言うと、ふだん無表情な彼女は、さすがに顔を引きつらせた。
◆
「レニ様。不浄です。見ないでください」
顔を赤らめながら、深皿をまたいでしゃがみこむ幼馴染が抗議を口にする。
「見ませんわ。はやくしてくださいまし」
言って後ろを向くと、ほどなくして、ちょろちょろという音が聞こえてきた。
やがてそれが止まり、衣擦れの音。
「……すみました。レニ様」
「ありがとう。アラさん。ではそれをこちらにいただいて――」
「アラが運びます。これは誰の手にも触れさせません」
顔を赤らめて必死に深皿を抱え込む侍女。
「どのみちわたくしが触らないと、細工もできませんのに……」
わたしは布でくるんだ板きれを取り出す。
それから、扉の横に深皿を置かせ、扉の取っ手と板きれと深皿の中身にいろいろと細工して、準備完了。
当然といえば当然だが、生前わたしが居た世界とここではいろいろなものが違う。
あちらでは思いもしなかった反応を示す薬品や鉱物が存在する。これはそのひとつ。
「きゃああああっ!」
わたしは息を深く吸い込んで、声をあげる。
扉の外で人が動く気配。外側から鍵が開けられる音。
「どうした――ボルタっ!?」
「おい、なにがあった――ダニエルっ!?」
奇妙な悲鳴をあげながら、男たちが倒れる音。
秘儀、海水電池モドキ。
実験していてたまたま発見した、構造は原始的な電池に近いのに反応と威力がケタ違いな謎電池だ。持ち歩き出来ないのが不便なところ。
「……さあ、アラさん。行きますよ」
いったん仕掛けを外して扉を開き、見張りが気絶しているのを確認すると、とどめにイケナイ薬で昏倒させ、侍女を呼び寄せる。
彼女は海水電池モドキ(の液体)をものすごく処分したそうにしていたが、結局あきらめてついてきた。
「さて、と、まずは外の様子を確認したいところですけれど……」
仕掛けを戻して廊下を見回しながら、つぶやく。
いつ人が歩いて来るか分からない。とりあえず気配のなさそうな部屋の扉を開く。
扉はあっさりと空いた。体を滑り込ませ、外から姿が見えないよう、気を配りながら窓辺に顔を寄せ、外の景色を見る。
「……遠くに黄金宮殿が見えますね……騒ぎに気づきだしたのか、大路を行く人が騒ぎ出しています。じきに兵もここに来るでしょう。さらわれた先が宰相の屋敷というのは、この際ありがたいです」
だが、屋敷を囲う壁はあまりにも高い。
正門や裏門も、きっと鉄壁の守りに違いない。
「レニ様、これからどういたします?」
「そうですね……時間いっぱいまで隠れている、というのもいいですけれど……性に合いませんね」
わたしはにこりと笑って言う。
「後悔させてやりましょう。わたしたちをさらったことを」
倒れている見張りに気づいた人間が、うっかり電流に触れたのだろう。
廊下を走る音がして、直後、「ボルタっ!?」という悲鳴が聞こえた。
◆
時に物影に隠れ。
ときに侍女による誘惑(笑)のスキをついてイケナイ薬を嗅がせるコンビネーションで。
わたしはなんとか目的の場所にたどり着いた。たどり着いたが、かわりにわたしたちが脱走した事実は屋敷中に知れ渡ってしまっている。
「急げ! 急いでレニ姫たちを探すのです!」
「捕まえたら女どもは好きにしていいぞ! 足腰立たなくしてやれい!」
侍従長セバスと、宰相自ら指揮して追ってくる。
追っ手は屋敷中をひっくり返したような大人数になっている。
「居るぞ! 厨房の中だっ!」
「逃がすなっ!」
完全に追い詰められてしまっている。
中からかんぬきをかけているが、破られるのは時間の問題だろう。
わたしは素早く部屋の中をチェックする。
さすがにこの緊急事態だ。料理人たちはいない。火の気も絶えている。理想的だ。
「レニ様! どういたしましょう!」
「アラさんっ! わたしがいいって言うまで、部屋中に小麦粉をぶちまけてくださいっ!」
部屋の片隅に詰まれた小麦粉の入った袋を開けながら、わたしは叫ぶ。
都合よく人が集まってる。敵を一網打尽にする絶好の機会なのだ。
小麦粉をぶちまけながら、わたしは叫ぶ。
「アラさんっ! そっちのほう量が足りてませんっ! もっと派手にまいてくださいましっ! 多すぎてもダメですわよっ!」
「こうですかっ!?」
「ぐっどですわっ!」
と、ばきりと扉が壊される音、
つづいて宰相の配下が、たちこめる粉に悲鳴をあげながら入ってくる。
「アラさんっ! 野菜室に逃げ込みますよっ!」
「承知いたしましたっ!」
袋を抱えて一目散に駆けこむ。
追いすがる家臣たちは、全然間に合っていない。
そして、彼らが野菜室の扉に手をかける、寸前。
わたしは薬品を巻いた木切れを壁に擦りつけ、放り投げた。わたし特製、超火力マッチだ。
「くらいなさいっ! ですわっ!!」
声とともに、扉の陰から離れる。
同時に、耳をつんざくような大爆音。
同時に野菜室の扉が吹き飛んで奥の壁にぶつかり、砕ける。
――これこそみんなが一度はやってみたい危険行為筆頭、粉塵爆発ですわっ!
