その9 さまざまな事情
房室に戻ると、入り口で、侍女がすやすやと平和な寝息を立てていた。
そういえば、怒りにまかせて彼女を眠らせていた気がする。
「アラさん。こんなところで寝ていると風邪をひきますよ。起きてください」
いろんなものを棚に上げて、侍女の体をゆする。
「あっ、レニ様……レニ様?」
ぱっと目を覚ました彼女は、わたしの顔を見て怪訝な表情になった。
「どうしました?」
「いや、そこはかとなく勝ち組臭を感じまして……気のせいですわよね?」
どうしよう。幼馴染が喪女をこじらせ過ぎている。
◆
つぎの日の午前中のこと。
本格的に実験機材を広げにかかっていると、侍女が上機嫌な様子で現れた。
「レニ様。氷の貴公子様よりお茶会のお誘いの手紙が。アラも行ってよろしいですわよね?」
尋ねてくる侍女。
わたしは受け取った手紙に目を通すと、首を横に振った。
「……ごめんなさい。ダメみたいです」
「なぜですかっ!」
無表情で詰め寄って来ないで怖いから。
わたしは手紙の一部を指し示しながら答える。
「ほら。ここに書いてあるでしょう? 陛下について、内密の話がしたい、と。同行してもいいですが、おそらく人払いで遠ざけられますわよ?」
たぶん昨日知った政変がらみの話。
アラさんにはまだこの話はしていない。
というかこの駄侍女に話すのは、いろんな意味で危険すぎる。
お前が言うな。
と、どこかから突っ込みが入った気がするが、ともかく。
「それでもいいですっ! 超絶美形のお姿を見て養分を補給しますからっ!!」
なんの養分ですか。
熱く語る駄侍女に、わたしはため息をついた。
◆
午後、わたしは侍女とともに、お茶会の席に向かった。
場所は、あの女装の麗人、リリシス・アスタールと初めて出会った沢辺の亭閣だ。
沢辺の桜は九分どおり散ってしまっていて、葉桜が緑の木漏れ日を地に落としている。
上流では、散りかけの桜があるのだろう。花びらが花流となって、小川を薄桃色に染めていた。
屋根の下、設けられた席には、主人である氷の貴公子、セフィラス・アプローズ。そして、赤毛の武人、アレイ・コランダムが待っていた。
「アレイ様」
セフィラスに挨拶すませてから声をかけると、赤毛の武人は微妙に目をそらしながら一礼する。
「う、うむ。レニ殿。よく参られた。わしも参加させてもらう」
童顔を、わずかに朱に染めている。なんかかわいい。
だがわたしの背後では、ふしゃー、と声をあげながら、アラが警戒モードになっている。
侍女に目をやって、アレイは眉をひそめた。
「すまんが、侍女殿には……」
「――アラさん。退がっていてくださいまし」
察して、わたしは侍女に指示をする。
「レニ様、くれぐれもお気をつけください」
赤毛をにらみつけながら、侍女は退がっていった。
「……ずいぶんと嫌われたな」
「ごめんなさい。アラさんはわたくし最優先の人なので」
ため息をついた赤毛に謝る。
「いや、どうにも初対面がまずかった。あのときは、浮ついた気持ちで後宮をうろつかれてはたまらんと思ってな。すこし脅かすつもりだった。あらためて、無礼を詫びさせてもらう」
「いえ。わたくしも、事情を知ったいまなら、アレイ様のあのときの行動は納得できます」
頭を下げる赤毛の武人を、わたしはあわてて押しとどめた。
「しかし」
と、アレイはあらためてため息をつく。
「――あの時は腹の据わりように感心して、これならば大丈夫だろうと思ったものだが……いまは頭が痛いぞ」
「申し訳ありません」
やらかした自覚はあるので、ほかに返す言葉もなかった。
と、そんなやりとりに、お茶会の主人が冷たい微笑を浮かべて口を挟んでくる。
「二人とも、親しげだね。ぼくも混ぜてくれないかい?」
「なっ、仲がいいなどと、無礼なことを申すな!」
どうしてこの赤毛さんはいちいち顔を真っ赤にするのか。いまいちわからない。
わたしは氷の貴公子に向き直り、微笑みかける。
「セフィラス様。もちろんですわ」
「ありがとう。さあ、紅茶をどうぞ。マニカからの輸入品でね。渋みにトゲがまるでないんだ」
無駄のない仕草で、氷の貴公子は手ずからわたしたちに紅茶をふるまう。
わりと直情的なアレイに比べて、こちらはいろいろと複雑そうでめんどくさい。
「経緯は、陛下からうかがったよ」
紅茶を口にしながら、セフィラスはおもむろに口を開いた。
「――まあ、なんというか。あのユーリ殿の妹らしいといえば、らしいかな」
兄さまに対するみんなの評価が気になるところだ。
わたし的には包容力のあるふわふわ癒し系美少女顔少年なんだけど。
あ、紅茶おいしい。
「かなり頭が痛いところだけど……きみは自分に求められてる役目、わかってる?」
「なにもしないこと」
蒼氷色の眼光をまっすぐに受け止めながら、わたしは即座に答えた。
王様が、政変のためにつくりあげた男だけの後宮。
だけど、それも一枚岩じゃない。
というか普通そんなことありえない。
千人もの人間と秘密を共有して漏れないわけがない。そんな愚を、あの王様が犯すはずがない。
「陛下のはかりごとを、本当に深いところまで知っているのは、ほんの一部。房室の主たちと、あとは侍従長くらいでしょう。セフィラス様が恐れておられるのは、わたくしが不用意に漏らした情報が後宮に不穏をもたらすこと。あるいは漏れた情報が宰相閣下に渡ること、でしょう?」
「うん。それを、第三者が聞いても分からないように、でもぼくたちには確実に伝わるように、答えてくれていたら満点だったかな」
あ、またやっちゃった。
赤毛の武人が額を押さえながらため息をついた。
「気をつけてくれ。ここではよいが、よそでは誰が聞いているかわからんのだからな」
「申し訳ありません。ここでも、あんまりよくないですよね」
「どういうこと?」
氷の貴公子が、眉をわずかにあげた。
「いえ、その、ご承知の通りの理由ですわ」
「レニ殿。わしにも教えてくれんか。わからん」
わたしが言葉を濁すと、赤毛が顔を寄せてきた。
「陛下と宰相閣下を天秤にかけているセフィラス様は、単純に味方とは言い切れないということですわ」
「セフィラス! 貴様っ!」
「ちょっとまって! レニ様、合ってるけどその言い方は多分に語弊があるっ! この馬鹿にきちんと説明してよっ!」
席を立って突っかかってきたアレイに、氷の貴公子はめずらしく悲鳴じみた声をあげた。
「ええと、説明いたします」
取っ組み合い寸前の二人に、わたしはあわてて説明する。
「中央官僚の派閥の領袖であるアプローズ家は宰相閣下ともつながりが深いです。どちらに転んでも大丈夫なように、身の振り方を考えるのが普通でしょう。セフィラス様は、アプローズ家の、陛下側のパイプに過ぎない。いざとなれば、トカゲのしっぽ切りで切り捨てられるか、裏切りを強いられるか……まあ、そんなわけで、単純に味方とは言い切れないと申しました」
「……うちは大所帯でね。アレイ、きみの家のように忠義一辺倒ではない。それくらいは当然のたしなみだ。陛下も先刻ご承知だよ」
無言でどっかと席についたアレイに、セフィラスはやれやれと息をついた。
「ぶっちゃけると、アプローズ家もうちの派閥も、心情は陛下寄りだよ。宰相閣下は人の好悪で簡単に人事を曲げるからね。逆に陛下の政務を滞らせまいとする努力は、ぼくらが評価しているところだ。あのユーリ殿が味方している、というのも大きいね」
どこまで出張ってるのお兄さま。
というかどれだけ大物なのお兄さま。
「ともあれ、レニ様。おなじ思いを持つ者同士、身内としてよろしく頼むよ」
そう言って、セフィラスは氷の微笑を浮かべた。
おなじ思い。
陛下への、ということだろう。
あらためて言われると気恥かしいが、わたしも王様は好きだ。研究施設作ってくれるし。
つまり、この氷の貴公子は本当に男色趣味なのだ。そういえば、初対面でライバル宣言とかされていた。
まあ、もの申しておきたいところは多々あるが、王様を裏切る気がないのはいいことだ。
「こちらこそ、よろしくお願いいたします……でも、陛下に男色趣味はないようですので、無理強いはしないでくださいましね?」
「せ、セフィラス、貴様……」
「おい待って。アレイ、引くな。レニ様違う。あなたは勘違いしている。というかそれだけ察しがいいのになぜそこで勘違いする!?」
あとで勘違いは解けた。
でも疑惑は残ったようで、彼には悪いことをしたと思う。




