第八十話 草木萌え動く頃 9
早苗はお茶を淹れると、縁側へ運んだ。
そして、皿に盛った干し柿を二人の間に置いた。
「珠代さんは、食べてなかったから。」
早苗はそう言って、包むものを用意するからと、また中へ戻った。
珠代は干し柿を二つに割ると、豊子に渡した。
ねっとりとした甘みが口の中に広がる。
黙々と食べていたが、豊子が口を開いた。
「…早苗さん、結構寂しがってくれてますよね。」
「そうですわね。思った以上に。」
また珠代が干し柿を取ると、そのまま豊子に渡した。
「豊子さんは、こちらには遊びに来られそう?」
「いえ、しばらくは。田んぼとか人手が必要な時にやったことがあるだけで。
畑もそれなりにあるらしいので。冬にならないと。」
「そう。早苗さん、寂しくなるわね。」
珠代は干し柿をむしると、また一口食べた。
「でも、手紙を書くつもりです。それに藤村先生と稲川さんは友達ですから、きっとまたここに来ますよ!」
豊子は珠代に答えるようでありながら、自分に言い聞かせるように言った。
今度こそ、兄や義姉の時のように、何もせずに後悔したくない。
手紙を書いて、やり取りをして、そして会いに行く。
とても簡単な事だが、豊子にとってはとてもとても重要な事だと、理解している。
決して何も見なかったふりをしないと、豊子は決めていた。
「珠代さんにも手紙を出しますよ!」
珠代は決意を込めて言う豊子に微笑むと、ゆっくり首を振った。
「いいえ、私の方では住まいをお教えすることは出来ませんの。早苗さんに手紙を差し上げて下さい。それで私は充分です。」
珠代は早苗にこそ明かしていたが、豊子には何も教えるつもりは無かった。
これから嫁ぎ先でたくさん苦労をする豊子に、不要な重荷を与える必要はない。
足枷となるような愛情を持つつもりの無かった天涯孤独の珠代にとって、早苗と豊子に出会えたのは望外の喜びだった。
その喜びを与えてくれたふたりを面倒事に巻き込んでしまうのは、珠代の望む事では無い。
関わりを断つ事が珠代にとっても、ふたりに対しても最善だと判断していた。
「早苗さんには落ち着いたら手紙を差し上げますから、それを後でご覧になって。」
珠代はお茶を啜ると、ほう、と息を吐いた。
「もうこのお茶も飲めないのね。」
「…やめて下さいよ。珠代さん。泣いちゃいますよ。」
豊子は薄らと涙目を浮かべる。
珠代はそれをふふふと笑いながら見て、
「明日にはもうそんな事を言っている暇はないでしょうから、ちょうどいいのではなくて?」
と、笑った。
「珠代さんのいじわる。」
早苗が干し柿を包み終わる頃に、久間木を連れて稔と稲川が戻ってきた。
早苗を真ん中に豊子と珠代が並ぶと、
「はい、撮りますよ。」
久間木が慣れた様子でカメラを構えて下を向き、パチリとレンズ横のシャッターを切った。
真面目な顔をして撮られた三人がほっと息を出すと、
「はい、今度は笑って下さい。」
と久間木が言った。
早苗は戸惑い、豊子がホステス用の笑顔を作ったので、珠代が早苗に体当たりするように抱きついた。
早苗が驚き、珠代を怒ろうとした時には、豊子も真似をして早苗に抱きついていた。
反射的に早苗が両腕を広げて、両脇のふたりを押し退けようとした時には、既に久間木がシャッターを切っていた。
「ああ、仲が良さそうですよ。」
久間木がはっはっはと笑うと、
「あら、仲が良いのですから、当たり前ですわ。」
「そうですよー。」
珠代と豊子が間髪入れず言い返した。
写真は手紙で送るからと稔が言い、早苗は黙ったまま手を振って送り出した。
辺りには、寒さの底を通り抜けたぬるい空気が、土の香りを運んできている。
曇に覆われた空の下で、早苗は珠代と稲川夫妻の乗った車が見えなくなるまで手を振り続けていた。




