第七十二話 草木萌え動く頃 1
ランドセルを脱ぎ捨てた子どもたちが、商店街に駆け込んでくる。
粉焼き屋の前で立ち止まると、壁掛けの白梅が揺れるほどの大声で叫ぶ。
「おばちゃん!こんにちは!粉焼き下さい!」
カウンターからようやく顔を出すくらいの背の子どもたちが早苗の周りを囲んだ。
「はいよ、ちょっと待ってな。」
佳乃は驚くこともなく、鉄板の上についっ、ついっ、ついっと人数分の円を落とす。
「餡子巻きの人は何人だい?」
半分ほどが手を挙げる。
「はいよ、残りは潰し芋でいいね。」
残り半分が、「はーい」と声を上げる。
佳乃は餡子の他に、茶色のねっとりとした芋を生地の上にぽつぽつ垂らす。
「佳乃さん、これは何?」
カウンター越しに鉄板を除き込む早苗が聞いた。
「ああ、じゃがいもを甘じょっぱく煮て潰したもんだよ。中々腹持ちがいいんだよ。」
話す間にもくるりくるりと佳乃は手を動かし、あっという間に粉焼きが出来た。
一度、それを皿にぽんぽんと乗せた後、子どもたちに紙を渡す。子どもたちも手慣れたもので、紙を取って順番に回すと、自分の目当ての粉焼きを摘んでは紙に包む。
「おばちゃん、ごちそうさま!」
「ごちそうさま!」
カウンターに小銭を置くと、各々が佳乃に声を掛けると店の外へ走って出て行く。
まるで春の嵐のようだ。
早苗は最後の子どもが戸を閉めて出て行くまで、その様をじっと見つめていた。
佳乃は早苗に視線を送るが、すぐに目を逸らした。
早苗にとっての子どもは、諸刃の剣だった。
佳乃は鉄板を掃除しながら、バラック小屋で過ごした頃の早苗を思い出していた。
佳乃がまだ何処の顔役にも繋がっていなかった頃。
同じ境遇の子どもを抱えた戦争未亡人たちとヤミ市で商売をして、警察が捕まえに来るたびに走って逃げていた頃。
ひとり逃げ延びて、息を切らせて子どもの所へ戻ると、すみれを抱っこしたまま座り込んでいる早苗がいた。
「あの、この子のお母さんですか。この子、転んで泣いてて、あやしていたら、寝てしまって。」
無表情のまま、痩せ細った女が言った。
佳乃が騒ぎもせず、黙って早苗からすみれを受け取ったのは、ひとえに早苗の様子によるものだった。
荒廃した焼け跡の中で、よくいる姿をしているのに、すみれに対する手つきだけは、周りと違っていた。
縋るように、早苗はすみれを抱いていた。
てっきり戦争で子どもを亡くしたのかと思えば、居ないと言う。
夫の帰りを待っているだけだと、聞かれたことだけをぽつぽつと話す。
話しながらも、佳乃の腕の中で眠り続けるすみれから、目を離さなかった。
佳乃は軽率な事に、その場で早苗も一緒に住めばいいと言ってしまった。
後になっても何故そんな事を言ってしまったのかは、分からなかった。ただ、この人はすみれを守ろうとするだろうと思ったのだ。
一緒に住み始めて、その佳乃の直感は当たっていたと実感した。
早苗は朝も夜も、すみれと達郎の世話を焼きたがった。
特に達郎は、亡くなったばかりの弟と同じくらいだったらしく、姉のように世話を焼き続けた。
その一方で、早苗が働いているヤミ市のオヤジの口利きで、佳乃は顔役と繋がり、警察の取り締まりの対象から抜け出す事が出来た。
多少の場所代はこの際目を瞑り、同じ場所で簡単な食い物を売ることに精を出した。
早苗と佳乃の稼ぎを合わせることで、子ども二人を抱えた女たちは、水面ぎりぎりの所で息を繋いで生きていた。




