第七十三話 草木萌え動く頃 2
焼け跡での毎日の生活は至極単純だった。
夕方まで仕事をして、なんとか口にするものを食べさせてから子どもたちを寝かせる。
その時にいつも早苗はすみれを抱き締めて眠る。
最初はお母さんの代わりでごめんね、と言っていたのが、だんだんと早苗でなければダメだとすみれが泣くようになった。
蝋燭の灯りで繕いをしながら、早苗の様子を何度も佳乃は見ていた。
始めは、戦争に行った旦那の代わりにすみれを構っているのかと思ったが、火影で丸まって眠る早苗の背中を見て、だんだんと理解していった。
すみれは、早苗の代わりなのだ。
小さなすみれは、小さな早苗の姿で、それを大人の早苗が懸命に守っている。
すみれを守ることで、早苗の中の子どもの早苗を守っている。
ひどく哀しいと思った。
佳乃にとっての子どもは、達郎とすみれだ。
それが早苗の中では、まだ小さな早苗が生傷を抱えたまま、生きている。
普通の生活なら、そこまで佳乃は気がつくこともなかった。
だが、本当にこの身ひとつだけの状態で、何も加飾出来ない焼け跡の生活は、人の本性がポロポロと零れ落ちる。
拾いたくもない醜悪なものばかりだが、その中で早苗の抱えた傷の本性はどこまでも弱々しかった。
それを佳乃は知ってしまった。
知った所で、佳乃には何も出来なかったが、少なくとも早苗は子どもたちに関しては、信用出来ると思えた。
そして、その信用は、今も保たれていた。
子どもは早苗にとって、欲しいものであり、怖いものでもあった。
稔との子どもは欲しい。
だが、自分の子どもをどうしていいのか分からない。
母親の正しい姿が分からない。
実母は、早苗を捨てていった。
義母は、早苗を娘ではなく、女として見ていた。
正しい母親とは、佳乃のような人なのだろう。
だが、早苗には出来そうにない。
きっと、そんな早苗だと知っているから、子どもが流れていくばかりなのだろうと、早苗は思っている。
そう思うより、仕方が無かった。
走り去った子どもたちの足音も聞こえなくなり、早苗は佳乃の方へ顔を戻した。
「すみれちゃんは、まだ帰って来ないわよね。」
「そうねぇ。中学生だから、まだ帰って来ないわねぇ。」
「もう中学生なのよね。」
「達郎も高校生だからね。
十年なんてあっという間に過ぎたけど、育ったのを見るとね。
ああ、ちゃんと十年生きたんだなって思うね。」
稔への土産に粉焼きを作るからと、佳乃が準備を始めると、店の戸が開いた。
学生服に身を包んだすみれと達郎が並んで立っていた。
早苗は十年という時を目の当たりにした気持ちだった。
佳乃から話は聞いていても、早苗にとってのすみれは、腕の中の存在だった。
そして、達郎も亡くなった弟と同じだと思っていた。
それが学生服を着て目の前に立たれたことで、早苗の夢の時間が過去のことだと改めて思い知らされた。
「ほら、あんたたち、挨拶しなさい。早苗さんだよ。」
ぼうっとした早苗の後ろから、佳乃が声を出した。
早苗は、はっとして二人に挨拶をした。
「久しぶりで、ずいぶん大きくなったのね。藤村早苗です。覚えて…いるかしら。」
早苗自身、佳乃に言われなければきっと達郎にもすみれにも気が付かなかっただろう。
それくらいに違う生き物のように思えた。
「あー、うん、オレ、少しなら覚えてる。なんかもっと大きな人だと思ってた。」
声変わりも終わった声で、達郎が答えた。
早苗は姿も声も変わった達郎に、驚いて声も出なかった。
亡くなった弟と同じ年頃の子どもが、大人の雛形のような姿と声をして、今、目の前にいる。
達郎が無事に成長したことも嬉しかったが、亡くなった弟が生きていたらこれくらいなのだろうかと、ほんの少し考えただけで、涙が溢れそうになった。
早苗はぐっと喉の奥で堪えた。
「あんたがチビ助の頃だから、早苗さんも大きく見えただろうね。今じゃ見下ろしてるけどさ。」
あははと佳乃が笑いながら、鉄板の上でコテを返す。
「すみれは、さすがに覚えてないかね。」
「うん、ごめんなさい。お兄ちゃんより小さかったから、全然…」
髪を二つに結ったすみれが申し訳無さそうに頭を傾けた。
「あ、いいの。三歳だったもの。覚えてなくて当たり前よ。」
早苗は自分より少し目線が上のすみれに軽く手を振り、気にしないでと言葉を重ねた。




