第六十八話 若紫の訪れ 3
早苗の稔への観察は続いた。
夜の間も続いたが、何も変わりはなかった。
むしろ、娘たちを描くようになってから、さらに早苗を抱き込んで眠るようになった。
何かに苦しんでいるのかと思い、
「悪い夢でも見るの?」
と、頭を抱きしめながら布団の中で聞いてみるが、
「何も。早苗がいるから。それで大丈夫なんだ。」
それだけを言って、早苗の腰に腕を巻きつけて、眠ってしまう。
そのくせ、明け方に一度目を覚ましてしまうと、早苗の体に直接触れようと裾から手を入れる。そして肌の温もりが同じになると、また眠る。
何かがおかしい。
早苗は稔の隣で眠りながら、触れられた箇所から少しも稔の心の内が読み取れないことに歯痒さを感じた。
何も焦ることはない。
何も不安に思うことはない。
そう言い聞かせながら、早苗は稔の中の早苗の知らない稔に翻弄され続けていた。
そして、九人目のモデルを玄関で迎えた時、早苗は顔色を失った。
その娘は、一番最初に来た冨田という娘と一緒にやって来た。
冨田は、最初の時と同じように、冬の寒さよりも礼儀を重んじて、コートを脱いで玄関に立っていた。
「こんにちは。今日は、新しいモデルに同じ学校のともだちを連れてきました。案内のため、今日だけ一緒に来ました。
叔父の冨田から連絡が入っていると思いますが、こちらが伊東明日花さんです。」
はきはきと早苗に伝えると、一歩横に引いて、ともだちの方へ向き直った。
「ほら、明日花、挨拶。」
まるで母親のように冨田が言うと、ゆっくりとその娘が話した。
「こんにちは。初めまして。伊東明日花です。よろしくお願いします。」
ぺこりと頭をさげると、一つに結った長い三つ編みが肩からこぼれ落ちた。
艶のある美しい絹糸のような三つ編みだった。
そして、ゆっくりと上げた顔は、早苗と同じ下がり眉に切れ長の瞳だった。
早苗はその後、お茶を出した冨田と話した内容すら、覚えていなかった。
ちゃんと相槌を打ち、笑ってもいたと思う。
帰り際の冨田の様子を見るに、何もおかしい所は無かったのだろう。
早苗はずっと稔の声を聞いていた。
あの娘に興味を持たないか。
あの娘に何か特別な事を言ってしまわないか。
勘違いを起こさせる事が、よくあるのが稔の身上だ。
あの伊東という娘が、勘違いしてはいけない。
早苗は冨田と話しながらも、意識は隣の部屋の二人にだけ向いていた。