きーんという音に支配された耳を押さえながら、わたしは表情だけでガッツポーズ。
百回くらい試し、空間中に漂う小麦粉の最適量は学習済だ。おかげでいくつか小屋を潰して家令のヘンリーに涙ながらの説教を受けまくったけどたいした問題じゃない。
ぼろぼろになった野菜室から外をうかがう。
バタバタと人が倒れてる。かわいそうだが敵味方だ。あきらめて欲しい。
「く……おのれ……」
と、部屋に飛び込んでいたのか、侍従長も火傷を負って倒れている。
宰相は、さすがに外に居たらしい。だが、それが災いしたらしい。爆発で吹き飛ばされた重い木戸がぶつかって、下敷きになっている。
「ぐうう、おのれおのれっ! 許さんぞ! この偉大なる宰相であるワシをここまでコケにしよって!! だれか! 誰かあるっ! この小娘を血祭りにあげるのだっ!!」
もちろん、動ける人間をかき集めてこの場に飛び込んできた以上、そんな都合よく人が居るはずがない。
比較的軽傷の人間も、わたしが手に持つ小麦粉の入った袋を恐れて、動かない。
いや、遠くから、悲鳴とともに鉄踵が地を叩く音。
一瞬、小麦粉の袋を構えかけて、わたしは手を降ろした。
懐かしい声と、一番聞きたい声を、たしかに聞いたのだ。
「レニっ! かわいいレニっ! 無事かいっ!?」
似合わない鎧を着こんだ、はちみつ色の髪の美少女顔の青年――兄のユーリと。
「レニ殿っ! 無事かっ!!」
兄よりも三まわり以上大きい巨漢。黒髪に意志の強そうな太い眉の美丈夫。
もはや国政と軍権を完全に掌握した、偉大なる王。
「兄さまっ! 陛下っ!」
安心して、袋を取り落とす。
宰相も、侍従長も、王様の声を聞いて、一気に反抗の気がそがれたのだろう。
「無念」とばかり、宰相は顔をゆがめ、侍従長はすべてをあきらめきったように、それぞれ意識を手放した。
倒れた人をまたぎながら、兄と王様が歩いて来る。
やばい。
気を抜いちゃったせいで涙腺が緩くなってきた。
「レニ。よかった。アラも無事だね――と」
「陛下っ!」
気遣う兄を横目に、わたしは陛下の胸に飛び込んでいた。
「レニ殿。無事で何よりだ。肝を冷やしたぞ」
王様の手が、肩に置かれる。
温かい手。そしてあたたかいその声に、心の底から安心する。
「……おやおや」
と、兄の声を聞いて、わたしは正気に戻って王様からぱっと離れる。
はずかしい。人前ではしたないにもほどがある。
「まさかレニが僕じゃなくて陛下に抱きつくなんて……ずいぶんと仲がよくなっちゃったね」
「お兄さま」
顔がまっ赤になるのを感じながら、わたしは兄に向けてほほをぶくらませる。
「かわいいレニ。僕と陛下のために、迷惑をかけてごめん……よく頑張ったね」
「……頑張った、甲斐はありましたか?」
「うむ、あった」
わたしの問いに、答えたのは王様だ。
「なにせ余は、十全の国と……なにより、かけがえのない王妃を手に入れたのだからな」
くらっと来た。
すごい。王様超かっこいい。
ドキドキしすぎておかしくなりそう。
なのに、どうした不具合なのか、わたしの口を突いて出た言葉はなぜか。
「あ、研究施設」
だった。
兄はあきれたような、侍女はあきらめたような視線。
そして王様は、大きな口を開いて大笑いしたあと「いくらでも建ててやるとも」と胸を叩いた。
どうしよう。
王様ステキすぎる。
幸せすぎて実験がしたい。
天にも昇るような気持ちで、わたしは兄や王様とともに帰途につく。幸せいっぱいだ。
でも、なぜだろう。王様の配下の兵士たちがわたしに向ける視線に、おびえとか恐怖の色が混じってる気がする。
「レニ様。やりすぎです。この惨状を見せられたら、誰でもおびえるに決まってます」
幼馴染の侍女が若干やさぐれた口調で突っ込んだ。
皆さまありがとうございます!
次回最終回! 更新は明後日予定です!




