第八十一話 雨水による春泥 1
雪の散らつく午後、また洋封筒が一通。
稔は奥の部屋で一心に絵を描いている。
早苗は無心で中身を広げると、流れ作業のように竈に投げ込む。
稔が見る事のないゴミ箱だ。
夕飯の支度で灰になる。
何通目かは分からない。
毎回違う鉛筆画が入っている。
便箋には同じ文。
一体何なのだろう。
稔の絵を真似するでもない中途半端なこの絵は。
効果があるとするなら、早苗にざらざらとした不快感を与えていることくらいだ。
愛情に満ちた稔の絵だけを見てきた早苗にとって、手紙に同封されている素描は、飲み込みにくい白米の中にある砂利と似た感触だった。
珍しく電報が届く。
電話は久間木の家で借りて済ませている藤村家には、至急の場合は電報になる。
しかし、稔の母親の危篤以外で届いた事はない。
何事かと早苗が気を揉んでいると、稔が少し驚いた顔をした後に、間を置いて困った顔をした。
「稔さん、何かあったの?」
早苗が稔の腕に手をおいて聞いた。
「いや、ううん、実家じゃない。モデルの伊東さんからだ。
先週、ここに来た帰りに足の骨を折ったらしい。しばらく来られないというんだけれど…。」
稔は電報を持ったまま、思案する。
「あと少しだけ確認して描けば終わると思ってたんだよなぁ。出版社の竹中さんに来週渡すつもりだったんだけど、困ったな。」
稔は少し伸びた髪をあいた手で掻くと、早苗に視線を寄越した。
「ちょっと久間木さんの所で電話を借りてくるよ。あと、この住所って、前に見た事があるような気がするんだ。
早苗、調べておいてくれないか。」
早苗は稔から電報を受け取ると、こくりと頷いた。
折よく、久間木が在宅していた。
稔は電話を借りて、数分話をした。
伊東明日花に骨折の具合を聞き、あと一度モデルが必要だと伝える。学生の明日花は、そばにいる母親と思しき人と何度かやり取りをした後に言った。
「それじゃあ、藤村先生。こちらへいらしてください。母も来て構わないと言っています。」
稔はすべからく日時を取り決め、通話を終えた。
一方、その頃。
早苗は稔から渡された電報と、今までの肖像画を描いた女たちの連絡先を照らし合わせた。
同じ住所の同じ伊東の女が居た。
早苗は下がり眉をうっそりと顰めた。
珠代が来る前に、稔が描きあげた女だった。やけに早苗への視線がきつく、折を見ては不必要に稔の体に触れようとしていた。
確か、歳の頃は四十前。明日花とは似ても似つかない柳眉に大きな二重瞼の派手な女だった。
早苗は嫌そうに顔をしかめた。
明日花との歳の差を考えると、実の親子でもありえるが、顔の造作の違いを考えると、義理の母娘のように思える。
早苗は不快な手紙たちを思い出していた。




