エピローグ サリオ 20歳 春
本日4話目のUPです。
「パーシバル様、フィーリア様、今日は本当におめでとうございます」
美しく晴れた春の空の下で、二人の結婚式は行われた。
あの茶番としかいえない婚約破棄劇からすでに2年が経っていた。
あの後、ジェフリーとガイに付き添われて王宮に帰った僕は、陛下に盛大なため息を吐かせ、王妃を泣かせ、侍従長と侍女頭に一晩中説教されるという連続コンボを喰らった。
それと奉仕活動1年の刑。孤児院を回って御用聞きしたり、バザーを主催して資金集めしたり。こっちは別にお仕置にすらならないというか。いい経験できたなーって感じ。面白かった。
でもまぁそれだけだった。
あ。あと「身の振り方は自分で決めろ、探せ。20歳を過ぎたら一切の面倒はみない」宣言された。ちなみにとっくに面倒は見て貰ってない。今の僕は、一人暮らしの平民だ。
陛下の意向を勝手にばっさりと覆したのに、こんなに罰が軽く終わったのは、リスター公爵家となによりデイマック伯爵家から僕の暴挙に対して減免嘆願書が届いたからだ。あとマリ嬢を代表とする学園の卒業生一同からも署名嘆願書が束で届いたらしい。
それと、ジェフリーとガイという学友コンビが揃って一緒に罰を受けると申し出てくれたこともあるんだと思う。一緒に作戦を考えましたと堂々と宣言したと聞いて吃驚した。なので、僕が言い出して協力して貰っただけだとちゃんと説明したんだけど、ふたりは「フィーリア様に振られた者同士お付き合いしますよ」と笑っていい、忙しい中、孤児院回りを最後まで付き合ってくれた。
バザーの主催とか何していいのか判んなかったから正直助かった。
で。二か月ほど前に、この二人から結婚式の招待状を受け取ったんだけど貰っても僕が出席して本当にいいのかわかんなくて悩んだ。
そして困った時に僕がすることといえば決まっている。ジェフリーに相談した。
「私にも招待状はきてますよ。一緒にいきましょう」
そう軽く言われた。そっか。一人じゃないなら心強いな。そうだ、僕には伝えなくちゃいけない言葉もあるんだし。頑張ろう、そう思えたんだ。
ジェフリーは、学園卒業後、王宮の文官に登用されて今は会計院に所属しているエリートだ。ちなみにガイは騎士団での1年間の研修を終え今は西側国境近くに配属されている。5年は帰ってこれないらしい。だから招待状は来たらしいけど欠席するって手紙が届いた。先週だった。やっぱり遠いな。
で。僕なんだけど。
「サリオ殿下、ようこそおいで下さいました」
「やめてよ、フィーリア。今の僕は平民なんだから。というか、僕はここに来て本当によかったのかな」
「サリオ、大きな賞獲ったんだって? おめでとう、やったな」
今日の主役のもうひとりパーシバルに背中をばんばん叩かれた。痛い。これ絶対なにかの恨みを晴らしてるよね?
「大きいかは知らないけど、なんかまた貰ったみたいだね。その辺のことは全部ピエールさん…えーっと美術商の人にお任せしてるから判んないんだ、僕」
絵を描くことしかしたくないんだもん。でも食べて行かないといけないのも判ってるから売れる絵を描くことも重要になった。なんて、ほんとは描きたいもの描き散らかしてるだけだけど。
茶番劇の次の日、徹夜で怒られて朦朧としてた僕は、黒いフロックコートを着て迎えに来たジェフリーに連れ出された。向かった先で待っていたのはベイリー伯爵。多くの有名な芸術家たちを世に出す手助けをした事で有名な人なんだって。
よくわかんないまま絵を持っていってそこにいた人達にみせて、皆で一緒にご飯食べて、雑談して帰ってきたら、僕はベイリー伯爵お抱えの美術商に面倒を見て貰えることになっていた。
それで僕の就職活動は終わり。20歳まで王宮に居座ることなく、僕は住むところと、とりあえず食べていく(食べさせてもらえる?)術を手に入れたのだった。
即引っ越して、陛下を呆れさせ王妃をまた泣かせた。なんでだろ。
そうして。描いて描いて描いて描いて。買ってきて貰ったご飯を食べるか寝床に潜り込むか描くかの日々をこの2年ほど過ごしてきた。それと、賞貰った時とか個展やるから挨拶にこいとか言われて連れ出される程度。
だから、自分の意志で外に出るのは本当に久しぶりだった。
「フィーリア、綺麗だね。すっごく綺麗だ」
真っ白いニードルレースが首元から指先までぴったりとその細い腕を包み、柔らかな光沢の練り絹でできた身頃は美しいマーメイドラインを描く。そして優雅に広がる裾には豪奢な金の刺繍が施されていた。
青く晴れ渡った空の下で、フィーリアは、まるで自身が花そのもののように咲き誇っていた。
うん。本当に綺麗だ。
僕の言葉に、パーシバルもフィーリアもすっごく吃驚していた。あはは。本当はずっと言いたかったんだ。
「ごめんね、フィーリア…あ、もうデイマック伯爵夫人だっけ。パーシバルが本当に婿入りしたのには驚いたよ。…じゃなくて。ずっと君に謝りたかったんだ」
ずっと心にわだかまっていたそれをようやく言葉にする。今日はこれを伝えに来たんだから。
「君にたくさん『大嫌いだ』とか『自分が綺麗だと思ってるのか』とか酷いこといったけどさ、本当はいつだって正反対のことが言いたかったんだ。『本当に綺麗だ、フィーリア』
けど、これを口にしたら、僕が君のことを好きだって言っちゃうことになるでしょう?
