(閑話)フィーリア 17歳 新年宮中晩餐会
sideフィーリアちゃんです。
「この新しき年が善きものとなりますように」
其処此処から新しい年を寿ぐ言葉が聞こえてくる。
うつくしい装飾が施された王宮の小広間。もうすぐ始まる新年を祝う会の始まりを待つ人の波でその部屋は埋め尽くされていた。皆、いまここで新しい年を迎えることができた喜びに満ち溢れている。
いろとりどりのドレスの花が咲き乱れる中を、涼やかな空気を纏ったその人が歩いてくる。人がそっとその前の道を開ける。
今夜は、これから王宮主催で毎年行われる新年宮中晩餐会が開かれる。
フィーリアは、華やかな銀の刺繍がほどこされたフロックコートを纏う婚約者が自分に近づいてくるのを静かに待っていた。
10歳になった時に決まった、王室からの申し入れで決まった鳴り物入りの婚約だった筈なのに。
『サリオ殿下がフィーリア嬢を大変気に入られて』と言われたと聞いていた。元々伯爵家程度ではそれを断ることはできないが、それでも、是非にと望まれたのならと大切にして貰えるだろうと両親はフィーリアの婚約を歓迎したのだという。
それなのに。
「この新しき年が善きものとなりますように」
エスコートを誘ってサリオ殿下がそっと自分に手を差し出した。
毎年フィーリアを迎えるこの時に、自分の婚約者がこのひと言以外、決して口にしないのはどうしてだろうと寂しくなる。
「この新しき年が善きものとなりますように。サリオ殿下、お出迎えありがとうございます。それとこのドレスもありがとうございます」
いまの自分にできる最高のカーテシーをと考えながら挨拶を返す。そうして、きっと期待を外された返事がくる、そう思いながらもドレスのお礼を言い添える。
年末に届いたのは、うつくしい珊瑚色をしたAラインのドレスだった。
スクエアに開いた襟元とふわりと広がったスカートの裾に繊細な金のレースが重なっていて華やかながらとても清楚だ。腰には共布でサッシュを巻いてあり腰の前で大きなリボンが結ばれている。アシメトリーなデザインがシンプルなドレスを引き立てている。
合わせたイヤリングとネックレスは10代の女の子らしい華美すぎないシンプルなものだったが、殿下の、静かな湖のような深い碧の瞳の色に合わせてあった。
そうして、サリオ殿下はフィーリアの手を腕に回しながら、フィーリアが覚悟していた通りに、ばっさりと切り捨てたのだった。
「ドレスは僕じゃない。また王妃の手によるものじゃないかな」
覚悟していても、やはり辛い。フィーリアの身体がビクッと硬直した。
「それは…失礼しました」
ここで頭を下げなくてはいけない自分が悲しかった。
父の頬が怒りでぴくぴくしている。母は扇の影に盛大なため息を隠した。
このような悲しくなる会話も婚約してこの晩餐会に婚約者として招待されるようになってからずっと毎年のことだった。新年宮中晩餐会はこれも含めての恒例行事といってもいい。
そもそも婚約者たるものデイマック伯爵邸まで迎えに来るのが筋だろうというのがフィーリアを溺愛する父母の言だった。しかし、この毎年恒例の晩餐会も、それどころか一緒に迎えたデビュタントですら殿下はフィーリアを迎えに来なかった。この、開場を待つ人で埋まるウェイティングルームまで迎えに来ただけだった。
それでも、学園に入学して殿下は変わられた。
始めは、ジェフリー・クレイヴン伯爵令息が傍にいるようになったことだった。それは陛下がお決めになったご学友という名のおもり役、それだけだと誰もが思った。
でも、単に傍にいるだけにしてはお互いが笑顔で一緒にいることが多い。人付き合い全般を忌避していた殿下にはこれまでにないことだった。
そしてみんながそれに慣れたころ、突然の発表があったのだ。
妖精のいとし子。その特筆すべき優れた才能で、民に笑顔を生む特別な存在。
妖精に愛された分だけ人との付き合いが苦手になり、芸術に長けるといわれている。
殿下がその特別な存在だったとは、私も含め、殿下の傍にいる者の誰も気が付かなった。
そして、もう1つの悲しい発表。いとし子である弊害も。
殿下の周りにいて、それまでの殿下の行動を苦々しく思っていたすべての人が後悔した。勿論フィーリアもその1人だ。
婚約者でありながら、いとし子である可能性も、その苦しみにも、まったく気が付かなかったことを悔やんだ。
そうして殿下の周りにはガイ・パニエルが仲間として増え、3人はいつも一緒にご飯を食べ、一緒に帰ったりするだけでなく、家を行き来し休日に一緒に遊びに行くほどの仲になっていた。
ガイ・パニエルにはもともと友人が多かったから、殿下について聞かれる度に、その絵の才能のすばらしさを目を輝かせて我がことのように自慢した。いろいろな場所に初めていった殿下の反応や、そこで描いてみせた絵の素晴らしさをつぶさに話して回る。
一度、『すごいって褒めてたら殿下が描いてくれた』といって教室で皆に見せてくれた鉛筆書きの水晶玉の絵をクラスメイト達に混ざってこっそりと覗いたことがある。それは本当に凄かった。白と黒だけの世界なのに光と色が見えた気がした。
それ以外、遊びにいった時の殿下とのやり取りについても、ガイ・パニエルが話すそれは、本当に楽しそうだった。
だから。横でそっと聞いているだけのフィーリアも期待してしまうのだ。いつか、その仲間のうちに入れて貰える日がくるのではないかと。一緒に笑いあえるようになる日がくるのではないかと。
ふと。会話もないままフィーリアの手をとって歩く姿に、よく似たもう1人の姿が重なってみえた。
それは幼い日に約束を交わした相手だった。
ずっと一緒にいようと交わしたその約束は、殿下との婚約の前に儚く消えていた。
8つ上の伯爵家嫡男であった兄が、ハリケーンによる領地への影響を確認する現場指揮をしていて山津波による二次災害に巻き込まれたのだ。遺体は母にも見せて貰えないほどの状態だったという。父と母、そして領民の悲しみはそれは酷かった。勿論フィーリアも大好きな兄を失って悲しくて何日も泣いた。
だが、その時のフィーリアは、その悲しみの半分を一緒に持ってあげるといってくれた優しいその人との約束を守れなくなっていたことにまだ気が付いていなかった。
だから、公爵家嫡男であるその人との約束を破ったのはフィーリアだ。
決して殿下のせいではない。恨むなんてとんでもないことだ。むしろ伯爵家としては願ってもない良縁をいただいたと言える。
それでも。
いつか、あの人と同じように…、いや、それ以上の存在だと、サリオ殿下を思えるようになるだろうか。そんな日が、本当に来るのだろうか── フィーリアにも判らなかった。
フィーリアはその胸に、諦めの中に小さな希望という相反するものを抱えて、シャンデリアの輝く大広間へと足を踏み入れた。




