表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
99/182

第九十八話 春の満ちる影 9

 


 早苗の中で、戦争は再び起こる可能性をずっと(はら)んだままだ。


 水爆実験の被害を受けた漁船。


 ただ、魚を獲るだけの人が、戦争の準備に巻き込まれている。


 十年前の戦争の記憶が残る人々は、穏やかになりつつあった水面に、石を投げ込まれたかのように、揺れ動いた。


 魚を売る店と寿司を握る人たちがその的になった。ただ、日々の営みを送っていただけだったのに。


 原爆も水爆もよそから投げ込まれた。


 投げ込んだ相手は、早苗たちの手が届かない所にいる。


 いつ、次が来るのか、誰にも分からない。


 本当に、もう無いと言えるのか?


 本当に、もう二度と、稔は召集されないのか?


 死なないのか?


 それは誰にも分からない。


 早苗の力の及ぶ所なぞ、歩いていける距離がせいぜいだ。

 汽車で、船で、飛行機で連れて行かれてしまえば、もう追いかけられない。


 まだ四十にも間がある稔。


 敗戦までに沢山の男たちが死んでしまって居なくなっている。戦争が始まれば、男の数が足りないと、多少の歳など頓着せずに集められてしまう。



 させるものか。



 早苗は下駄を包んでいた新聞紙を見た時、湧き上がる恐怖と怒りがあった。



 まだ、終わらないのか、と。



 早苗から稔を奪うものは、いつでも遠く高いところからやってくる。



 死なせない。



 奪われてなるものか。



 それは早苗にとって、相手が女でも戦争でも同じことだった。



 稔が生きていてくれれば、それでいい。



 早苗を愛する稔こそ、早苗の全てだ。



 早苗は、娘たちの描かれた、額もついていない油絵をそれぞれひと撫ですると、うっそりと艶然に笑みを浮かべた。




「誰にも奪われたり、しないわ。」




 奪われないために、早苗は死力を尽くす。









 買い物から帰って来た稔は、出先で出版社に電話を掛けていた。


「明日、竹中さんが取りに来るから。俺も一緒に運んで、その後に出版社に置いてあるものも合わせて全部確認してくるよ。」

「明日は呑まないで下さいよ?」


「明日じゃない日に、呑むよ。」

「…稔さん?」

「ああ、怖い怖い。明日からは画集の印刷に向けてみんな忙しくなるから、呑み歩く余裕はないよ。」


 畳の上で適当な大きさに梱包紙を切りながら、稔は早苗の顔を見上げて言った。


「今度は展示会が終わったら呑んでいいだろう?」


 首を傾げて上目遣いで稔に言われれば、早苗も首を横に振れなかった。



 桜の花が(ほころ)ぶまであと僅かな春の午後、ふたりは仲良く絵を包む作業に勤しんだ。













評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 頑張れ早苗( ˘ω˘ )
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