君は、パーシバルのものだからさ。それを、僕が言うわけにはいかなかったんだよ。
──でもさ、今日という特別な日なら、もう言ってもいいだろう?」
一番きれいな君に、笑顔で伝えられる。それが本当に嬉しい。
君は本当に真面目でやさしい女の子だからね。
政略による婚約相手だとしても、真面目に思いを返そうとしちゃうでしょ。
領民のために、好きな人を諦めようとする。でもさ、そんなのダメだよ。
君がパーシバルの隣に戻れなくなっちゃう。
だって君は…、君もあの理想郷の住人だ。僕がなによりも綺麗だと思った一瞬。
僕にとって特別な、そこにいた銀の髪の女の子。
だから「大嫌い」って言い続けた。
「幸せに、なってね。…あ、あのね、これ二人にお祝い持ってきたんだ。貰ってくれる?」
震えるフィーリアがそっとその大きな包みを解いた。
「……これ、は」
それは、僕がようやく描き上げたあの理想郷。渾身の一作だ。
「これ、この間の大賞を獲った作品じゃないか」
賞に出すつもりなんかなかったんだよ。
君たちの婚約が正式になったって聞いてすっごく嬉しくて。心を決めて描きだした。
色が混ざって濁らないよう気を付けながら3か月掛けて仕上げたのに、根を詰めすぎて描き上げたら倒れちゃって、目が覚めたらピエールさんが出展してたという。今日までに手元に戻らなかったらどうしようかと思ったよ。
「これね、二人の絵なんだよ」
「金髪の子だけじゃないの?」
ココ! ほら、草むらの中に銀色の頭もあるんだよ。なかなか気が付いて貰えないんだけどさ。
晴天の、丘の上に立つ樹の下で、金の髪の男の子が色とりどりの花びらを巻き上げ、その祝福を一身に受ける銀の髪の女の子。そしてそれを見上げている僕──は、ここには描いてないけど。でもそこには僕もいるんだ。憧憬を込めて。
「僕ね、この絵を描き上げるのを目標に頑張ってきたんだ」
同じ構図で、いったい何枚描いてきただろう。あの時の、興奮を、幸福感を、ようやくここに表せた、そんな一枚。
「あの9歳の春。はじめて見た君たち2人とその光景、全部ひっくるめて僕は『綺麗だ』って言っただけだったんだけど、なんかフィーリアに向かっていったんだと勘違いされちゃってさぁ」
今なら笑ってそういえる。それができるだけの時間が経った。
「それで、王妃と陛下が僕の婚約を決めちゃったんだ。ほんと、ごめんね。訂正もうまくできなくて解消して貰えないし。子供っぽい、酷い態度しかとれなかった。
君とパーシバルを守るつもりだったんだけどね、いっぱい傷つけたとも思う」
「殿下…サリオ、殿下」
だからもう殿下はやめてってば。今日は花嫁さんが幸せな涙以外を流しちゃダメな日でしょ。
そっとハンカチを差し出す。僕には君の涙を拭きとってあげる権利はもうないから。
「殿下。私もひとつ…、懺悔をしても、よろしいでしょうか」
ハンカチを握りしめて涙をぽろぽろと流したまま、フィーリアが語りだした。
「…婚約者である私には、ご自分から声を掛けてくださることもなかった殿下が、一切笑い掛けてくれることもなかった殿下が、……彼女に笑いかけているのを見た時、私は…嫉妬したのです。
それも、かなり、強烈に。何故、笑いかける相手が私ではないのか。私の婚約者なのに、と。
実行はしませんでしたが、意地の悪いことを考えたことも、一度や二度では、ないのです」
名前を出されなくても判る。リズのことだ。でも…フィーリアが、リズに嫉妬? 意地悪しようと考えたとか、ちょっと意外過ぎて声がでない。
でもそっか。フィーリアだって、普通の女の子だったんだ。ただ、それだけだ。
「それから、パッシィとマリから、あの婚約破棄の後、いろいろと教えて貰いました。
殿下が…私たちの、パッシィと私の為に、動いてくださっていたことを。
不安定になっていた彼女から仕掛けられていた数々の謀から私を守るために、ご配慮いただいていたことも。
なにより、『フィーリアはそんなことしない』そう、私を信じていただいて、ありがとうございました」
深く腰を折ってフィーリアがそう言ってくれた。嬉しい。でもおかしいな、僕は謝りに来たんだけどな。
「気にしないで。リズが不安定になったのだって、元々は僕のせいなんだし」
お互いに頭を下げあった。謝罪合戦になった。
***
その様子を、少し離れたところでパーシバルとジェフリーは見守っていた。
「サリオが、そんな風に思っていたなんて…全然、知らなかった」
そっと視線が下がる。パーシバルは、傷つけられたのは、傷ついていたのは自分だとずっと思っていた。従弟の気持ちになんて、まったく気づかずにいた自分が不甲斐なかった。
「ふふ。殿下は秘密主義ですからね」
その学友はちょっと自慢気だった。知っていたのだと言外に伝えてくる。
「ちぇっ。お前、リオの親友なんだろ。なんであいつの想いを判ってて放置したのさ」
ほとほと心外だというように、視線の先の片眉が上がった。
「パーシバル様は、フィーリア様とサリオ殿下が上手くいった方がよろしかったのですか?」
「…そんな訳ないけど。でもさ…」
「それが殿下の信じた、選んだ道でしたからね。私に否があるはずもない。とはいえ、あの女だけはお傍に置かせる訳にはいきませんでしたが」
あー、あれね。凄かったねとパーシバルが哂う。
「そういえば、あの女はいまどうしてるんだい? リオの成功に戻ってこようとしたりはしないかな」
「ご卒業してすぐ、お義父さまである男爵様のお友達で某子爵様の3度目の妻として、是非にと望まれて輿入れしてますからね。今はお幸せだと思いますよ」
パーシバルの頭に、2年前社交界に飛び交った噂が思い出されていた。50も下の若い妻を得ることになった老子爵の執着と凋落話。あれか、と苦笑する。
「なんであんな女に引っ掛かっちゃったのかと思ったんだけど。リオは寂しかったのか」
それはそうだろう。今は違うとしても、それまでの従弟の人生が満ち足りたものであったことはなかったとパーシバルは知っていた。でも、それについて考えたことはなかった。
それでも、どんなに欲しいと思っても、従弟は自分にフィーリアを手渡してくれたのだ。
「なんだよ、いい男なんじゃん。サリオ殿下め」
「今更ですか」
ふふっ、と更に自慢気に笑って、ジェフリーは手にしていたシャンパンを飲み干した。
「はぁ。…僕は恰好悪いな」
それには何も言葉は返ってこなかったが、にやりと笑うその顔が肯定しているようにしかみえず、おもわず顔が歪んだ。
「…僕に、サリオの為にできることがあったなら、何でも言ってきてくれ」
あいつの事、よろしく頼むとパーシバルは頭を下げた。
「頼まれるまでもありませんね」
学生時代の従弟が、この男に向かってよく『ムカつく』そう言っていたのをパーシバルは思い出した。
***
「新居に飾るよ。良い絵だ。ありがとう」
謝罪合戦を続けていた僕たちのところにパーシバルが近寄ってきて、フィーリアの肩を抱き寄せてそういった。いいね。幸せな新婚さんだね。
うん。飾って欲しい。そしたらきっとその絵も幸せだと思う。
「是非、遊びに来てくださいね」
「およばれするの、楽しみにしてるね」
いつまでも主役の2人を独り占めするわけにもいかないしね。
伝えたいことも伝えられたし、思いがけないお礼も貰ったし。そろそろ帰ろうかな。
「じゃあね、今日は呼んでくれてありがとう。お幸せに」
幸せに。誰よりも幸せになってほしい。僕がはじめて綺麗だと思った理想郷の住人たち。
彼らは2人でいるべきなのだから──
お付き合いありがとうございました。




